2012年05月06日
ゴールデンウィーク その2
GWの後半戦は、タイへの出張から始まった。タイに行くのは、それこそ13年ぶりくらいかぁ… 20年前の高校生の時に家族で当時住んでいたJakartaから旅行で行ったのは覚えている。その後、13年くらい前にカミさんと2人でプーケットに旅行に行った帰りにバンコックに立ち寄ったことも覚えている。あの時は、確か前の会社の同僚にBKKで会った記憶があるなぁ。。。
今回のは、羽田発の夜行便で着いたのは早朝6時くらい。着いて早々に「暑い!!」を連発。気温36-7度の世界だ。この季節の日本からは、この気温はちょっとシンドイね。。。
しかし、さすが「微笑みの国(…?)タイ」だけあって、人柄の良さは直ぐに伝わってきた。あの手を合わせてお辞儀する挨拶、傍から見てると可愛らしいね。
今回は出張で、且つ あまりの暑さに外をジョギングすることも出来ず、プチ観光も全くするチャンスは無かったのだが、メシは存分に堪能してきました!!(ただ、、、カメラを持って行くのを忘れてしまい全然写真に撮れなかった…)
●初日:タイすき。ベトナムの火鍋みたいな感じで鍋が2つに分かれており、一つには出汁ベースのスープ・もう一つにはトム・ヤン・クン ベースのスープが入っており、それに肉・野菜・シーフードなど何でも入れて食べる。兎に角、辛い+暑いので汗がドッと噴きだすが、まぁそれもアジアン食文化の一つだろう。最後に雑炊をして〆。まるで日本の鍋だね。。。
●2日目:イベントで用意されたホテルの中華。まぁまぁの味という感じ。。。
●3日目:時間があまり無かったので、ショッピングモール内のタイ料理屋へ。まぁ洒落た感じの店だったので、味としてはそこそこ。いちおう、一通りの小皿系タイ料理をオーダーしてくれたので万遍無く食べれた。海老のすり身のつみれみたいな料理(→ 名前は??)が印象的だった。
全般的に言えるのは、アジアは食が美味しいということ。タイ料理もそうだけど、中華も結構根付いているし、日本食も日本と同レベルで安価で食べることが出来る。私がこれまで行ってきたラテン・北米・欧州に比べてもその差は格段に上だ。
また、今回ビジネスとしては殆ど初めてに近いくらいでアジアへ行ったのだが、ビジネス視点で見ても日本の商圏があるなぁ…と感じた。同じアジアの国という地理的・文化的な近さがあるのだろう。San Diegoも(メキシコに比べたら)良かったけど、ここと比べると「人工的に作られた、US向けにadjustされた」感はする。こんだけ日本のモノが溢れてたら、赴任中は帰って帰りたくないんじゃないの…?って感じ。
日本の回転寿司からアイデアを取った「タイの回転タイすき」。回っているのはタイすきの具材だ、面白い。。。
言わずと知れたが、タイの人はみな国王を愛して崇拝している。街中の至る所に国王の写真を見られる。そんな国王も今は80歳くらいとのことで、もう先は長くない。国王が死ぬと国中が喪に服すらしく、それが3-4ヶ月になるらしい。その間、みな家に閉じこもって喪に服すから経済が止まってしまう。タイ駐在員の方も、未だ少し不安定な政治情勢と合わせて、そのリスクがこの先亡くなるまで続くとのこと。
まだまだ回らなければいけないアジアン諸国はいっぱいあるから、今年は早目に時間を見つけて訪問しに行こうっと。アジア、やっぱ楽しいね!!
今回のは、羽田発の夜行便で着いたのは早朝6時くらい。着いて早々に「暑い!!」を連発。気温36-7度の世界だ。この季節の日本からは、この気温はちょっとシンドイね。。。
しかし、さすが「微笑みの国(…?)タイ」だけあって、人柄の良さは直ぐに伝わってきた。あの手を合わせてお辞儀する挨拶、傍から見てると可愛らしいね。
今回は出張で、且つ あまりの暑さに外をジョギングすることも出来ず、プチ観光も全くするチャンスは無かったのだが、メシは存分に堪能してきました!!(ただ、、、カメラを持って行くのを忘れてしまい全然写真に撮れなかった…)
●初日:タイすき。ベトナムの火鍋みたいな感じで鍋が2つに分かれており、一つには出汁ベースのスープ・もう一つにはトム・ヤン・クン ベースのスープが入っており、それに肉・野菜・シーフードなど何でも入れて食べる。兎に角、辛い+暑いので汗がドッと噴きだすが、まぁそれもアジアン食文化の一つだろう。最後に雑炊をして〆。まるで日本の鍋だね。。。
●2日目:イベントで用意されたホテルの中華。まぁまぁの味という感じ。。。
●3日目:時間があまり無かったので、ショッピングモール内のタイ料理屋へ。まぁ洒落た感じの店だったので、味としてはそこそこ。いちおう、一通りの小皿系タイ料理をオーダーしてくれたので万遍無く食べれた。海老のすり身のつみれみたいな料理(→ 名前は??)が印象的だった。
全般的に言えるのは、アジアは食が美味しいということ。タイ料理もそうだけど、中華も結構根付いているし、日本食も日本と同レベルで安価で食べることが出来る。私がこれまで行ってきたラテン・北米・欧州に比べてもその差は格段に上だ。
また、今回ビジネスとしては殆ど初めてに近いくらいでアジアへ行ったのだが、ビジネス視点で見ても日本の商圏があるなぁ…と感じた。同じアジアの国という地理的・文化的な近さがあるのだろう。San Diegoも(メキシコに比べたら)良かったけど、ここと比べると「人工的に作られた、US向けにadjustされた」感はする。こんだけ日本のモノが溢れてたら、赴任中は帰って帰りたくないんじゃないの…?って感じ。
日本の回転寿司からアイデアを取った「タイの回転タイすき」。回っているのはタイすきの具材だ、面白い。。。
言わずと知れたが、タイの人はみな国王を愛して崇拝している。街中の至る所に国王の写真を見られる。そんな国王も今は80歳くらいとのことで、もう先は長くない。国王が死ぬと国中が喪に服すらしく、それが3-4ヶ月になるらしい。その間、みな家に閉じこもって喪に服すから経済が止まってしまう。タイ駐在員の方も、未だ少し不安定な政治情勢と合わせて、そのリスクがこの先亡くなるまで続くとのこと。
まだまだ回らなければいけないアジアン諸国はいっぱいあるから、今年は早目に時間を見つけて訪問しに行こうっと。アジア、やっぱ楽しいね!!
2011年12月30日
恒例の年末旅行 - 九州温泉ツアー②
後半戦。後半戦は黒川温泉と熊本のことを書こう。
黒川温泉は、山間の中にこじんまりとひっそりとある、周囲2km程度の小さな温泉街だ。ホテルに置いてあった説明書を読むと、1970年代までは地図にも載ってなかった秘境の温泉だったらしい。今では24軒のホテルがあり、(有効期限のある)共通入浴パスがあって全部のホテルの風呂をハシゴ出来る仕掛けになっている。九州の人なら何度かに分けて来られるだろう。秘境の温泉の雰囲気を出すために、ここでもB&Wで撮影。中々味出てます。
我が家が泊ったホテル。完璧な“和”のテイストに作り上げられた老舗旅館という感じ。窓を開けると竹林があり、それが更に温泉の雰囲気を醸し出してくれる。素晴らしいホテルだった。
ホテル情報:湯峡の響き 優彩(詳細はwebで…)
本日の夕食(⇒これで全部じゃあないよ)。ここでのメインは熊本名産・馬刺しと赤牛のしゃぶしゃぶ。馬刺しは、、、旨いの一言。ユッケが食べられなくなった今となっては、ホント久しぶりに生肉を食べたという感じ。お土産にも買って帰りましたぁ。。。赤牛は、これはこれで美味しいんだけど、昨日の湯布院での豊後牛には勝てず。。。
あと美味しかったのはお造りかなぁ。優彩造りとなっていたが、山芋とサーモンのお造りが氷の器に入って出てきた(写真 上段真ん中)。これを、トロリとした“熊本醤油”と一緒に食べると中々の絶品。後で聞いたんだけど、熊本醤油は結構味が独特で美味しくて有名らしい。
今宵のお酒は、地ビールと地酒。湯上り美人、ヴァイツェン… 中々面白い名前だね。味は、、、色々なタイプがあるけど、基本は私の好きなエール系の濃い味。逆に地酒の“あきげしき”は、カミさんの好みでチョイスしたから、かなりさっぱり系だった。
ここ黒川は、秘境の温泉という言葉がぴったりの場所だった。回りには本当に何もない。ゆっくり温泉巡りをしたければ是非来てもらいたい場所だ。
3日目の朝には黒川温泉を出発し、阿蘇山経由で熊本城へ向かった。阿蘇山は、時間が余ってしまうから“ついでに…”って感じ。
雄大な阿蘇山の麓に広がる高原風景は、ペルーのクスコ・マチュピチュを訪れた際にみた風景を思い出した。一方で後ろを振り返ると、まだまだ活きて活動している阿蘇山が山頂からモクモクと水蒸気を噴いている。活動そのものは活発ではないらしいが、火山性の有毒ガスを日によっては多く噴出するので、呼吸器系疾患のある人は登山NGとのこと。標高高いからスゲェ~寒かった。
そして最後の観光地・熊本城へ。熊本市内に到着して、まずは腹ごしらえで
御当地・熊本ラーメンは必ず食べておかないとね。トンコツ系ながら比較的あっさりしてるスープとキクラゲが特徴だ。我が家が選んだラーメン屋は、熊本市内にある元祖熊本ラーメン ごだいこという店。ガイドブックに一番美味しそうに書いてあったから選らんだんだけど、店が移転してたので最初の見つけるのにエライ苦労した。やっと見つけて入ってみると、壁一面に有名人のサインがビッシリ。やっぱ熊本でも有名な店なんだねぇ。お味の方は、、、もちろん噂通り(?)美味かったです、はい。ちなみにこの店、スープの味が落ちるのが嫌なので替え玉はありませんとのこと。こだわりがあるねぇ~。
ラーメンに満足して熊本城へ向かった。熊本城で無料ガイドツアーに参加して色んなうんちく話を聞いたので、覚えている限りのことと印象に残ったことを写真と共に書き記しておこう。
●大阪城・姫路城(⇒確か…)と並ぶ日本3大名城の一つ。
●江戸時代は54万石の領地として栄え、熊本城を築城したのは加藤清正公。その後、2代目の時に(3代将軍・家光により)加藤家が取り潰され、代わりに細川忠利が治めることになった。忠利のお母さんは、明智光秀の娘・ガラシャ。ん… なんだか色んな所で繋がってるねぇ…
●広さは、なんと今の皇居と同じくらいの広大な土地。当時は江戸城でつまりは将軍のお城だった訳で、そこと同じ大きさというのが面白い。清正の徳川家に対する対抗心…?
●明治維新の最後の内線・西南戦争の際に政府軍がここを拠点として西郷薩軍と戦った。70日間の籠城だったが、結局城は落ちず、姿だけでなく城の堅牢さを照明した。
天守閣。これは復元で、元の天守閣は西南戦争の時に、(西郷薩軍の攻撃でなく)台所からの謎の不審火で焼け落ちてしまったらしい。その時の焼けた瓦の写真が下段左。
天守閣って、お殿様が住んでいる or 政治を行う場所だと思っていたけど、間違いらしい。天守閣の役目は倉庫だって。建築物としてはシンボル的存在なんだけどね。
この石垣、武者返しと言われている。途中までは簡単に登れるんだけど、最後は垂直になっていて登れなくなるからその名前が付いたんだと。へぇ~。
城は7年もかけて作った作ったので、前期と後期で工法が異なってくるらしい。後期の方になると石垣を短いモノと長いモノを組み合わせて積み上げ、急な勾配を付けられるようになったらしい。
こちらが殿様が住んで政治を行った本丸御殿。殿様の上座から一番下っ端の位置まで4部屋ぶち抜き・約30mはあるだろうかぁ… 確か570畳だったとか。とにかくメチャクチャ広い。その上座には、写真の如く、金箔で天井・壁を塗られた豪華な部屋が。天井は、当時の設計図があったので完璧に復元、壁は想像図とのことだ。
地上だけでなく地下通路もあって、有事の際はここから逃げれるようになっていた…?
この建物、宇土櫓と言って、西南戦争の戦火も掻い潜って持ちこたえた奇跡の建物。つまり最初の築城の400年前同時の建物そのままの状態だ。これは貴重だろう…
この建物の役目は、城の天守閣を守る最後の砦。色んな仕掛けが施されてあって、廊下が斜めに作られていたり、刀を上から振り下ろせなくする為に鴨居を低く作ってたり、隠し部屋があったり、などなど。戦国時代を生き抜く知恵が凝縮された建物と言える。さすがに400年も経ったからか… 至る部分でガタが来ていて傾いている部分も多かった。でも400年前の建物とは凄い!!
最後に、、、熊本名産のお菓子・いきなり団子。サツマイモとアンコを団子で包んだあっさりした甘物。これ、私は結構気に入った一品だ。
これで全部。今回の旅は、冬の温泉湯けむりツアーで和を堪能してきた満足度の高い旅行だった。来年まだ日本に居るなら、次はどこ行こう…? 四国巡りなんてのも良いし、山陰・北陸地方なんてのも乙だ。今から楽しみに考えておこうっと。
黒川温泉は、山間の中にこじんまりとひっそりとある、周囲2km程度の小さな温泉街だ。ホテルに置いてあった説明書を読むと、1970年代までは地図にも載ってなかった秘境の温泉だったらしい。今では24軒のホテルがあり、(有効期限のある)共通入浴パスがあって全部のホテルの風呂をハシゴ出来る仕掛けになっている。九州の人なら何度かに分けて来られるだろう。秘境の温泉の雰囲気を出すために、ここでもB&Wで撮影。中々味出てます。
我が家が泊ったホテル。完璧な“和”のテイストに作り上げられた老舗旅館という感じ。窓を開けると竹林があり、それが更に温泉の雰囲気を醸し出してくれる。素晴らしいホテルだった。
ホテル情報:湯峡の響き 優彩(詳細はwebで…)
本日の夕食(⇒これで全部じゃあないよ)。ここでのメインは熊本名産・馬刺しと赤牛のしゃぶしゃぶ。馬刺しは、、、旨いの一言。ユッケが食べられなくなった今となっては、ホント久しぶりに生肉を食べたという感じ。お土産にも買って帰りましたぁ。。。赤牛は、これはこれで美味しいんだけど、昨日の湯布院での豊後牛には勝てず。。。
あと美味しかったのはお造りかなぁ。優彩造りとなっていたが、山芋とサーモンのお造りが氷の器に入って出てきた(写真 上段真ん中)。これを、トロリとした“熊本醤油”と一緒に食べると中々の絶品。後で聞いたんだけど、熊本醤油は結構味が独特で美味しくて有名らしい。
今宵のお酒は、地ビールと地酒。湯上り美人、ヴァイツェン… 中々面白い名前だね。味は、、、色々なタイプがあるけど、基本は私の好きなエール系の濃い味。逆に地酒の“あきげしき”は、カミさんの好みでチョイスしたから、かなりさっぱり系だった。
ここ黒川は、秘境の温泉という言葉がぴったりの場所だった。回りには本当に何もない。ゆっくり温泉巡りをしたければ是非来てもらいたい場所だ。
3日目の朝には黒川温泉を出発し、阿蘇山経由で熊本城へ向かった。阿蘇山は、時間が余ってしまうから“ついでに…”って感じ。
雄大な阿蘇山の麓に広がる高原風景は、ペルーのクスコ・マチュピチュを訪れた際にみた風景を思い出した。一方で後ろを振り返ると、まだまだ活きて活動している阿蘇山が山頂からモクモクと水蒸気を噴いている。活動そのものは活発ではないらしいが、火山性の有毒ガスを日によっては多く噴出するので、呼吸器系疾患のある人は登山NGとのこと。標高高いからスゲェ~寒かった。
そして最後の観光地・熊本城へ。熊本市内に到着して、まずは腹ごしらえで
御当地・熊本ラーメンは必ず食べておかないとね。トンコツ系ながら比較的あっさりしてるスープとキクラゲが特徴だ。我が家が選んだラーメン屋は、熊本市内にある元祖熊本ラーメン ごだいこという店。ガイドブックに一番美味しそうに書いてあったから選らんだんだけど、店が移転してたので最初の見つけるのにエライ苦労した。やっと見つけて入ってみると、壁一面に有名人のサインがビッシリ。やっぱ熊本でも有名な店なんだねぇ。お味の方は、、、もちろん噂通り(?)美味かったです、はい。ちなみにこの店、スープの味が落ちるのが嫌なので替え玉はありませんとのこと。こだわりがあるねぇ~。
ラーメンに満足して熊本城へ向かった。熊本城で無料ガイドツアーに参加して色んなうんちく話を聞いたので、覚えている限りのことと印象に残ったことを写真と共に書き記しておこう。
●大阪城・姫路城(⇒確か…)と並ぶ日本3大名城の一つ。
●江戸時代は54万石の領地として栄え、熊本城を築城したのは加藤清正公。その後、2代目の時に(3代将軍・家光により)加藤家が取り潰され、代わりに細川忠利が治めることになった。忠利のお母さんは、明智光秀の娘・ガラシャ。ん… なんだか色んな所で繋がってるねぇ…
●広さは、なんと今の皇居と同じくらいの広大な土地。当時は江戸城でつまりは将軍のお城だった訳で、そこと同じ大きさというのが面白い。清正の徳川家に対する対抗心…?
●明治維新の最後の内線・西南戦争の際に政府軍がここを拠点として西郷薩軍と戦った。70日間の籠城だったが、結局城は落ちず、姿だけでなく城の堅牢さを照明した。
天守閣。これは復元で、元の天守閣は西南戦争の時に、(西郷薩軍の攻撃でなく)台所からの謎の不審火で焼け落ちてしまったらしい。その時の焼けた瓦の写真が下段左。
天守閣って、お殿様が住んでいる or 政治を行う場所だと思っていたけど、間違いらしい。天守閣の役目は倉庫だって。建築物としてはシンボル的存在なんだけどね。
この石垣、武者返しと言われている。途中までは簡単に登れるんだけど、最後は垂直になっていて登れなくなるからその名前が付いたんだと。へぇ~。
城は7年もかけて作った作ったので、前期と後期で工法が異なってくるらしい。後期の方になると石垣を短いモノと長いモノを組み合わせて積み上げ、急な勾配を付けられるようになったらしい。
こちらが殿様が住んで政治を行った本丸御殿。殿様の上座から一番下っ端の位置まで4部屋ぶち抜き・約30mはあるだろうかぁ… 確か570畳だったとか。とにかくメチャクチャ広い。その上座には、写真の如く、金箔で天井・壁を塗られた豪華な部屋が。天井は、当時の設計図があったので完璧に復元、壁は想像図とのことだ。
地上だけでなく地下通路もあって、有事の際はここから逃げれるようになっていた…?
この建物、宇土櫓と言って、西南戦争の戦火も掻い潜って持ちこたえた奇跡の建物。つまり最初の築城の400年前同時の建物そのままの状態だ。これは貴重だろう…
この建物の役目は、城の天守閣を守る最後の砦。色んな仕掛けが施されてあって、廊下が斜めに作られていたり、刀を上から振り下ろせなくする為に鴨居を低く作ってたり、隠し部屋があったり、などなど。戦国時代を生き抜く知恵が凝縮された建物と言える。さすがに400年も経ったからか… 至る部分でガタが来ていて傾いている部分も多かった。でも400年前の建物とは凄い!!
最後に、、、熊本名産のお菓子・いきなり団子。サツマイモとアンコを団子で包んだあっさりした甘物。これ、私は結構気に入った一品だ。
これで全部。今回の旅は、冬の温泉湯けむりツアーで和を堪能してきた満足度の高い旅行だった。来年まだ日本に居るなら、次はどこ行こう…? 四国巡りなんてのも良いし、山陰・北陸地方なんてのも乙だ。今から楽しみに考えておこうっと。
2011年12月30日
恒例の年末旅行 - 九州温泉ツアー①
恒例となった年末の旅行、昨年の北海道から一転方向を変えて今年は九州へ行ってきた。大分⇒熊本と九州横断・温泉の旅だ。
Landingは大分空港。着いた瞬間「寒い!! 東京より寒い!!」という感想。Xmasの寒波到来で雪が降ったらしく、あちこちに雪が残っていた。目的地が山間の温泉だったので、念の為にレンタカー屋でチェーンもお借りる。チェーンなんて10年に以上巻いた経験ないよぉ… 使わないことを願うしかないね。
まずは別府温泉で、カミさんのいとこでメキシコにも遊びにきてくれたYちゃんと今度結婚するお相手のアメリカ人・ブルースと一緒に大分名物・鳥天を食す。唐揚げでもない、チキンナゲットともちょっと違う、天ぷらなのだ。ちょっと変わった味。。。でも、美味しいかった。ブルースとは今回が初対面。私より1歳年上のナイスガイで日本語も堪能なベトナム=中国系アメリカ人だ。お二人とも、末永くお幸せにね!! ハワイ往復の航空チケット、お待ちしてます
2人と分かれて、本日の宿泊地・湯布院温泉へ。山間の盆地にあり、内陸だから更に寒い。だからこそ、温泉に気持ち良く入れるんだよねぇ~。赴任中は子供の夏休みに合わせての一時帰国が多くてXmas休暇はいつも南米旅行に行っていたから、寒い時期に温泉に入るのが憧れだった。いやぁ~、気持ち良かったぁ…
風呂からあがったら久しぶりの旅館メシ。郷土料理をふんだんに使った美味だ。柚子が有名らしく、至る所にふんだんに使われていた。この日のメインは極上豊後牛のしゃぶしゃぶ。極上と言うだけあって、霜降った最高の贅沢な味わいだ。ホテルの親会社が肉屋らしく、ホテルの売店でも肉が販売されていたが、私達が食べた肉は本当に極上ランクらしく販売してないとのこと。食いたきゃホテルへまた泊りに来て、ということかぁ… いやぁ~、でも初日から美味かったぁ~。。。もちろん、お伴のお酒は大分麦焼酎と地酒。料理と合うからグビグビ行きました。
ホテル情報:ゆふいんホテル 秀峰館(詳細はwebとかで検索して…)
翌日は、湯布院にある数少ない(?)観光地、金鱗湖を観光。大して期待しないで行ったんだけど、意外や意外で結構面白いモノが見れた。
金鱗湖には周辺から温泉水が流れ込んで来ていて、寒い日の朝にはその温度差から湖面から湯気が立ち込めて幻想的な風景を作ってくれる。私達が到着してから20分くらいは、ラッキーにもそれを見ることが出来た。近所の土産物屋で聞いてみると、見れたこと自体は結構ラッキーなことのようだった。ホワイトバランスを変えて数枚パシャリ。湯気が立ち上った後は湖面に逆さ景色が見事に映りこんだ。
いくつかの写真はB&Wで撮影。田舎の景色とも相まって、味のある写真になったよね。どう…?
この金鱗湖の土産物タウンに民家でやっている(?)一軒の焼酎屋があった。何気にふらりと入ってみると何やら田舎風情のあるパッケージに包まれた焼酎が所狭しと置いてある。お土産物も置いてあったからカミさんが見ている間に店のおばちゃんとに焼酎の試飲をさせて貰っていた。最初は店で一番売れているという麦焼酎。なるほど、さすが美味い。次にちょっと香りがキツイがノーマルな焼酎。その次に来たのが41度の焼酎の原酒。これは香りがかなり甘ったる(like カルーア・ミルク)が飲むとハードリカーだ。香りと味のアンバランスさが売りみたいだ。ただ、私は魅かれない。そしてこの後に来たのが
36度の焼酎の原酒。実際に飲んだモノは3年間甕壺に寝かせたモノだったが、これは14年モノ。飲んだ瞬間、他の焼酎が普通に見えるくらいの美味しさだった。もちろん36度のハードリカーなので強いのだが、香りと味のバランスが絶妙。ただしお値段“X千円”と結構なお値段。どないしよぉ~とさすがに悩んだが、千載一遇のチャンスと思い購入した。これ、酒飲みには絶対たまらない逸品です
焼酎屋の情報:湯布院 焼酎蔵 Tel 0120-371-933
そんな“意外な”発見と体験をした湯布院を後にして、九重渓谷へ向かった。
ここ、標高が更に高いから雪が道に残ってたら引き返そうと思って行ったのだが、幸いにもチェーン規制はなく無事に到達。駐車場の隅に雪かきした山が残っていたけど。。。
ここ、何が有名かというと日本一の大吊橋。全長390m、高さ173mの大吊橋だ。渡ってみるとビミョーにゆらゆらと揺れている。高所恐怖症の人は無理だろう。ただ、橋からの眺めは絶景で、両サイドに渓谷が見渡せる。アメリカのグランドキャにオンに風景が似てるなぁ~、と私は思った。
火山の噴煙みたいな風景が湯布院でも九重でも至る所で見られた。この辺一帯がまだ活きて活動してる証だろうね。さすが火の国・熊本。
これはおまけ。九重渓谷にあった面白い人形展示。写真をクリックして拡大してメッセージを読んでみて。
(後半戦へ続く…)
Landingは大分空港。着いた瞬間「寒い!! 東京より寒い!!」という感想。Xmasの寒波到来で雪が降ったらしく、あちこちに雪が残っていた。目的地が山間の温泉だったので、念の為にレンタカー屋でチェーンもお借りる。チェーンなんて10年に以上巻いた経験ないよぉ… 使わないことを願うしかないね。
まずは別府温泉で、カミさんのいとこでメキシコにも遊びにきてくれたYちゃんと今度結婚するお相手のアメリカ人・ブルースと一緒に大分名物・鳥天を食す。唐揚げでもない、チキンナゲットともちょっと違う、天ぷらなのだ。ちょっと変わった味。。。でも、美味しいかった。ブルースとは今回が初対面。私より1歳年上のナイスガイで日本語も堪能なベトナム=中国系アメリカ人だ。お二人とも、末永くお幸せにね!! ハワイ往復の航空チケット、お待ちしてます
2人と分かれて、本日の宿泊地・湯布院温泉へ。山間の盆地にあり、内陸だから更に寒い。だからこそ、温泉に気持ち良く入れるんだよねぇ~。赴任中は子供の夏休みに合わせての一時帰国が多くてXmas休暇はいつも南米旅行に行っていたから、寒い時期に温泉に入るのが憧れだった。いやぁ~、気持ち良かったぁ…
風呂からあがったら久しぶりの旅館メシ。郷土料理をふんだんに使った美味だ。柚子が有名らしく、至る所にふんだんに使われていた。この日のメインは極上豊後牛のしゃぶしゃぶ。極上と言うだけあって、霜降った最高の贅沢な味わいだ。ホテルの親会社が肉屋らしく、ホテルの売店でも肉が販売されていたが、私達が食べた肉は本当に極上ランクらしく販売してないとのこと。食いたきゃホテルへまた泊りに来て、ということかぁ… いやぁ~、でも初日から美味かったぁ~。。。もちろん、お伴のお酒は大分麦焼酎と地酒。料理と合うからグビグビ行きました。
ホテル情報:ゆふいんホテル 秀峰館(詳細はwebとかで検索して…)
翌日は、湯布院にある数少ない(?)観光地、金鱗湖を観光。大して期待しないで行ったんだけど、意外や意外で結構面白いモノが見れた。
金鱗湖には周辺から温泉水が流れ込んで来ていて、寒い日の朝にはその温度差から湖面から湯気が立ち込めて幻想的な風景を作ってくれる。私達が到着してから20分くらいは、ラッキーにもそれを見ることが出来た。近所の土産物屋で聞いてみると、見れたこと自体は結構ラッキーなことのようだった。ホワイトバランスを変えて数枚パシャリ。湯気が立ち上った後は湖面に逆さ景色が見事に映りこんだ。
いくつかの写真はB&Wで撮影。田舎の景色とも相まって、味のある写真になったよね。どう…?
この金鱗湖の土産物タウンに民家でやっている(?)一軒の焼酎屋があった。何気にふらりと入ってみると何やら田舎風情のあるパッケージに包まれた焼酎が所狭しと置いてある。お土産物も置いてあったからカミさんが見ている間に店のおばちゃんとに焼酎の試飲をさせて貰っていた。最初は店で一番売れているという麦焼酎。なるほど、さすが美味い。次にちょっと香りがキツイがノーマルな焼酎。その次に来たのが41度の焼酎の原酒。これは香りがかなり甘ったる(like カルーア・ミルク)が飲むとハードリカーだ。香りと味のアンバランスさが売りみたいだ。ただ、私は魅かれない。そしてこの後に来たのが
36度の焼酎の原酒。実際に飲んだモノは3年間甕壺に寝かせたモノだったが、これは14年モノ。飲んだ瞬間、他の焼酎が普通に見えるくらいの美味しさだった。もちろん36度のハードリカーなので強いのだが、香りと味のバランスが絶妙。ただしお値段“X千円”と結構なお値段。どないしよぉ~とさすがに悩んだが、千載一遇のチャンスと思い購入した。これ、酒飲みには絶対たまらない逸品です
焼酎屋の情報:湯布院 焼酎蔵 Tel 0120-371-933
そんな“意外な”発見と体験をした湯布院を後にして、九重渓谷へ向かった。
ここ、標高が更に高いから雪が道に残ってたら引き返そうと思って行ったのだが、幸いにもチェーン規制はなく無事に到達。駐車場の隅に雪かきした山が残っていたけど。。。
ここ、何が有名かというと日本一の大吊橋。全長390m、高さ173mの大吊橋だ。渡ってみるとビミョーにゆらゆらと揺れている。高所恐怖症の人は無理だろう。ただ、橋からの眺めは絶景で、両サイドに渓谷が見渡せる。アメリカのグランドキャにオンに風景が似てるなぁ~、と私は思った。
火山の噴煙みたいな風景が湯布院でも九重でも至る所で見られた。この辺一帯がまだ活きて活動してる証だろうね。さすが火の国・熊本。
これはおまけ。九重渓谷にあった面白い人形展示。写真をクリックして拡大してメッセージを読んでみて。
(後半戦へ続く…)
2011年09月22日
夏休み #2 ~ 東京散歩とテニス三昧 その2
夏休みのもう一つのactivityはテニスだった。今回は自分がplayするだけでなく、観戦でも楽しむことが出来た。
まずは観戦の方から… 運が良いことに、この週にDavis cup Japan vs Indiaが有明テニスの森で開催されており、直前だったにも関わらずコートサイド3列目の席がゲットできた。
今回の参加選手は、錦織・添田・杉田・伊藤と中々見応えのある選手ラインナップ。特に錦織のプレーは初めて見るチャンスとあって、ワクワクして行った。行った日は、確実に錦織が見えるということで、初日の金曜日だ。
勝てば28年ぶり(?)のWorld Group復帰とあって、今回は結構応援が多いんじゃないかなぁ…と思うほど。テニスという個人競技ながら、国を代表して戦う団体戦ってちょっと不思議な感じ…
第一試合は杉田の出番。相手はランク65位の選手。殆ど錦織と変わらんじゃん。杉田は170位代… 最初は分が悪いかなぁ…と思ったが、フタを開けてみたら杉田のフォアを中心とした攻撃的なストロークが炸裂!! 明らかに相手よりストローク力が上だ。飛び上がって打つ躍動感のあるフォアは、ともすればミスが増えそうな打ち方(→ 素人なら明らかにミスの連続)に見えたが、そこはさすがプロ。殆どミスはない。体幹の鍛え方が違うなぁ…
第三セット中盤から、ケイレン気味になりながら、最後まで打ち切って思いがけなく(?)ストレートでの勝利!! これでチームは確実に勢いに乗った感じだ!! ホームコートならでは応援に支えながら、と言った辺りは団体戦の醍醐味だね。
さぁ、第二試合は錦織の試合だ。世界ランク55位と、日本の絶対的エースとなった彼の試合を見るのは今回が初めてで、これが私にとっての今日のメインイベントだった。
テニスを見ての第一印象は、「思ったほどダイナミックな打ち方じゃないなぁ…」。Air Keiの印象が強かったからかもしれないが、結構どっしりと腰を落として丁寧に打つ感じがした。ここでも、体幹の強さはやはり感じた。やっぱプロはバランスが圧倒的に良いなぁ… ここが素人との決定的な違いだろう。
相手が500位くらいの選手だったこともあってか…(?) 錦織が終始試合をコントロールして、ピンチらしいピンチもない盤石の試合運び。さすが日本のエース!!
ということで、シングルス2勝で初日を終えた日本が圧倒的に有利にたった。これが最後まで響き、ダブルスは落としたモノの、3日目のリバースシングルスで錦織がキッチシ勝利を決めてくれた!! 祝 WG復帰だ!!
こういう試合となると、かつての名playerとかを見かけたりするモンだ。左から、岩渕・増田・村上プロ。良く雑誌で見る人だけに直ぐ分かるね。。。
ってな感じでテニス観戦を楽しんだ余韻を引きずりがら、自分のplayへと移っていった。2日おきにplayする、正にテニス三昧の休みだったが、肩痛が再発してしまい(痛ててぇ…)、セット勝敗=3勝5敗と散々な結果となった。ん… やっぱプロとは違うなぁ…
その他、楽しんだことと言えばメキシコ飲み会。最近、メキシコで一緒だった方々が続々帰任となって、日本で一緒に呑む機会が増えてきた。一日は、メキシコからの出張者を囲んでの飲み会。久しぶりの“メキシコnow話”に花が咲く。
もう一日は、メキシコ帰任者たちの飲み会。こちらは家族ぐるみでの飲み会。どこに行ったかと言うと、、、
恵比寿麦酒祭り!! これ、東京散歩で恵比寿に来た際に見つけた、連休中の4日間限定イベント(→ま、言ってみりゃビアガーデン祭り…)で、エビスビールがことの他美味かったから、また来ようってことになった。ならば誰か誘おうってことになって、急遽メキシコ帰任者の会みたいになった。相変わらずのエビスビールの美味さに満足して“メキシコ懐かし話”に花が咲く…
付けくわえておくと、、、いちおうパパとしてのお仕事もこなしています。。。こうやって書くと、自分で楽しんでばっかみたいだけど…
ヴィッセル神戸の大久保選手が好きなRと一緒に、等々力スタジアムの神戸 vs 川崎を観に行ってきた。もち、アウェー側に陣取る。等々力のアウェーは自由席しかないんだけど、まぁムチャクチャ人気チームって訳じゃなかったろうから、全然混んでない。ホーム側ならもっと早く行って席確保、みたいな感じだが。。。Rも、旗フリフリで応援だ!!
この日の神戸、結構調子良く… というか多分川崎がかなり調子悪い状態だったみたいで、アウェーにも関わらず3-0で神戸の勝ち!!珍しいよね。得点決めた選手とハイタッチも出来たみたいで、Rも満足して楽しめたようだった。
長くなったけど、前回に引き続きプチイベントばかりだったが、満足度の高い夏休みだった。心身共にリフレッシュ、さぁ仕事に戻るかぁ… いつまでも遊んでるとボケてくるからね。
まずは観戦の方から… 運が良いことに、この週にDavis cup Japan vs Indiaが有明テニスの森で開催されており、直前だったにも関わらずコートサイド3列目の席がゲットできた。
今回の参加選手は、錦織・添田・杉田・伊藤と中々見応えのある選手ラインナップ。特に錦織のプレーは初めて見るチャンスとあって、ワクワクして行った。行った日は、確実に錦織が見えるということで、初日の金曜日だ。
勝てば28年ぶり(?)のWorld Group復帰とあって、今回は結構応援が多いんじゃないかなぁ…と思うほど。テニスという個人競技ながら、国を代表して戦う団体戦ってちょっと不思議な感じ…
第一試合は杉田の出番。相手はランク65位の選手。殆ど錦織と変わらんじゃん。杉田は170位代… 最初は分が悪いかなぁ…と思ったが、フタを開けてみたら杉田のフォアを中心とした攻撃的なストロークが炸裂!! 明らかに相手よりストローク力が上だ。飛び上がって打つ躍動感のあるフォアは、ともすればミスが増えそうな打ち方(→ 素人なら明らかにミスの連続)に見えたが、そこはさすがプロ。殆どミスはない。体幹の鍛え方が違うなぁ…
第三セット中盤から、ケイレン気味になりながら、最後まで打ち切って思いがけなく(?)ストレートでの勝利!! これでチームは確実に勢いに乗った感じだ!! ホームコートならでは応援に支えながら、と言った辺りは団体戦の醍醐味だね。
さぁ、第二試合は錦織の試合だ。世界ランク55位と、日本の絶対的エースとなった彼の試合を見るのは今回が初めてで、これが私にとっての今日のメインイベントだった。
テニスを見ての第一印象は、「思ったほどダイナミックな打ち方じゃないなぁ…」。Air Keiの印象が強かったからかもしれないが、結構どっしりと腰を落として丁寧に打つ感じがした。ここでも、体幹の強さはやはり感じた。やっぱプロはバランスが圧倒的に良いなぁ… ここが素人との決定的な違いだろう。
相手が500位くらいの選手だったこともあってか…(?) 錦織が終始試合をコントロールして、ピンチらしいピンチもない盤石の試合運び。さすが日本のエース!!
ということで、シングルス2勝で初日を終えた日本が圧倒的に有利にたった。これが最後まで響き、ダブルスは落としたモノの、3日目のリバースシングルスで錦織がキッチシ勝利を決めてくれた!! 祝 WG復帰だ!!
こういう試合となると、かつての名playerとかを見かけたりするモンだ。左から、岩渕・増田・村上プロ。良く雑誌で見る人だけに直ぐ分かるね。。。
ってな感じでテニス観戦を楽しんだ余韻を引きずりがら、自分のplayへと移っていった。2日おきにplayする、正にテニス三昧の休みだったが、肩痛が再発してしまい(痛ててぇ…)、セット勝敗=3勝5敗と散々な結果となった。ん… やっぱプロとは違うなぁ…
その他、楽しんだことと言えばメキシコ飲み会。最近、メキシコで一緒だった方々が続々帰任となって、日本で一緒に呑む機会が増えてきた。一日は、メキシコからの出張者を囲んでの飲み会。久しぶりの“メキシコnow話”に花が咲く。
もう一日は、メキシコ帰任者たちの飲み会。こちらは家族ぐるみでの飲み会。どこに行ったかと言うと、、、
恵比寿麦酒祭り!! これ、東京散歩で恵比寿に来た際に見つけた、連休中の4日間限定イベント(→ま、言ってみりゃビアガーデン祭り…)で、エビスビールがことの他美味かったから、また来ようってことになった。ならば誰か誘おうってことになって、急遽メキシコ帰任者の会みたいになった。相変わらずのエビスビールの美味さに満足して“メキシコ懐かし話”に花が咲く…
付けくわえておくと、、、いちおうパパとしてのお仕事もこなしています。。。こうやって書くと、自分で楽しんでばっかみたいだけど…
ヴィッセル神戸の大久保選手が好きなRと一緒に、等々力スタジアムの神戸 vs 川崎を観に行ってきた。もち、アウェー側に陣取る。等々力のアウェーは自由席しかないんだけど、まぁムチャクチャ人気チームって訳じゃなかったろうから、全然混んでない。ホーム側ならもっと早く行って席確保、みたいな感じだが。。。Rも、旗フリフリで応援だ!!
この日の神戸、結構調子良く… というか多分川崎がかなり調子悪い状態だったみたいで、アウェーにも関わらず3-0で神戸の勝ち!!珍しいよね。得点決めた選手とハイタッチも出来たみたいで、Rも満足して楽しめたようだった。
長くなったけど、前回に引き続きプチイベントばかりだったが、満足度の高い夏休みだった。心身共にリフレッシュ、さぁ仕事に戻るかぁ… いつまでも遊んでるとボケてくるからね。
2011年09月22日
夏休み #2 ~ 東京散歩とテニス三昧 その1
先週は1週間の個人的な夏休み。8月は会社のオフィスクローズだったので、これはまた別モノ!! ま、何はともあれ休みは嬉しい。
この休みも、、、遠出はせずプチイベントの連続だった。Main activityは東京散歩とテニス。
東京散歩って何…? って感じだろう。私も最初はそうだった。今、の本が流行っているらしい。
カミさんが買って来て私も初めて知ったくらいなんだけど、東京の名所を散歩するルートが多数載っているガイドブックだ。
この休み中、2回ほどカミさんと東京散歩をしてきた。初日のルートは皇居周辺。皇居って、実は今まで歩いたことなどなかった。逆に歩いたことある人ってどのくらい居るのだろうか…? 意外な盲点だと思い、散歩ルートに選んだ訳だ。
多分、皇居って言えばこの写真が一番有名なんじゃないだろうかぁ… 私もどこにあるか知らなかった。二重橋辺りにあった。
左から「平川門・大手門・桜田門」。桜田門って、あの歴史上有名な事件・桜田門外の変のあった場所でしょ… へぇ~とカミさんと感心しきり。
皇居って、元はと言えば江戸城。当然ながら周囲はお堀で囲まれており、中には大きな庭園がある。面白かったのは一番右の写真で、“建物今昔”。コントラスト感が面白い。400年の時の差だ。
多分日本で本物の城に住んでいるのは天皇陛下ファミリーだけだろうね。
皇居の周りにも有名な建物はたくさんある。写真上段左から順に… 警視庁・最高裁判所・東京国立近代美術館・Tokyo FM本社・社民党本部など… へぇ~、こんな所にあったんだぁ、と意外な発見。
ちなみに、皇居周辺の道は「日本百選の道」らしい。これまた“へぇ~”。
9月だと言うのに夏みたいな入道雲が発生。確かにこの日も32度と暑い日だった。いつまで続くの、この暑さ…?
散歩後のランチは、丸ビルで天ぷら定食をガッツリ食す。歩いたカロリー分を取り戻してもまだお釣りがくる…? でも美味しかった、ごちそーさん。
2日目の散歩ルートは恵比寿~代官山・中目黒ルート。
ガイドブックのルートによると、最初のポイントは恵比寿ガーデンプレイス。いやぁ~、懐かしい。昔オシャレなポイントとして流行ったよね。。。訪れたのはそれ以来だと思う。今となっては昔感があるけど…
ガーデンプレイス内を歩いていると、サッポロビール本社と並列して博物館があるじゃないかぁ!! この日も暑かったので、涼みがてら入った。これが、後々まで影響することになろうとはね…
中は小さな博物館で20分もあれば回れるほど。エビスビールの歴史が見れて結構面白い。1980年代のワインレッドカラーのラベルは、エビスビールの高級感が出ていてナイスデザインだったと思う。
もちろん、見学が終わったらビールだろう!! 入れたて生エビスは、味わい深く本当に美味しかった。左=琥珀、右=normal。個人的には琥珀ビールの方が濃い味系で私の好みだ。
代官山近辺だったと思うが、、、西郷山公園というのがあり、中にはちょっとした小川があった。あまりの暑さについつい足を付けて涼を取る。ん~、気持ちいい!!
写真左は、その西郷山公園内にあった「皇太子・雅子様 結婚記念植樹」。平成5年と書いてあったので、18年前かぁ…
写真真ん中は、子役で有名な劇団ひまわりの事務所。閑静な住宅街の中にポコっとある感じ。
写真右は、西郷山公園の傍にあった「猿楽塚古墳」。3m程度の小山が古墳なの…?と思った。
この日のランチは、目黒川ほとりのカフェでハンバーグをガッツリ食す。当然、散歩カロリー分を埋めてなおお釣りが来る。。。
東京散歩、、、今回はかなり暑い中で強行したけど、もう少し涼しい季節になったら、また行こうと思う。落ち葉の頃はまた違った顔が見えるしね。。。
長くなっちゃったので、テニス編は別で…
この休みも、、、遠出はせずプチイベントの連続だった。Main activityは東京散歩とテニス。
東京散歩って何…? って感じだろう。私も最初はそうだった。今、の本が流行っているらしい。
カミさんが買って来て私も初めて知ったくらいなんだけど、東京の名所を散歩するルートが多数載っているガイドブックだ。
この休み中、2回ほどカミさんと東京散歩をしてきた。初日のルートは皇居周辺。皇居って、実は今まで歩いたことなどなかった。逆に歩いたことある人ってどのくらい居るのだろうか…? 意外な盲点だと思い、散歩ルートに選んだ訳だ。
多分、皇居って言えばこの写真が一番有名なんじゃないだろうかぁ… 私もどこにあるか知らなかった。二重橋辺りにあった。
左から「平川門・大手門・桜田門」。桜田門って、あの歴史上有名な事件・桜田門外の変のあった場所でしょ… へぇ~とカミさんと感心しきり。
皇居って、元はと言えば江戸城。当然ながら周囲はお堀で囲まれており、中には大きな庭園がある。面白かったのは一番右の写真で、“建物今昔”。コントラスト感が面白い。400年の時の差だ。
多分日本で本物の城に住んでいるのは天皇陛下ファミリーだけだろうね。
皇居の周りにも有名な建物はたくさんある。写真上段左から順に… 警視庁・最高裁判所・東京国立近代美術館・Tokyo FM本社・社民党本部など… へぇ~、こんな所にあったんだぁ、と意外な発見。
ちなみに、皇居周辺の道は「日本百選の道」らしい。これまた“へぇ~”。
9月だと言うのに夏みたいな入道雲が発生。確かにこの日も32度と暑い日だった。いつまで続くの、この暑さ…?
散歩後のランチは、丸ビルで天ぷら定食をガッツリ食す。歩いたカロリー分を取り戻してもまだお釣りがくる…? でも美味しかった、ごちそーさん。
2日目の散歩ルートは恵比寿~代官山・中目黒ルート。
ガイドブックのルートによると、最初のポイントは恵比寿ガーデンプレイス。いやぁ~、懐かしい。昔オシャレなポイントとして流行ったよね。。。訪れたのはそれ以来だと思う。今となっては昔感があるけど…
ガーデンプレイス内を歩いていると、サッポロビール本社と並列して博物館があるじゃないかぁ!! この日も暑かったので、涼みがてら入った。これが、後々まで影響することになろうとはね…
中は小さな博物館で20分もあれば回れるほど。エビスビールの歴史が見れて結構面白い。1980年代のワインレッドカラーのラベルは、エビスビールの高級感が出ていてナイスデザインだったと思う。
もちろん、見学が終わったらビールだろう!! 入れたて生エビスは、味わい深く本当に美味しかった。左=琥珀、右=normal。個人的には琥珀ビールの方が濃い味系で私の好みだ。
代官山近辺だったと思うが、、、西郷山公園というのがあり、中にはちょっとした小川があった。あまりの暑さについつい足を付けて涼を取る。ん~、気持ちいい!!
写真左は、その西郷山公園内にあった「皇太子・雅子様 結婚記念植樹」。平成5年と書いてあったので、18年前かぁ…
写真真ん中は、子役で有名な劇団ひまわりの事務所。閑静な住宅街の中にポコっとある感じ。
写真右は、西郷山公園の傍にあった「猿楽塚古墳」。3m程度の小山が古墳なの…?と思った。
この日のランチは、目黒川ほとりのカフェでハンバーグをガッツリ食す。当然、散歩カロリー分を埋めてなおお釣りが来る。。。
東京散歩、、、今回はかなり暑い中で強行したけど、もう少し涼しい季節になったら、また行こうと思う。落ち葉の頃はまた違った顔が見えるしね。。。
長くなっちゃったので、テニス編は別で…
2011年07月25日
熱海旅行
先週末は、熱海に行ってきた。何しにって、温泉でノンビリするため。
熱海って、いつも伊豆へ行くときに素通りしちゃっていた。もしかしたら人生で“初”熱海だったかも… それくらい、来た記憶がない。
行ってみて気が付いたのだが、意外と東京から近い。東海道線一本で行けて、川崎からだと100分くらいの距離。熱海から通勤している人が居る、と聞いたことはあったが、正直こんなに近いとは思わなかった。
今回の旅行は、義理の父母・義理の姉夫婦・私達家族の計 7人。さしずめ、カミさんの家族会みたいな感じ。でも、私も久しぶりだったかな… 泊ったホテルは、熱海の中心街(と言っても、メチャクチャ小さい街)のホテルが立ち並ぶ中の一つ。Family向けというより、若い女の子が多く宿泊しているという印象だった。…なので、という訳でもないだろうが、ホテル内に併設されているのはフレンチレストランしかなく、そこでdinnerをすることにした。
前菜からデザートまでのフルコース。日本人らしい繊細な味付けで和仏折衷料理という印象。Cold shrimp soupが思いのほか美味しいと印象に残っている。
Dinner後は、目の前の砂浜でちょっとした花火を楽しむ。懐かしいなぁ~、何年ぶりだろう…? 日本の夏の風物詩って感じだね。
翌朝は、ちょっとだけ早起きして恒例のジョギングへ。訪問した街をプチ観光できるから、必ず訪れた先でジョギングをする習慣だ。まぁ、正直たくさん見る場所はなかったが、2つだけ写真をパシャリ。一つは熱海のダウンタウン。山がすぐ後ろに迫っていて凄く狭い平地に街が立っているという感じ。昔に例えるなら… 天然の要塞って感じ。もう一つは、熱海城。観光目的で建てられた城であって、歴史的には存在してない城らしい。な~んだぁ…
そして、午後にはMOA美術館に立ち寄って行った。館内撮影禁止だったので何も写真に収められなかったのだが、一つだけ写真に収めてきた。「秀吉の黄金の茶室」の復元だ。大河ドラマ・江でもお馴染みだろう。復元とは言え、暗闇の中に光り輝く茶室はかなり派手なモノに見えた。権力の象徴、って感じがした。
1泊2日のプチのんびりしたいのなら、熱海も良いoptionになりえるだろう。今回は、そんな発見があった旅行だった。また、ノンビリしたくなったら来ますっ!!
熱海って、いつも伊豆へ行くときに素通りしちゃっていた。もしかしたら人生で“初”熱海だったかも… それくらい、来た記憶がない。
行ってみて気が付いたのだが、意外と東京から近い。東海道線一本で行けて、川崎からだと100分くらいの距離。熱海から通勤している人が居る、と聞いたことはあったが、正直こんなに近いとは思わなかった。
今回の旅行は、義理の父母・義理の姉夫婦・私達家族の計 7人。さしずめ、カミさんの家族会みたいな感じ。でも、私も久しぶりだったかな… 泊ったホテルは、熱海の中心街(と言っても、メチャクチャ小さい街)のホテルが立ち並ぶ中の一つ。Family向けというより、若い女の子が多く宿泊しているという印象だった。…なので、という訳でもないだろうが、ホテル内に併設されているのはフレンチレストランしかなく、そこでdinnerをすることにした。
前菜からデザートまでのフルコース。日本人らしい繊細な味付けで和仏折衷料理という印象。Cold shrimp soupが思いのほか美味しいと印象に残っている。
Dinner後は、目の前の砂浜でちょっとした花火を楽しむ。懐かしいなぁ~、何年ぶりだろう…? 日本の夏の風物詩って感じだね。
翌朝は、ちょっとだけ早起きして恒例のジョギングへ。訪問した街をプチ観光できるから、必ず訪れた先でジョギングをする習慣だ。まぁ、正直たくさん見る場所はなかったが、2つだけ写真をパシャリ。一つは熱海のダウンタウン。山がすぐ後ろに迫っていて凄く狭い平地に街が立っているという感じ。昔に例えるなら… 天然の要塞って感じ。もう一つは、熱海城。観光目的で建てられた城であって、歴史的には存在してない城らしい。な~んだぁ…
そして、午後にはMOA美術館に立ち寄って行った。館内撮影禁止だったので何も写真に収められなかったのだが、一つだけ写真に収めてきた。「秀吉の黄金の茶室」の復元だ。大河ドラマ・江でもお馴染みだろう。復元とは言え、暗闇の中に光り輝く茶室はかなり派手なモノに見えた。権力の象徴、って感じがした。
1泊2日のプチのんびりしたいのなら、熱海も良いoptionになりえるだろう。今回は、そんな発見があった旅行だった。また、ノンビリしたくなったら来ますっ!!
2011年04月05日
台湾旅行 - 観光編
台湾旅行に来て極楽マッサージと美食だけではさすがにもったいないだろう… ってことで、ちゃんと観光にも行ってきた。後編ではそれを綴ろう。
九イ分
台北の郊外、車で1時間ちょい走った所にある有名な観光ポイント。何故有名になったかというと、宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」の舞台になった場所だ。
ホント、映画にそっくりな風景だった。こんな所が舞台になったとはねぇ。。。多分、夕方~夜にかけてくると、提灯に明かりが灯ってもっと幻想的な雰囲気になるんだと思う。
この長い階段を横断する形で、長~い路が続き、所狭しと土産物屋が並んでいる。この辺は、ゴチャゴチャした中国の雰囲気を醸し出していた。
Iさんご説明によると、「元はこの街は金鉱山として栄えた街で、その前には9軒しか家がなかったので九イ分という地名になった。その後、千と千尋…で更に有名になった」とのこと。多くの観光客で賑わっていらのも頷ける。。。ここは結構見応えあって面白いから是非行って欲しい。
逆に上から見た景色。個人的には、メキシコのTaxcoという、やはり銀鉱山で栄えた田舎町を思い出した。ちょっとガスってて見難いが、山の向こうに見える海は"Keelung"という港街があり、ここは日本が作った港を今でも利用しているらしい。
左の写真は“臭豆腐”というモノ。読んで字の如く、もの凄く強烈なニオイを発していて、正直臭い。多分発酵させているんだろう。土産物屋が並ぶ路の至る所で売られていた。ちょっと臭過ぎ… もちろん、食べられなかった。
右の写真は、“豚足ラーメン”。豚の足が結構生々しく盛り付けてある。麺はソーメンに近く、スープは入ってない。ちなみに、こちらは食べました。。。
台北市内観光
まず最初に行ったのが「中正記念堂」。まるで北朝鮮の金正日みたいに(?)、台湾興国の祖=蒋介石を祭っていた。ここを守る衛兵が時間制で交代をするのだが、その衛兵交代は観光名物の一つ。瞬き一つせず微動だにせず立つ姿は、強靭な精神力を感じた。ちなみに、台湾にも徴兵制度があるとのこと。敵国は、言うまでもがな、中国だ。
次に訪れたのが、「金門寺」という寺院。私達が訪れたタイミングは、ちょうど台湾では土-火まで4連休とのことで、月曜は「墓参り休日」、火曜は「子供の日休日」とのことだった。そのせいもあろうか、お寺には多くのお供え物と線香を片手にご先祖様を(?)お祈りする人でごった返していた。
そこで、たまたま日本語をしゃべる地元のおじいさんと出会い、懐かしい剣玉をやっていて、子供二人がやったことない剣玉に夢中になった。親日国の台湾では、日本語を喋れる人が大勢いる。多分英語よりも通じるんじゃないだろうかぁ… お年寄りは日本の占領時代に、若い世代はカルチャー的に。いずれにしても、これだけ日本語が通じることに驚いた。
次いで行ったのは「台北101」というタワー。熊谷組が建設したらしく、高さ500mある。多分ちょっと前まで世界一の高さを誇ってたんだろう。が、、、急に曇り出してきて、我々が上まで登ったら何にも見えなくなっていた。何だよぉ~、金返せ!!って感じ。ホント、何も見えなかった。。。
翌日の最終日に「故宮」という博物館へ行った。ここには色んな展示物があるのだが、これら全部 蒋介石が中国本土から逃げてくる際に全部持ってきたモノだとか… 人といい物といい、全部持ってきたんだなぁ。。。カメラ禁止で中の写真は全然撮れなかった。2時間程度でサラ~と見れるので、時間がある人は是非行ってみて欲しい。
今回、I家には本当にお世話になった。I家が居なければ、ここまで効率良く・深く台北を堪能することは出来なかったのは言うまでもない。子供同士も久しぶりの再会をして、楽しそうに遊ぶ姿は、まるで兄弟のようだった。
駐在中に知り合った人とはどこかで繋がっており、そういうご縁は今後も是非大切にして行きたい。また今度、ウチがどこかに赴任した際は是非遊びに来て下さい、Iさんファミリー。
九イ分
台北の郊外、車で1時間ちょい走った所にある有名な観光ポイント。何故有名になったかというと、宮崎駿監督の映画「千と千尋の神隠し」の舞台になった場所だ。
ホント、映画にそっくりな風景だった。こんな所が舞台になったとはねぇ。。。多分、夕方~夜にかけてくると、提灯に明かりが灯ってもっと幻想的な雰囲気になるんだと思う。
この長い階段を横断する形で、長~い路が続き、所狭しと土産物屋が並んでいる。この辺は、ゴチャゴチャした中国の雰囲気を醸し出していた。
Iさんご説明によると、「元はこの街は金鉱山として栄えた街で、その前には9軒しか家がなかったので九イ分という地名になった。その後、千と千尋…で更に有名になった」とのこと。多くの観光客で賑わっていらのも頷ける。。。ここは結構見応えあって面白いから是非行って欲しい。
逆に上から見た景色。個人的には、メキシコのTaxcoという、やはり銀鉱山で栄えた田舎町を思い出した。ちょっとガスってて見難いが、山の向こうに見える海は"Keelung"という港街があり、ここは日本が作った港を今でも利用しているらしい。
左の写真は“臭豆腐”というモノ。読んで字の如く、もの凄く強烈なニオイを発していて、正直臭い。多分発酵させているんだろう。土産物屋が並ぶ路の至る所で売られていた。ちょっと臭過ぎ… もちろん、食べられなかった。
右の写真は、“豚足ラーメン”。豚の足が結構生々しく盛り付けてある。麺はソーメンに近く、スープは入ってない。ちなみに、こちらは食べました。。。
台北市内観光
まず最初に行ったのが「中正記念堂」。まるで北朝鮮の金正日みたいに(?)、台湾興国の祖=蒋介石を祭っていた。ここを守る衛兵が時間制で交代をするのだが、その衛兵交代は観光名物の一つ。瞬き一つせず微動だにせず立つ姿は、強靭な精神力を感じた。ちなみに、台湾にも徴兵制度があるとのこと。敵国は、言うまでもがな、中国だ。
次に訪れたのが、「金門寺」という寺院。私達が訪れたタイミングは、ちょうど台湾では土-火まで4連休とのことで、月曜は「墓参り休日」、火曜は「子供の日休日」とのことだった。そのせいもあろうか、お寺には多くのお供え物と線香を片手にご先祖様を(?)お祈りする人でごった返していた。
そこで、たまたま日本語をしゃべる地元のおじいさんと出会い、懐かしい剣玉をやっていて、子供二人がやったことない剣玉に夢中になった。親日国の台湾では、日本語を喋れる人が大勢いる。多分英語よりも通じるんじゃないだろうかぁ… お年寄りは日本の占領時代に、若い世代はカルチャー的に。いずれにしても、これだけ日本語が通じることに驚いた。
次いで行ったのは「台北101」というタワー。熊谷組が建設したらしく、高さ500mある。多分ちょっと前まで世界一の高さを誇ってたんだろう。が、、、急に曇り出してきて、我々が上まで登ったら何にも見えなくなっていた。何だよぉ~、金返せ!!って感じ。ホント、何も見えなかった。。。
翌日の最終日に「故宮」という博物館へ行った。ここには色んな展示物があるのだが、これら全部 蒋介石が中国本土から逃げてくる際に全部持ってきたモノだとか… 人といい物といい、全部持ってきたんだなぁ。。。カメラ禁止で中の写真は全然撮れなかった。2時間程度でサラ~と見れるので、時間がある人は是非行ってみて欲しい。
今回、I家には本当にお世話になった。I家が居なければ、ここまで効率良く・深く台北を堪能することは出来なかったのは言うまでもない。子供同士も久しぶりの再会をして、楽しそうに遊ぶ姿は、まるで兄弟のようだった。
駐在中に知り合った人とはどこかで繋がっており、そういうご縁は今後も是非大切にして行きたい。また今度、ウチがどこかに赴任した際は是非遊びに来て下さい、Iさんファミリー。
2011年04月05日
台湾旅行 - 美食と極楽の旅
新年度になった早々(?)、久しぶりの家族海外旅行に出かけた。行き先は台湾。San Diego時代に仲良くして貰ったI家が現在台湾に駐在しており、子供同士も仲が良く、I家が居るうちに訪問しよう、ってことで行ってきた。
台湾に来るのは2回目。と言っても、1回目は8年くらい前に出張で来て1泊程度しただけだから、訪問したというレベルではなかった。なので、実質的に今回が“初めて”。
台湾って何があるの…? 行く前にガイドブックを読んでみて発見したことは、、、
マッサージ
美味しいメシ
少しだけ観光ポイント…
そう、台湾旅行と言えば「美食と極楽の旅」という言葉が最もピッタリくるイメージ。実際に行ってみて、これは間違っていないと思った。
マッサージ
足裏・オイル・全身揉み解し・頭部… ありとあらゆる種類がある感じ。1時間 1,000元(3,000円ちょい)が相場の様で、最高に気持ち良い。私は足裏+上半身を中心に、妻は足裏+全身+シャンプー頭部、って感じで、4日間の滞在で各々2回も通った。
ホント、“極楽~”という以外の表現が見つからない。
食事
元々日本人の口に合う中華料理。Iさんの説明によると、「昔蒋介石が国民党を率いて台湾に逃れてきた際、有能な人材を一緒に連れてきた。その中に多くの料理人も含まれていて、それが理由で台湾料理には旨いモノが多い」とのこと。へぇ~。
この4日間、昼夜問わず食いつくした品々は、、、
台湾料理レストラン(初日ディナー)
小龍包、ブタの角煮。小龍包はこの後にも何回も食した。No doubtで旨い!! ブタの角煮を中華パンと一緒に食べるのだが、これが絶品。日本風より更にタレが濃い味なので、中華風パンに絶妙に合う。
極品軒(→ 名前からして旨そう~)
100 台北市衡陽路18号
Tel 02-2388-5880
台湾料理レストラン(2日目ディナー)
鶏のスープ、海老チリ風おこげごはん。鶏のスープは、トロトロ濃厚スープで最高に旨い。日本の「天下一品」というラーメン屋をご存じの方なら、あのスープの味に近い味と思って貰うと話が早い。女性的には「コラーゲンたっぷり」で美味しい逸品だろう。
海老チリ風おこげごはんも、見た目以上におこげご飯と海老チリソースが絡んで旨い逸品だ。
鶏富(→ 鶏がメインメニューのレストランの様だ…)
台北市敦化南路二段81巷63号
Tel 2704-3038
台湾料理レストラン(3日目ディナー)
鶏揚げ with トウガラシ。ここは四川料理レストラン。四川料理と言えば、辛いモノのオンパレードで、この料理も頷ける。これ以外で、写真を取るのを忘れてしまった + 名前も忘れてしまったのだが、ご飯のフリカケ感覚で食べるひき肉+青ネギ+他が美味しかった。この逸品、Take outして日本まで持って帰ってきたほどだ。それ以外では、玉子豆腐揚げも、辛い料理の中にあってプレーンな味で逆に印象深かった。麻婆豆腐も頼んだが、これはちょっと山椒が効き過ぎ。山椒って掛け過ぎると辛いモノだとは知らなかった…
皇城老馬(→ 四川料理レストラン)
台北市対案品延吉街97巷5号
Tel 02-2773-6936
飲茶レストラン(3日目と4日目のランチ)
フカヒレ姿スープ、焼きソバ、チャーシュー。食べ過ぎて全部は載せられない… フカヒレスープは何とも贅沢な逸品だろう。これで3000円くらい。日本で頼んだら一万円くらいはするんじゃないかぁ… 小龍包、蒸しモノ系、炒め物系など完全に食べ過ぎ状態…
完全に食べ過ぎの4日間だった。驚いたのが、昼も夜もあんまり値段が変わらないことだった。我々が食い過ぎなのかも知れない… 多分ランチから豪華に行きすぎたせいもあるのだろう。別の言い方をすると、ディナーは食べた割には安かったという印象。ま、いずれにししても美食三昧だったのは言うまでもない。
料理の友となるお酒だが、、、Iさんによると「台湾の人はあまり食事中にお酒を飲まない」とのこと。最初は不思議に思ったが、食していく中で気が付いたのが、これだけ食事が旨いと食事に没頭してしまい、お酒を飲むのをついつい忘れてしまいがち。実際、私もこの4日間じゃお酒はあまり飲まなかった。
そんな中で、多少飲んできたお酒は、、、
①台湾ビール。味的には淡白で薄味。料理が濃いと普通ビールの味も比例するものだが、、、珍しい。
②Kaoliang。58度のお酒。キツイが、正直テキーラの方が飲んだ時に喉に感じる度合いは高かった。凍るくらいキンキンに冷やして飲むようだ。アルコール度数高くて、トロ~リとしている。飲んだのは「金門」という台湾でも有名な場所で造られた逸品。料理には良く合う。
③紹興酒。今回はこれを飲むチャンスは無かったが、Iさんから「飲まないのでお土産にどうぞ」と頂いた一本。熱燗でライムと共に飲むと美味いらしい。今週末、早速やってみよう。。。
あと、台湾ではお茶が盛んだ。お茶屋さんに行ったのだが、多種の茶葉があって選ぶのに苦労する。おつまみと一緒に飲むのだが、このおつまみが実は結構美味い。お茶よりもお酒に良く合いそうなおつまみだった。私は、お茶よりこのおつまみをお土産に買って帰った。。。
食事に関しては、沢山あり過ぎて書くのが大変なくらいだ。ホント、美食・極楽ツアーだった。
一応観光もしたので、次の回でチラっと書いておこうと思う。長くなるから、取り敢えずこの回は終了。。。
台湾に来るのは2回目。と言っても、1回目は8年くらい前に出張で来て1泊程度しただけだから、訪問したというレベルではなかった。なので、実質的に今回が“初めて”。
台湾って何があるの…? 行く前にガイドブックを読んでみて発見したことは、、、
マッサージ
美味しいメシ
少しだけ観光ポイント…
そう、台湾旅行と言えば「美食と極楽の旅」という言葉が最もピッタリくるイメージ。実際に行ってみて、これは間違っていないと思った。
マッサージ
足裏・オイル・全身揉み解し・頭部… ありとあらゆる種類がある感じ。1時間 1,000元(3,000円ちょい)が相場の様で、最高に気持ち良い。私は足裏+上半身を中心に、妻は足裏+全身+シャンプー頭部、って感じで、4日間の滞在で各々2回も通った。
ホント、“極楽~”という以外の表現が見つからない。
食事
元々日本人の口に合う中華料理。Iさんの説明によると、「昔蒋介石が国民党を率いて台湾に逃れてきた際、有能な人材を一緒に連れてきた。その中に多くの料理人も含まれていて、それが理由で台湾料理には旨いモノが多い」とのこと。へぇ~。
この4日間、昼夜問わず食いつくした品々は、、、
台湾料理レストラン(初日ディナー)
小龍包、ブタの角煮。小龍包はこの後にも何回も食した。No doubtで旨い!! ブタの角煮を中華パンと一緒に食べるのだが、これが絶品。日本風より更にタレが濃い味なので、中華風パンに絶妙に合う。
極品軒(→ 名前からして旨そう~)
100 台北市衡陽路18号
Tel 02-2388-5880
台湾料理レストラン(2日目ディナー)
鶏のスープ、海老チリ風おこげごはん。鶏のスープは、トロトロ濃厚スープで最高に旨い。日本の「天下一品」というラーメン屋をご存じの方なら、あのスープの味に近い味と思って貰うと話が早い。女性的には「コラーゲンたっぷり」で美味しい逸品だろう。
海老チリ風おこげごはんも、見た目以上におこげご飯と海老チリソースが絡んで旨い逸品だ。
鶏富(→ 鶏がメインメニューのレストランの様だ…)
台北市敦化南路二段81巷63号
Tel 2704-3038
台湾料理レストラン(3日目ディナー)
鶏揚げ with トウガラシ。ここは四川料理レストラン。四川料理と言えば、辛いモノのオンパレードで、この料理も頷ける。これ以外で、写真を取るのを忘れてしまった + 名前も忘れてしまったのだが、ご飯のフリカケ感覚で食べるひき肉+青ネギ+他が美味しかった。この逸品、Take outして日本まで持って帰ってきたほどだ。それ以外では、玉子豆腐揚げも、辛い料理の中にあってプレーンな味で逆に印象深かった。麻婆豆腐も頼んだが、これはちょっと山椒が効き過ぎ。山椒って掛け過ぎると辛いモノだとは知らなかった…
皇城老馬(→ 四川料理レストラン)
台北市対案品延吉街97巷5号
Tel 02-2773-6936
飲茶レストラン(3日目と4日目のランチ)
フカヒレ姿スープ、焼きソバ、チャーシュー。食べ過ぎて全部は載せられない… フカヒレスープは何とも贅沢な逸品だろう。これで3000円くらい。日本で頼んだら一万円くらいはするんじゃないかぁ… 小龍包、蒸しモノ系、炒め物系など完全に食べ過ぎ状態…
完全に食べ過ぎの4日間だった。驚いたのが、昼も夜もあんまり値段が変わらないことだった。我々が食い過ぎなのかも知れない… 多分ランチから豪華に行きすぎたせいもあるのだろう。別の言い方をすると、ディナーは食べた割には安かったという印象。ま、いずれにししても美食三昧だったのは言うまでもない。
料理の友となるお酒だが、、、Iさんによると「台湾の人はあまり食事中にお酒を飲まない」とのこと。最初は不思議に思ったが、食していく中で気が付いたのが、これだけ食事が旨いと食事に没頭してしまい、お酒を飲むのをついつい忘れてしまいがち。実際、私もこの4日間じゃお酒はあまり飲まなかった。
そんな中で、多少飲んできたお酒は、、、
①台湾ビール。味的には淡白で薄味。料理が濃いと普通ビールの味も比例するものだが、、、珍しい。
②Kaoliang。58度のお酒。キツイが、正直テキーラの方が飲んだ時に喉に感じる度合いは高かった。凍るくらいキンキンに冷やして飲むようだ。アルコール度数高くて、トロ~リとしている。飲んだのは「金門」という台湾でも有名な場所で造られた逸品。料理には良く合う。
③紹興酒。今回はこれを飲むチャンスは無かったが、Iさんから「飲まないのでお土産にどうぞ」と頂いた一本。熱燗でライムと共に飲むと美味いらしい。今週末、早速やってみよう。。。
あと、台湾ではお茶が盛んだ。お茶屋さんに行ったのだが、多種の茶葉があって選ぶのに苦労する。おつまみと一緒に飲むのだが、このおつまみが実は結構美味い。お茶よりもお酒に良く合いそうなおつまみだった。私は、お茶よりこのおつまみをお土産に買って帰った。。。
食事に関しては、沢山あり過ぎて書くのが大変なくらいだ。ホント、美食・極楽ツアーだった。
一応観光もしたので、次の回でチラっと書いておこうと思う。長くなるから、取り敢えずこの回は終了。。。
2011年01月09日
冬休み 終盤戦 2- 関西旅行と再会
終盤戦その2は旅行記。
まずは年の瀬・31日に実家の神戸へ移動。これまでは夏休みに成田に到着したその足で乗り継いで伊丹に向かって…みたいな感じだったが、今回は完璧に冬。しかもちょうど西日本に寒波が来てる時で(→記憶に新しい鳥取で記録的な大雪が降って閉じ込められた日)、伊丹に着いた時に機内アナウンスは“2度”とのこと。東京よりか全然寒いって感じだった。
そして元旦。久しぶりのおせち料理を楽しむ。
これこれ、やっぱ日本のお正月はおせちを外せないよ。こんなおせちを食べたのは、それこそ6年ぶりくらいだ。ん~、旨い!!
その後は、これまた定番の初詣へ。
御影地元の元住吉神社。超有名…という訳じゃないと思うが、さすが元旦だけあって人・人・人。。。結局詣でるまで40分並んだ。
正月二日目は、カミさんと二人で京都を散策。神戸からだと電車で約1時間という近さ。やっぱ「正月の時期に京都」って何だか乙な感じだし、今京都は坂本龍馬ブームで沸いているとのだったので、折角関西に居るからということで行ってきた。
今book storeでこういう本も売っている。ガイドブックもテーマを持って書かれてあると、メチャクチャいっぱいある京都の観光ポイントもいつもとは違った風に見える。今回は“龍馬・新撰組と一緒に京都めぐり”をしてきた。
京都と言えば鴨川。今も昔も変わらないゆっくりとした流れだ。
その鴨川にかかる三条大橋。ちょっと小さくて見難らいかもしれないが、真ん中の色が濃くなっている所は刀で切った傷が付けられてある。池田屋騒動の時に新撰組が付けたと言われている。。。
その池田屋騒動の跡地。今は居酒屋になっているのはいかにも京都らしい。池田屋騒動とは、幕末のクーデター未遂事件で新撰組が阻止したことで名前が一躍全国区になったらしい。
二条城。有名な大政奉還が15代将軍・徳川慶喜によって発表された場所だ。
桂小五郎の像。ホテルオークラの前に建つ。この人も幕末には欠かせない人だろう。長州藩士で、長州藩が一時幕府・薩摩藩と京都で戦争を起こした時も一人京都に潜伏して京都の状況を長州藩に伝えていたらしい。後に薩長同盟を結んだ人・改名して木戸孝光としても知られている。
京都御所の西側にある蛤門。 長州 vs 幕府・薩摩連合軍の戦の時に、長州側が最も御所まで迫ったポイント。今でも門にその時の銃弾の跡が残っている。当時の天皇は、その迫力に失神したと記されてあった。相当凄かったんだろうねぇ。。。
ここが龍馬最期の地・近江屋の跡地。 ここも今ではコンビニになっているから京都らしい。。。ここの2階で中岡慎太郎と一緒にいる所を何者かに惨殺された。京都見廻組の犯行という話が今では有力で、「勝海舟が黒幕だ」というテレビ番組を正月特番で見た。後者はどこまで本当か分からないが…
さすが1000年の都・京都、「歴史的な場所・建物の宝庫」だなぁ。
そして3日~4日にかけて、徳島・鳴門へ温泉ツアーに行ってきた。で、その途中で倉敷に立ち寄った。
倉敷の美観地区の写真。忘れてしまったくらい昔に来たことがったが、それ以来の訪問。小京都を思わせる街並みは、良い季節に来たらきっとキレイな写真が撮れるんだろうなぁ~、と思った。
やっぱキビ団子は名物らしい。。。街の至る所で売られている。
ここにも数多くの銘柄の地酒が。試飲して美味しかったから、ついつい一本買ってしまった。
星野仙一監督は倉敷の出身で、お土産屋とセットになった“星野仙一ミュージアム”があった。
鳴門のホテルからの風景。泊まったホテルはXiv鳴門という会員制のリゾートホテル。両親が会員で良く利用するらしい。瀬戸内海を見渡せる高台に立っていて、ゴルフこースも併設されている豪華なホテルだ。
正月と気分を盛り上げる為だろう…ホテルないに“金屏風に日本酒の樽”が置かれてあった。
このホテルの売りは食事。この日は中華のコースを頼んだが、創作中華って感じで美味しい。少々値段は高いのだが、値段と味のバランスは本当に取れている。
北海道・神戸・京都・倉敷・鳴門・淡路島、、、この冬休みは本当に色んな所へ行くことができた。旅行という点ではこれまでと変わりはないのだが、久しぶりに温泉・日本の正月を満喫することが出来た。来年はどこでvacationを楽しんでいるのだろうかなぁ・・・
まずは年の瀬・31日に実家の神戸へ移動。これまでは夏休みに成田に到着したその足で乗り継いで伊丹に向かって…みたいな感じだったが、今回は完璧に冬。しかもちょうど西日本に寒波が来てる時で(→記憶に新しい鳥取で記録的な大雪が降って閉じ込められた日)、伊丹に着いた時に機内アナウンスは“2度”とのこと。東京よりか全然寒いって感じだった。
そして元旦。久しぶりのおせち料理を楽しむ。
これこれ、やっぱ日本のお正月はおせちを外せないよ。こんなおせちを食べたのは、それこそ6年ぶりくらいだ。ん~、旨い!!
その後は、これまた定番の初詣へ。
御影地元の元住吉神社。超有名…という訳じゃないと思うが、さすが元旦だけあって人・人・人。。。結局詣でるまで40分並んだ。
正月二日目は、カミさんと二人で京都を散策。神戸からだと電車で約1時間という近さ。やっぱ「正月の時期に京都」って何だか乙な感じだし、今京都は坂本龍馬ブームで沸いているとのだったので、折角関西に居るからということで行ってきた。
今book storeでこういう本も売っている。ガイドブックもテーマを持って書かれてあると、メチャクチャいっぱいある京都の観光ポイントもいつもとは違った風に見える。今回は“龍馬・新撰組と一緒に京都めぐり”をしてきた。
京都と言えば鴨川。今も昔も変わらないゆっくりとした流れだ。
その鴨川にかかる三条大橋。ちょっと小さくて見難らいかもしれないが、真ん中の色が濃くなっている所は刀で切った傷が付けられてある。池田屋騒動の時に新撰組が付けたと言われている。。。
その池田屋騒動の跡地。今は居酒屋になっているのはいかにも京都らしい。池田屋騒動とは、幕末のクーデター未遂事件で新撰組が阻止したことで名前が一躍全国区になったらしい。
二条城。有名な大政奉還が15代将軍・徳川慶喜によって発表された場所だ。
桂小五郎の像。ホテルオークラの前に建つ。この人も幕末には欠かせない人だろう。長州藩士で、長州藩が一時幕府・薩摩藩と京都で戦争を起こした時も一人京都に潜伏して京都の状況を長州藩に伝えていたらしい。後に薩長同盟を結んだ人・改名して木戸孝光としても知られている。
京都御所の西側にある蛤門。 長州 vs 幕府・薩摩連合軍の戦の時に、長州側が最も御所まで迫ったポイント。今でも門にその時の銃弾の跡が残っている。当時の天皇は、その迫力に失神したと記されてあった。相当凄かったんだろうねぇ。。。
ここが龍馬最期の地・近江屋の跡地。 ここも今ではコンビニになっているから京都らしい。。。ここの2階で中岡慎太郎と一緒にいる所を何者かに惨殺された。京都見廻組の犯行という話が今では有力で、「勝海舟が黒幕だ」というテレビ番組を正月特番で見た。後者はどこまで本当か分からないが…
さすが1000年の都・京都、「歴史的な場所・建物の宝庫」だなぁ。
そして3日~4日にかけて、徳島・鳴門へ温泉ツアーに行ってきた。で、その途中で倉敷に立ち寄った。
倉敷の美観地区の写真。忘れてしまったくらい昔に来たことがったが、それ以来の訪問。小京都を思わせる街並みは、良い季節に来たらきっとキレイな写真が撮れるんだろうなぁ~、と思った。
やっぱキビ団子は名物らしい。。。街の至る所で売られている。
ここにも数多くの銘柄の地酒が。試飲して美味しかったから、ついつい一本買ってしまった。
星野仙一監督は倉敷の出身で、お土産屋とセットになった“星野仙一ミュージアム”があった。
鳴門のホテルからの風景。泊まったホテルはXiv鳴門という会員制のリゾートホテル。両親が会員で良く利用するらしい。瀬戸内海を見渡せる高台に立っていて、ゴルフこースも併設されている豪華なホテルだ。
正月と気分を盛り上げる為だろう…ホテルないに“金屏風に日本酒の樽”が置かれてあった。
このホテルの売りは食事。この日は中華のコースを頼んだが、創作中華って感じで美味しい。少々値段は高いのだが、値段と味のバランスは本当に取れている。
北海道・神戸・京都・倉敷・鳴門・淡路島、、、この冬休みは本当に色んな所へ行くことができた。旅行という点ではこれまでと変わりはないのだが、久しぶりに温泉・日本の正月を満喫することが出来た。来年はどこでvacationを楽しんでいるのだろうかなぁ・・・
2011年01月09日
冬休み 終盤戦 1- 関西旅行と再会
遂に冬休みも終盤戦へと突入した。終盤戦のテーマは「関西・西日本旅行」と「久しぶりの再会だ。」長くなりそうなので、2回に分けて書こうと思う。
最初は「久しぶりの再会」編
今回久しぶりの再会を果たしたのは、San Diego時代のテニス友達・N家とOn家。
N家と会うのは、我々がSDを離れた時以来だから、約4年ぶりくらいかぁ。現在は鹿児島在住・在勤で、今回は私達から「鹿本場鹿児島の美味しい焼酎が飲みたい」と連絡をしたことから実現した。実際は、N家が年末年始に東京へ帰省するということで東京での再会となった。
お互い子供の成長に感心しつつ、親たちは相変わらずの感じ。鹿児島の生活ぶりを聞くと面白い話がたくさん。中でも印象に残ったのが…
●テニスは200円/1時間、しかも子供が一緒なら半額の100円!! 200円でも十分安いのに100円とは… 家族テニスを楽しみN家は当然100円で楽しめる + コートはいつ行っても空いているとのこと。東京のテニス環境(高い・コート取れない)と比べると、なんちゅうー環境の良さだ。。。
●居酒屋では100円で焼酎が飲み放題!! えぇ~!!?? N家曰く、「100円の飲み放題の焼酎は大して美味しくない」。でも100円ですよ~!! 東京では絶対にあり得ないプライス。さすが焼酎王国と感心しきり!!
●焼酎の飲み方は“お湯割り”のみで、梅干しとかは入れない。 作り方にもコツがあり、最初にお湯をグラスに注ぎ次いで焼酎を入れる。こうすることで焼酎独特の香りを楽しむことが出来るとのこと。私も実際にやってみたが、確かに焼酎の良い香りを楽しむことが出来た。焼酎ってこれほど香りが良かったのかぁ…という新たな発見もあった。鹿児島では、焼酎をオーダーする際に“5:5”とか“6:4”と頼むそうだ。前者がお湯の量・後者が焼酎の量だとのこと。次回鹿児島に行く時は“通”っぽくこれを覚えておこう。。。
●車の代行サービスはタクシー x 1.2倍。東京では滅多にお目にかかれない車の代行サービスだが、地方では生活必需品だろう。車2台・人2人のサービスだから結構高いのかと思いきや意外に低料金。東京でいうタクシーの深夜割増って感じ…? 結構頻繁に利用してるみたい。。。
東京とは事情の違う色んな話を聞いて、次回は必ず鹿児島での再会を約束してこの日はお開きとした。絶対に焼酎を飲みに行こうと思う。。。
On家との再会は、彼らが在住・在勤の淡路島で実現した。後述するが、今回我が家が四国・徳島鳴門へ温泉旅行に行った帰りに淡路島に立ち寄った。
私は、正直な所、これまで素通りばかりで淡路島を訪れたことはなかった。On家も言っていたが、みんな淡路島を素通りして徳島 or 神戸へ行くのだと。実際、淡路島の真ん中くらいにある洲本(→2002年の日韓W杯の時にUK代表が宿泊地に選んだ所と言えば話が早い)という一番大きな街から神戸三宮まではバスで1時間弱。予想以上に近い距離だと思った。
On家曰く、「実は淡路には色んな特産物がある。全部食べて行って」。連れて行って貰った小料理屋で食べたのは、、、
左から「鯛ラーメン、鯛・たこメシ、淡路牛のタタキ」。これ、全部淡路島の特産とのこと。淡路牛は少しだけ知っていたけど、それ以外も全部なの…? これ以外ではタマネギが有名な特産物とのことだ。
鯛ラーメンは、鯛の頭部が丸ごと一匹入った豪快な逸品。ラーメンもニュウメンに近い柔らかい独特の食感があった。
淡路牛は、実は種牛となって神戸などへ輸出しているらしい。ブランド的には圧倒的にKOBE BEEFなのだが… 全然違う例えだが、「神戸牛がマツタケ・淡路牛はシメジ」って感じ…? ま、何はともあれ味は柔らかくて申し分なく美味しかった。
食事後、子供たちがサッカーをしたいと言うから広場でオヤジたちもお付き合い。寒い中良くやったよ… でもたらふく食べたお腹のモノが程良く消化できた。子供的には、このサッカーが一番の満足、って感じだろう。。。
意外だったが(→ On家、失礼…)、淡路がこれほどの食材の宝庫だということ。加えて地酒もあるとのことで、次回来る時は1泊しなきゃダメだろう。
今回N家・On家と再会して思ったのが、やっぱその土地に行って会った方が満足度も高いモノになるということ。次回は是非鹿児島へ行って焼酎を飲まないと!! 次のターゲットは「鹿児島・焼酎ツアー」と決まった。
(次回に関西・西日本旅行記を書こう)
最初は「久しぶりの再会」編
今回久しぶりの再会を果たしたのは、San Diego時代のテニス友達・N家とOn家。
N家と会うのは、我々がSDを離れた時以来だから、約4年ぶりくらいかぁ。現在は鹿児島在住・在勤で、今回は私達から「鹿本場鹿児島の美味しい焼酎が飲みたい」と連絡をしたことから実現した。実際は、N家が年末年始に東京へ帰省するということで東京での再会となった。
お互い子供の成長に感心しつつ、親たちは相変わらずの感じ。鹿児島の生活ぶりを聞くと面白い話がたくさん。中でも印象に残ったのが…
●テニスは200円/1時間、しかも子供が一緒なら半額の100円!! 200円でも十分安いのに100円とは… 家族テニスを楽しみN家は当然100円で楽しめる + コートはいつ行っても空いているとのこと。東京のテニス環境(高い・コート取れない)と比べると、なんちゅうー環境の良さだ。。。
●居酒屋では100円で焼酎が飲み放題!! えぇ~!!?? N家曰く、「100円の飲み放題の焼酎は大して美味しくない」。でも100円ですよ~!! 東京では絶対にあり得ないプライス。さすが焼酎王国と感心しきり!!
●焼酎の飲み方は“お湯割り”のみで、梅干しとかは入れない。 作り方にもコツがあり、最初にお湯をグラスに注ぎ次いで焼酎を入れる。こうすることで焼酎独特の香りを楽しむことが出来るとのこと。私も実際にやってみたが、確かに焼酎の良い香りを楽しむことが出来た。焼酎ってこれほど香りが良かったのかぁ…という新たな発見もあった。鹿児島では、焼酎をオーダーする際に“5:5”とか“6:4”と頼むそうだ。前者がお湯の量・後者が焼酎の量だとのこと。次回鹿児島に行く時は“通”っぽくこれを覚えておこう。。。
●車の代行サービスはタクシー x 1.2倍。東京では滅多にお目にかかれない車の代行サービスだが、地方では生活必需品だろう。車2台・人2人のサービスだから結構高いのかと思いきや意外に低料金。東京でいうタクシーの深夜割増って感じ…? 結構頻繁に利用してるみたい。。。
東京とは事情の違う色んな話を聞いて、次回は必ず鹿児島での再会を約束してこの日はお開きとした。絶対に焼酎を飲みに行こうと思う。。。
On家との再会は、彼らが在住・在勤の淡路島で実現した。後述するが、今回我が家が四国・徳島鳴門へ温泉旅行に行った帰りに淡路島に立ち寄った。
私は、正直な所、これまで素通りばかりで淡路島を訪れたことはなかった。On家も言っていたが、みんな淡路島を素通りして徳島 or 神戸へ行くのだと。実際、淡路島の真ん中くらいにある洲本(→2002年の日韓W杯の時にUK代表が宿泊地に選んだ所と言えば話が早い)という一番大きな街から神戸三宮まではバスで1時間弱。予想以上に近い距離だと思った。
On家曰く、「実は淡路には色んな特産物がある。全部食べて行って」。連れて行って貰った小料理屋で食べたのは、、、
左から「鯛ラーメン、鯛・たこメシ、淡路牛のタタキ」。これ、全部淡路島の特産とのこと。淡路牛は少しだけ知っていたけど、それ以外も全部なの…? これ以外ではタマネギが有名な特産物とのことだ。
鯛ラーメンは、鯛の頭部が丸ごと一匹入った豪快な逸品。ラーメンもニュウメンに近い柔らかい独特の食感があった。
淡路牛は、実は種牛となって神戸などへ輸出しているらしい。ブランド的には圧倒的にKOBE BEEFなのだが… 全然違う例えだが、「神戸牛がマツタケ・淡路牛はシメジ」って感じ…? ま、何はともあれ味は柔らかくて申し分なく美味しかった。
食事後、子供たちがサッカーをしたいと言うから広場でオヤジたちもお付き合い。寒い中良くやったよ… でもたらふく食べたお腹のモノが程良く消化できた。子供的には、このサッカーが一番の満足、って感じだろう。。。
意外だったが(→ On家、失礼…)、淡路がこれほどの食材の宝庫だということ。加えて地酒もあるとのことで、次回来る時は1泊しなきゃダメだろう。
今回N家・On家と再会して思ったのが、やっぱその土地に行って会った方が満足度も高いモノになるということ。次回は是非鹿児島へ行って焼酎を飲まないと!! 次のターゲットは「鹿児島・焼酎ツアー」と決まった。
(次回に関西・西日本旅行記を書こう)
2010年12月30日
冬休み 中盤戦 - 北海道旅行
さぁ、冬休みも早くも中盤戦に突入。まず最初の旅行は、北海道旅行だ。
この旅行、海外に居た時からすんごい憧れがあった。寒い冬の時期に温泉に入って旨い肴と一緒に熱燗をグイっと飲む… これがここ数年憧れていた。我が家の日本里帰りは、子供の夏休みの時期だからいつも夏、冬は逆に夏を求めてラテンへ南下と、冬の日本には縁が無かったからだ。で、今回選んだ先が北海道だった。
今回は2泊3日の札幌だけのshort stay。残念ながら温泉は無かったけど、寒い季節に旨い肴と旨い酒は申し分ないほどある土地だ。Rは友達と一緒に(生まれて初めての)スキー合宿に送っておいたので、カミさんとだけの久しぶりの夫婦旅行。合宿先から緊急連絡とか掛かってくるなよぉ~、と道中祈りながらも途中からRのことなどすっかり忘れて、北海道を楽しんできた。
札幌に着いて早々に飛び込んできたのが
寒~い!! でも憧れていた雰囲気満点!!
初日
この日は到着したのが夕方だったので、スケジュールは夕食のみだった。悩んだ挙句に選んだアイテムは蟹料理。
まずはレストランの入り口で蟹の生簀が我々を迎えてくれた。全部旨そう~。この時点でかなりの食べる気満々モード。
次々に運ばれてくる蟹料理たち。左から「カニみそ焼き・毛ガニ・ズワイガニ寿司 + カニみそ寿司」。どれも旨すぎる~。。。
お酒は千歳鶴という札幌の地酒。お恥ずかしながら、これまで北海道の地酒って全然知らなかった。後述するが、今回の訪問で色々とあるということを知った。味としてはスッキリ系の味。辛口が好きな人には少々物足りないかも…
あ、そうそう、、、やっぱ「ビールは地元サッポロ」ですね。。。
二日目
札幌の市内観光。今回の主な目的は「飲み食い」だったが、折角来たしね、って感じで。。。でも、色々と勉強になる発見もあった。
まず訪れたのが旧道庁舎。雪の中に建つ赤レンガの庁舎は雰囲気満点。
で、、、この庁舎の中にあった博物館で発見したのが、この地酒リスト。元がアイヌの人達だったから全然地酒という印象を持っていなかったのだが、北海道ってこんなにたくさんの地酒がったのかぁ~と初めて知った、へぇ…。土地は広大だから、種類が豊富でも不思議ではない。
次に訪れたのは、お馴染みの時計台。まだ現役で時を刻んでいるみたい。札幌という都会のビル群の中にポツンと取り残された時計台もレトロな雰囲気を抜群に醸し出していた!!
で、次がテレビ塔。要はサッポロの東京タワーってことだ。ここの展望台(=高さ90m)からの景色… どこかで見たことあるなぁ…? と思ってたら、札幌雪まつりの時に良く見かける写真のアングルだった。この通りのことを大通り公園と言うらしい。夜は見事にライトアップされ別の顔を見せてくれていたので、一枚パシャリ!!
この日、最後に訪れたのが地酒ミュージアム。入って直ぐにあったのが、地下150mより汲み上げている地下水の展示。「水質は米と並ぶお酒の命で、札幌にはこの地下水があるからここで生産するんだ」という説明にはついつい納得!!
中は大したことないミュージアムなんだが、最後のタダで試飲が出来るのは。寒いから、取り敢えず片っ端から飲みまくった。基本的な味は上述の通りサッパリ系。辛口だと勧められた銘柄も、私はサッパリ系だと思った。結局、ここで今年秋に収穫された米で造った千歳鶴をご購入。一本1,200円くらいと超安い!! ちなみに、右から2番目の写真の一番左のヤツです。
カミさんがどうしても酒粕ソフトクリームを食べたいということでオーダー。不思議な味で、全然甘くなく酒飲みにも行けるんじゃないか、という一品。
この日は、札幌市の郊外にある場外市場まで足を運んだ。要はサッポロの築地だ。目的は、ウニ丼を食べること・蟹をお土産に買うこと。
これです、ウニイクラ丼!! 何とも贅沢なドンブリだろう。これで一杯で、3,000円弱と東京じゃ有り得ない価格でしょう。満足~。。。
場外市場の中には、100mくらいに渡って道路の両側に観光客向けのカニ・ウニ・イクラなど土産物 + レストランが密集している。一番驚いたのが、実はホッケ。サイズが半端無い。いつも居酒屋で注文するサイズの倍はある。これは食い応え満点だ。我が家も、ここで友達に頼まれた分も含めて大量購入。見事にはめられている。。。
は、ご当地きのこの山・あずき味。十勝産あずきを100%使用とのことで、北海道限定だと、へぇ~。
この日のメインイベントは(またも?)夕食。旨い寿司が食べたくて、ガイドブックから厳選して選らんだ店はススキノにあるすし屋のさい藤という店。
店内は、カウンター席 x 8名 + 個室 x 2-3室とこじんまりした作り。
“おまかせ”でオーダーした前半戦の品々。ヒラメ昆布〆 → トリ貝 → キンキ → 〆サバ → コハダの順。意外と言っては失礼だが、キンキが一番のヒット作。炙って塩・ゆずを振った味はサッパリとした中に塩味がきいていて抜群の味。
間に入ったのが、フグの白子。白子と思えぬ大きさながら、ゆずを振った味は超サッパリ系。これぞ酒の肴という逸品。
後半戦は、ズケ → シャコ → トロ → イクラ → ウニの順。シャコは、私のリクエストで急遽入れて貰った。最後の三品は、写真からその旨さが伝わってくるだろう。
もう少し堪能したかったのでお勧めを聞いたら、活きボタン海老を勧められた。さばいて貰った時は本当にまだ生きていた。写真で尾の部分が少しブレているのは、跳ねていたから。でも、プリプリで旨かった。
キンキは印象に残った逸品で、もう一度行きたくなった。この日の中で最も印象に残った逸品だと思う。
最後は、アナゴで〆。このアナゴもかなり柔らかい上質の逸品。
この日の地酒は北斗随想という小樽(→確か…?)の地酒。千歳鶴より辛口だが飲みやすい味わい。
この日 握って頂いた方・小林さん。東京からの観光客・憧れてた旅行である旨を聞いて、満足度の高いネタとサービスを提供してくれた。美味しかったです、御馳走様。
すし屋のさい藤
札幌市中央区南六条西4丁目 プラザ6・4ビル1F(駅前通り)
Tel:011-513-622
http://www.sushisaito.jp/
もし札幌を訪れる機会があれば、お勧めの店ですので是非行ってみて下さい。
ススキノの夜の風景とラーメン横丁。旨そうな店が所狭しと並んでいたが、さすがにこの日はラーメンを食べて帰る気にはなれないほど寿司で満足してた。
三日目
この日は昼過ぎのフライトで東京に帰る予定になっていたので、最後にラーメンを食べて帰ろうということになった。
ガイドブックから厳選した店はラーメン零というススキノの手前にある狸小路というアーケード内にあるお店。
ここの名物は炙り焼きチャーシュウ
厚さ2cmはあろうかという分厚く巨大なチャーシュウが写真からも分かるだろう。ざっと1500kcalってところか… 食べ応え抜群の逸品。これで950円とは安すぎる!! 東京なら1300円は下らないだろう。。。
ってな感じで、食を中心に十二分に堪能した満足度の高い旅行だった。カミさんはジンギスカンを食べ損ねたと言ってたが、腹八分(→ こんだけ食ってどこが??? という感じだが…)で止めておくくらいが良かろうね。あと一日居たら間違いなくデブになってたよ。。。 ちなみに、、、東京に帰ってきた今朝は早速ジョギングで汗をいつも以上に流した。
さぁ、明日から最も長い終盤戦に突入だ。
この旅行、海外に居た時からすんごい憧れがあった。寒い冬の時期に温泉に入って旨い肴と一緒に熱燗をグイっと飲む… これがここ数年憧れていた。我が家の日本里帰りは、子供の夏休みの時期だからいつも夏、冬は逆に夏を求めてラテンへ南下と、冬の日本には縁が無かったからだ。で、今回選んだ先が北海道だった。
今回は2泊3日の札幌だけのshort stay。残念ながら温泉は無かったけど、寒い季節に旨い肴と旨い酒は申し分ないほどある土地だ。Rは友達と一緒に(生まれて初めての)スキー合宿に送っておいたので、カミさんとだけの久しぶりの夫婦旅行。合宿先から緊急連絡とか掛かってくるなよぉ~、と道中祈りながらも途中からRのことなどすっかり忘れて、北海道を楽しんできた。
札幌に着いて早々に飛び込んできたのが
寒~い!! でも憧れていた雰囲気満点!!
初日
この日は到着したのが夕方だったので、スケジュールは夕食のみだった。悩んだ挙句に選んだアイテムは蟹料理。
まずはレストランの入り口で蟹の生簀が我々を迎えてくれた。全部旨そう~。この時点でかなりの食べる気満々モード。
次々に運ばれてくる蟹料理たち。左から「カニみそ焼き・毛ガニ・ズワイガニ寿司 + カニみそ寿司」。どれも旨すぎる~。。。
お酒は千歳鶴という札幌の地酒。お恥ずかしながら、これまで北海道の地酒って全然知らなかった。後述するが、今回の訪問で色々とあるということを知った。味としてはスッキリ系の味。辛口が好きな人には少々物足りないかも…
あ、そうそう、、、やっぱ「ビールは地元サッポロ」ですね。。。
二日目
札幌の市内観光。今回の主な目的は「飲み食い」だったが、折角来たしね、って感じで。。。でも、色々と勉強になる発見もあった。
まず訪れたのが旧道庁舎。雪の中に建つ赤レンガの庁舎は雰囲気満点。
で、、、この庁舎の中にあった博物館で発見したのが、この地酒リスト。元がアイヌの人達だったから全然地酒という印象を持っていなかったのだが、北海道ってこんなにたくさんの地酒がったのかぁ~と初めて知った、へぇ…。土地は広大だから、種類が豊富でも不思議ではない。
次に訪れたのは、お馴染みの時計台。まだ現役で時を刻んでいるみたい。札幌という都会のビル群の中にポツンと取り残された時計台もレトロな雰囲気を抜群に醸し出していた!!
で、次がテレビ塔。要はサッポロの東京タワーってことだ。ここの展望台(=高さ90m)からの景色… どこかで見たことあるなぁ…? と思ってたら、札幌雪まつりの時に良く見かける写真のアングルだった。この通りのことを大通り公園と言うらしい。夜は見事にライトアップされ別の顔を見せてくれていたので、一枚パシャリ!!
この日、最後に訪れたのが地酒ミュージアム。入って直ぐにあったのが、地下150mより汲み上げている地下水の展示。「水質は米と並ぶお酒の命で、札幌にはこの地下水があるからここで生産するんだ」という説明にはついつい納得!!
中は大したことないミュージアムなんだが、最後のタダで試飲が出来るのは。寒いから、取り敢えず片っ端から飲みまくった。基本的な味は上述の通りサッパリ系。辛口だと勧められた銘柄も、私はサッパリ系だと思った。結局、ここで今年秋に収穫された米で造った千歳鶴をご購入。一本1,200円くらいと超安い!! ちなみに、右から2番目の写真の一番左のヤツです。
カミさんがどうしても酒粕ソフトクリームを食べたいということでオーダー。不思議な味で、全然甘くなく酒飲みにも行けるんじゃないか、という一品。
この日は、札幌市の郊外にある場外市場まで足を運んだ。要はサッポロの築地だ。目的は、ウニ丼を食べること・蟹をお土産に買うこと。
これです、ウニイクラ丼!! 何とも贅沢なドンブリだろう。これで一杯で、3,000円弱と東京じゃ有り得ない価格でしょう。満足~。。。
場外市場の中には、100mくらいに渡って道路の両側に観光客向けのカニ・ウニ・イクラなど土産物 + レストランが密集している。一番驚いたのが、実はホッケ。サイズが半端無い。いつも居酒屋で注文するサイズの倍はある。これは食い応え満点だ。我が家も、ここで友達に頼まれた分も含めて大量購入。見事にはめられている。。。
は、ご当地きのこの山・あずき味。十勝産あずきを100%使用とのことで、北海道限定だと、へぇ~。
この日のメインイベントは(またも?)夕食。旨い寿司が食べたくて、ガイドブックから厳選して選らんだ店はススキノにあるすし屋のさい藤という店。
店内は、カウンター席 x 8名 + 個室 x 2-3室とこじんまりした作り。
“おまかせ”でオーダーした前半戦の品々。ヒラメ昆布〆 → トリ貝 → キンキ → 〆サバ → コハダの順。意外と言っては失礼だが、キンキが一番のヒット作。炙って塩・ゆずを振った味はサッパリとした中に塩味がきいていて抜群の味。
間に入ったのが、フグの白子。白子と思えぬ大きさながら、ゆずを振った味は超サッパリ系。これぞ酒の肴という逸品。
後半戦は、ズケ → シャコ → トロ → イクラ → ウニの順。シャコは、私のリクエストで急遽入れて貰った。最後の三品は、写真からその旨さが伝わってくるだろう。
もう少し堪能したかったのでお勧めを聞いたら、活きボタン海老を勧められた。さばいて貰った時は本当にまだ生きていた。写真で尾の部分が少しブレているのは、跳ねていたから。でも、プリプリで旨かった。
キンキは印象に残った逸品で、もう一度行きたくなった。この日の中で最も印象に残った逸品だと思う。
最後は、アナゴで〆。このアナゴもかなり柔らかい上質の逸品。
この日の地酒は北斗随想という小樽(→確か…?)の地酒。千歳鶴より辛口だが飲みやすい味わい。
この日 握って頂いた方・小林さん。東京からの観光客・憧れてた旅行である旨を聞いて、満足度の高いネタとサービスを提供してくれた。美味しかったです、御馳走様。
すし屋のさい藤
札幌市中央区南六条西4丁目 プラザ6・4ビル1F(駅前通り)
Tel:011-513-622
http://www.sushisaito.jp/
もし札幌を訪れる機会があれば、お勧めの店ですので是非行ってみて下さい。
ススキノの夜の風景とラーメン横丁。旨そうな店が所狭しと並んでいたが、さすがにこの日はラーメンを食べて帰る気にはなれないほど寿司で満足してた。
三日目
この日は昼過ぎのフライトで東京に帰る予定になっていたので、最後にラーメンを食べて帰ろうということになった。
ガイドブックから厳選した店はラーメン零というススキノの手前にある狸小路というアーケード内にあるお店。
ここの名物は炙り焼きチャーシュウ
厚さ2cmはあろうかという分厚く巨大なチャーシュウが写真からも分かるだろう。ざっと1500kcalってところか… 食べ応え抜群の逸品。これで950円とは安すぎる!! 東京なら1300円は下らないだろう。。。
ってな感じで、食を中心に十二分に堪能した満足度の高い旅行だった。カミさんはジンギスカンを食べ損ねたと言ってたが、腹八分(→ こんだけ食ってどこが??? という感じだが…)で止めておくくらいが良かろうね。あと一日居たら間違いなくデブになってたよ。。。 ちなみに、、、東京に帰ってきた今朝は早速ジョギングで汗をいつも以上に流した。
さぁ、明日から最も長い終盤戦に突入だ。
2010年12月29日
冬休み 序盤戦 - テニス三昧とクリスマス
ここ数年、例年ならこの時期はラテン諸国のどこかに夏を求めて旅行に行っていたが、今年は久しぶりに日本に滞在して冬の"お正月"を楽しむことにした。
早々と22日には仕事納め・23日より冬休みへと突入した。この辺のスケジュールは、海外に居た時と同じ。ま、良いとこ取りって感じで…
いつもなら、1.5週間かけてロングバケーションに出ているのがパターンだったが、今年は「序盤戦・中盤戦・終盤戦」とスケジュールを3つに分けた。日本に居ると色んな所に行きたくなるからね…忘れないうちに序盤戦を書いておこう。
まずは、23日から3日間連続でテニス三昧。毎日2~4時間、シングルスを散々楽しんだ。この3日間は相手にも非常に恵まれ、本当にテニスをガッツリ楽しめた。ちょっと残念だったのは、自分の調子がいまいちだったこと + 強風という悪コンディションだったこと、の2つだろう。ま、この辺も含めてテニスなんだが、、、スコアは、
第一日:私 4-6, 4-6 相手
第二日:私 1-6, 6-4,4-6 相手
第三日:私 5-7, 2-3 相手
と珍しく(?)負け越し。相手も強かったのだが、結果・中身ともに自分としてはいまいちだった。特に得意のはずのフォアがいまいちフォームのバランスが崩れている感があり、これを修正しないと勝てないだろう。早いところ修正せねば…
そして24日はクリスマスイブ。例年だと、この日はいつもフライト移動日。何故ならフライトがガラガラでコストも安いなるから。息子Rは、サンタさんからのXmasプレゼンとをいつも旅行中楽しみにしていて、帰ってきたら嬉しそうに受け取るというパターンだった。
今年は、久しぶりに我が家でカミさんの両親を招待してXmas partyを催した。
やっぱXmasと言えばターキーでしょう。近くの高級(?)スーパーで買ってきた。でも、やっぱ日本サイズで小さいね。。。
ステーキはコスコで買ってきたモノ。アメリカと同じサイズで売ってるから驚いた。キッシュはカミさんの得意料理。この日のお酒は、肉料理ということでやっぱ赤ワインでしょう。
みんなでのpartyは、やっぱ楽しいねぇ。。。
そうそう、サンタの話。今年小学校3年生になった息子R。どうやらそろそろサンタの存在に気が付いてきたようだ。海外に居るとそういう情報って遅れ気味(→ 良く言えば純粋に育つ)のだが、日本に居ると情報源がたくさんあるから自然とどこからか本当のことを知るようになってしまう。多分、どこかで聞いてきたんだろう。見てるとまだ半信半疑みたいだが、騙せるのは今年が最後かなぁ…と思った。息子の成長に一喜一憂とはこのことなんだろうなぁ。。。
序盤戦はこんな感じ。中盤戦・終盤戦は主に旅行記となるから、また長くなりそうだ。
早々と22日には仕事納め・23日より冬休みへと突入した。この辺のスケジュールは、海外に居た時と同じ。ま、良いとこ取りって感じで…
いつもなら、1.5週間かけてロングバケーションに出ているのがパターンだったが、今年は「序盤戦・中盤戦・終盤戦」とスケジュールを3つに分けた。日本に居ると色んな所に行きたくなるからね…忘れないうちに序盤戦を書いておこう。
まずは、23日から3日間連続でテニス三昧。毎日2~4時間、シングルスを散々楽しんだ。この3日間は相手にも非常に恵まれ、本当にテニスをガッツリ楽しめた。ちょっと残念だったのは、自分の調子がいまいちだったこと + 強風という悪コンディションだったこと、の2つだろう。ま、この辺も含めてテニスなんだが、、、スコアは、
第一日:私 4-6, 4-6 相手
第二日:私 1-6, 6-4,4-6 相手
第三日:私 5-7, 2-3 相手
と珍しく(?)負け越し。相手も強かったのだが、結果・中身ともに自分としてはいまいちだった。特に得意のはずのフォアがいまいちフォームのバランスが崩れている感があり、これを修正しないと勝てないだろう。早いところ修正せねば…
そして24日はクリスマスイブ。例年だと、この日はいつもフライト移動日。何故ならフライトがガラガラでコストも安いなるから。息子Rは、サンタさんからのXmasプレゼンとをいつも旅行中楽しみにしていて、帰ってきたら嬉しそうに受け取るというパターンだった。
今年は、久しぶりに我が家でカミさんの両親を招待してXmas partyを催した。
やっぱXmasと言えばターキーでしょう。近くの高級(?)スーパーで買ってきた。でも、やっぱ日本サイズで小さいね。。。
ステーキはコスコで買ってきたモノ。アメリカと同じサイズで売ってるから驚いた。キッシュはカミさんの得意料理。この日のお酒は、肉料理ということでやっぱ赤ワインでしょう。
みんなでのpartyは、やっぱ楽しいねぇ。。。
そうそう、サンタの話。今年小学校3年生になった息子R。どうやらそろそろサンタの存在に気が付いてきたようだ。海外に居るとそういう情報って遅れ気味(→ 良く言えば純粋に育つ)のだが、日本に居ると情報源がたくさんあるから自然とどこからか本当のことを知るようになってしまう。多分、どこかで聞いてきたんだろう。見てるとまだ半信半疑みたいだが、騙せるのは今年が最後かなぁ…と思った。息子の成長に一喜一憂とはこのことなんだろうなぁ。。。
序盤戦はこんな感じ。中盤戦・終盤戦は主に旅行記となるから、また長くなりそうだ。
2010年09月24日
Silver week 後半戦
連休の後半戦、まずはテニスの話から。
火曜のテニスは、結局参加人数が多くてダブルスに特化。週末とはまた異なるタイプのメンバーが集まって6時間ぶっ通しで楽しむ。
時間が長くって何試合したのか覚えてないくらい… 多分9~10試合くらいはしたと思う。一つだけはっきり覚えているのは、「負けたのは1試合だけ・残りは全部勝ち切った「ということくらい。結構暑かったこと・対戦相手のレベルなどを考えると、"負けなかったこと"は評価しても良いだろう(それなら、全勝で乗り切れよ、とも言われそうだが…)。
木曜のテニスは、結局雨で中止。多分、日本に帰ってきて初めて雨で潰されたテニスとなったのではないだろうか… 元々雨の予報で諦めモードだったので、それ程大きなインパクトにはならず。
そして、この日を境に、気温が一段と下がって20度くらいになった。結構肌寒い感じがするくらいまで温度が落ちてきた。もう少し”徐々に…”気温が変わって貰いたいのだが。。。
水-木は、カミさんの両親と赤坂プリンスホテルにて宿泊。元々ホテル好きのお義父さん。今回、赤坂プリンスがもう直ぐ老朽化のために取り壊しになるということで、食事+宿泊のプロモーションプランを出していて行くことになった。
食事は、久しぶりにホテルのバイキングを食べた。みんな”元を取れ”と言わんばかりの勢いでジャカジャカ食べた。普段よりは食べたと思うけど、まぁ、この歳になってくると、そうそう元が取れるもんでもないなぁ。。。飲み放題と合わせて、ちょっと勿体無いという気がした。
結局の所、Silver weekと言っても、子供の学校はカレンダー通りにあるから遠出も出来ない、休暇を取ったオヤジにとってはテニスがいつもより多く出来る楽しい週だった、という感じだ。もう少し配列が良いと、また違ったんだろうけどね。。。
火曜のテニスは、結局参加人数が多くてダブルスに特化。週末とはまた異なるタイプのメンバーが集まって6時間ぶっ通しで楽しむ。
時間が長くって何試合したのか覚えてないくらい… 多分9~10試合くらいはしたと思う。一つだけはっきり覚えているのは、「負けたのは1試合だけ・残りは全部勝ち切った「ということくらい。結構暑かったこと・対戦相手のレベルなどを考えると、"負けなかったこと"は評価しても良いだろう(それなら、全勝で乗り切れよ、とも言われそうだが…)。
木曜のテニスは、結局雨で中止。多分、日本に帰ってきて初めて雨で潰されたテニスとなったのではないだろうか… 元々雨の予報で諦めモードだったので、それ程大きなインパクトにはならず。
そして、この日を境に、気温が一段と下がって20度くらいになった。結構肌寒い感じがするくらいまで温度が落ちてきた。もう少し”徐々に…”気温が変わって貰いたいのだが。。。
水-木は、カミさんの両親と赤坂プリンスホテルにて宿泊。元々ホテル好きのお義父さん。今回、赤坂プリンスがもう直ぐ老朽化のために取り壊しになるということで、食事+宿泊のプロモーションプランを出していて行くことになった。
食事は、久しぶりにホテルのバイキングを食べた。みんな”元を取れ”と言わんばかりの勢いでジャカジャカ食べた。普段よりは食べたと思うけど、まぁ、この歳になってくると、そうそう元が取れるもんでもないなぁ。。。飲み放題と合わせて、ちょっと勿体無いという気がした。
結局の所、Silver weekと言っても、子供の学校はカレンダー通りにあるから遠出も出来ない、休暇を取ったオヤジにとってはテニスがいつもより多く出来る楽しい週だった、という感じだ。もう少し配列が良いと、また違ったんだろうけどね。。。
2010年08月26日
夏休み #1
今週前半は夏休みだった。これだけ暑いと本当に夏休みが欲しくなるくらい、うだるような暑さが続いている。
今年の夏休みは、両親が関西から孫Rの顔を見に上京してきた。ここ6年くらいは我が家が関西に里帰りをするというパターンだったから、今年は”逆バージョン”ということか。。。
Rは、大はしゃぎで夏休み終盤を過ごしている。
毎晩、PS3のサッカーゲームを、素人のジジ・ババ相手にやる。が、、、相手は素人のくせに勝てない。私とやるといつも負けるから、勝てる相手と思ったのだろうがまだまだ甘いっ!!
昨日はジジ・ババと楽しそうに池袋のナンジャタウンへ出掛けて行った。足の悪いババにはちょっと辛いかなぁ…と思ったけど、無事に元気に帰ってきて楽しく遊べたようだ。
家族では、これまで散々旅行してきたから、今年は少し大人しく近場で過ごすことにして、Rが観たいという映画・Best Kidを観に行っただけ。両親が来ているということもあってか、毎日のように外食も続いているからね。。。
今週が終わると、Rは長かった夏休みが終了する。宿題はちゃんと終わってるのかぁ~???
タイトルで「夏休み #1」と書いたのは、まだ9月に#2が待っているから。日本にはSilver weekというGolden weekに匹敵する長期休みが9月にあり、そこで「夏休み 第二弾」を取る予定だ。残暑は残っているだろうが、ここまでは暑さはないだろう… 9月はどっか地方旅行に行こうっと。。。
今年の夏休みは、両親が関西から孫Rの顔を見に上京してきた。ここ6年くらいは我が家が関西に里帰りをするというパターンだったから、今年は”逆バージョン”ということか。。。
Rは、大はしゃぎで夏休み終盤を過ごしている。
毎晩、PS3のサッカーゲームを、素人のジジ・ババ相手にやる。が、、、相手は素人のくせに勝てない。私とやるといつも負けるから、勝てる相手と思ったのだろうがまだまだ甘いっ!!
昨日はジジ・ババと楽しそうに池袋のナンジャタウンへ出掛けて行った。足の悪いババにはちょっと辛いかなぁ…と思ったけど、無事に元気に帰ってきて楽しく遊べたようだ。
家族では、これまで散々旅行してきたから、今年は少し大人しく近場で過ごすことにして、Rが観たいという映画・Best Kidを観に行っただけ。両親が来ているということもあってか、毎日のように外食も続いているからね。。。
今週が終わると、Rは長かった夏休みが終了する。宿題はちゃんと終わってるのかぁ~???
タイトルで「夏休み #1」と書いたのは、まだ9月に#2が待っているから。日本にはSilver weekというGolden weekに匹敵する長期休みが9月にあり、そこで「夏休み 第二弾」を取る予定だ。残暑は残っているだろうが、ここまでは暑さはないだろう… 9月はどっか地方旅行に行こうっと。。。
2010年04月08日
セマナサンタ旅行 - New York
今年もセマナサンタ休暇の時期がやってきた。去年はメキシコのビーチリゾートへ行ったが、今年はカミさんがミュージカルを見たいということでニューヨークへ行ってきた。
ニューヨークは、僕ら夫婦にとっては思い出の場所なのだ。10数年前、私が初めて海外で仕事をする機会をつかんだのがニューヨーク。そしてその時に2人での生活をスタートさせたのも、ここニューヨーク。私はアメリカ駐在時代に1~2度ほど出張で来たことがあったので4年ぶりって所だったが、カミさんは住んでいた頃以来だから10数年ぶりだったらしい。
とにかく、金さえあればいくらでも楽しめる街、ニューヨーク。コストは高かったけど、4日間しっかりと遊んできた。
初日
移動で完全に潰れた。NJ側のニューアーク空港から乗ったバスがサービス悪い上に時間かかり過ぎ + 夕方の大渋滞にはまってしまい、空港→マンハッタンまで3時間を要した。このバスサービス、2度と使うか!!と思った。
2日目
ショッピングもマンハッタンの楽しみの一つ。ショッピングを楽しんだ後は、セントラルパークを散策しつつ、西側にあるアメリカ自然歴史博物館へ。息子が動物・恐竜系が大好きなので見学。
はく製にされているので、大人が見ても迫力がある。写真でみたら本物みたいだ。
その後、セントラルパークを再び散策。
風景的にはまだまだ新緑には程遠く寂しいのだが、公園と高層ビル群が写真には良く映える。
驚いたのが、セントラルパーク内のあちこちに桜の木が植えられていてちょうど満開になっていたのだ。日本を離れて5年以上が過ぎ、桜を見れたのは6年ぶりくらいだろう。朝、パーク内をジョギングしていて発見した。思いがけない風景だった。
パノラマ写真・・・ これは迫力があるなぁ。。。
3日目
朝早起きして、マンハッタンの最南端にある自由の女神がある島へ行こうとした。が、、、ついて早々、船に乗るための大行列。なんと2時間待ちだという。アホらしいので、写真だけバッテリーパークから取って、さっさとチャイナタウンへ飲茶を食べに行った。
なんでこんなに大人気なんだろう・・・
飲茶・・・ 最高に旨かった。。。でも、値段はサンディエゴに比べて少し高め。ただ、サンディエゴにはないチャイナタウンは風景的には面白い。
実はこの後、息子と2人で強烈に歩いた。。。いつもと変わらず、飲茶を食べ過ぎた私たちは腹を減らそうとブラブラと散歩を始めた。カミさんはショッピングに行きたいと言うが、私と息子は全然興味なし。あまりにも腹がいっぱいだったのと、普段メキシコで全然歩かない生活を強いられている息子を歩かせたいと思い、ホテルがある52丁目まで歩いて帰ろう! と提案。ちなみに、その時に私たちが居たのは1丁目の辺り。その前に中華街から1丁目まで歩いてきたから、実質10 + 50丁 = 60丁分くらい歩いた計算だ。距離に換算すると5-6kmくらいはあったろう。
乗せられた息子と一緒にテクテクと歩いていった。道路を渡る度に数字を見てしまうから、逆に遠く感じたというのが本音。。。最後は息子も「疲れたぁ・・・」と言いながら2人で頑張って歩き通した。よく頑張った、と50丁目にある鎌倉吉兆で大好きなあんこのお菓子を買ってあげた。歩くと街がもっと良く見えてくるから、私は歩く・ジョギングが好きだ。
その日の夜がラストナイトということもあって、夜はWickedというミュージカルを見に行った。
有名なオズの魔法使いが作られた背景を後付けでミュージカルにしたストーリーだ。監視が厳しくて中々写真が取れず。最後に2枚だけパシャリ。生でみたミュージカルは迫力があったなぁ。。。
4日目
夕方3時くらいまで時間があったので、ロックフェラーセンタービルの展望台へ。
ロックフェラーセンターって、ビルの容姿が美しいと思う。まだスケートリンクがあった。。。確かに夜は肌寒かったが、冬という感じではなかった。ちょっと時期外れにも見えた。
パノラマ写真・・・ 良いねぇ、迫力があって。
その他、マンハッタンを散策してパシャった写真。。。
カルティエのお店の前で結婚指輪と共にパシャリ。10数年前に、なけなしのお金を出してここで指輪を買ったことを思い出した。
ホント、マンハッタンって色んな顔があるなぁ。。。言葉も色んな言語が聞こえてきたなぁ。。。今理解できるのは日・英・スペイン語の3つ。イタリア語・ポルトガル語・フランス語までなら理解出来なくても何となく感覚で分かる。
最後に、マンハッタンで食べた食事。もちろん、和食だ。
面白い発見だったのは、ウニ。西海岸ではウニはとても美味しくって有名なのだが、実は北東部のメーン州沖でも取れるらしい。メーン州のウニの方が、少し塩味が効いているが味がしっかりしているという感じだった。個人的はメーン州産の方が美味しいと思った。寿司屋でオーダーした際に、間違えてカリフォルニア産を持ってきたので、ラッキーにも2種を食べ比べることが出来た。カリフォルニア産はタダでおまけにして貰った。
日本酒・ダッサイとイモ焼酎・天杯。程よい価格で種類が豊富なのが嬉しい。メキシコでは有り得ないよ、この種類は。
最後に息子の写真を2枚パシャリ。この旅行ではよく頑張って歩いたと思う。メキシコ生活の1年分くらいは歩いたんじゃなかろうか・・・と大袈裟だが、そのくらい歩いた。頑張ったな、R。
ふぅ~、旅行記って、いつも長くなってしまうなぁ。。。
ニューヨークは、僕ら夫婦にとっては思い出の場所なのだ。10数年前、私が初めて海外で仕事をする機会をつかんだのがニューヨーク。そしてその時に2人での生活をスタートさせたのも、ここニューヨーク。私はアメリカ駐在時代に1~2度ほど出張で来たことがあったので4年ぶりって所だったが、カミさんは住んでいた頃以来だから10数年ぶりだったらしい。
とにかく、金さえあればいくらでも楽しめる街、ニューヨーク。コストは高かったけど、4日間しっかりと遊んできた。
初日
移動で完全に潰れた。NJ側のニューアーク空港から乗ったバスがサービス悪い上に時間かかり過ぎ + 夕方の大渋滞にはまってしまい、空港→マンハッタンまで3時間を要した。このバスサービス、2度と使うか!!と思った。
2日目
ショッピングもマンハッタンの楽しみの一つ。ショッピングを楽しんだ後は、セントラルパークを散策しつつ、西側にあるアメリカ自然歴史博物館へ。息子が動物・恐竜系が大好きなので見学。
はく製にされているので、大人が見ても迫力がある。写真でみたら本物みたいだ。
その後、セントラルパークを再び散策。
風景的にはまだまだ新緑には程遠く寂しいのだが、公園と高層ビル群が写真には良く映える。
驚いたのが、セントラルパーク内のあちこちに桜の木が植えられていてちょうど満開になっていたのだ。日本を離れて5年以上が過ぎ、桜を見れたのは6年ぶりくらいだろう。朝、パーク内をジョギングしていて発見した。思いがけない風景だった。
パノラマ写真・・・ これは迫力があるなぁ。。。
3日目
朝早起きして、マンハッタンの最南端にある自由の女神がある島へ行こうとした。が、、、ついて早々、船に乗るための大行列。なんと2時間待ちだという。アホらしいので、写真だけバッテリーパークから取って、さっさとチャイナタウンへ飲茶を食べに行った。
なんでこんなに大人気なんだろう・・・
飲茶・・・ 最高に旨かった。。。でも、値段はサンディエゴに比べて少し高め。ただ、サンディエゴにはないチャイナタウンは風景的には面白い。
実はこの後、息子と2人で強烈に歩いた。。。いつもと変わらず、飲茶を食べ過ぎた私たちは腹を減らそうとブラブラと散歩を始めた。カミさんはショッピングに行きたいと言うが、私と息子は全然興味なし。あまりにも腹がいっぱいだったのと、普段メキシコで全然歩かない生活を強いられている息子を歩かせたいと思い、ホテルがある52丁目まで歩いて帰ろう! と提案。ちなみに、その時に私たちが居たのは1丁目の辺り。その前に中華街から1丁目まで歩いてきたから、実質10 + 50丁 = 60丁分くらい歩いた計算だ。距離に換算すると5-6kmくらいはあったろう。
乗せられた息子と一緒にテクテクと歩いていった。道路を渡る度に数字を見てしまうから、逆に遠く感じたというのが本音。。。最後は息子も「疲れたぁ・・・」と言いながら2人で頑張って歩き通した。よく頑張った、と50丁目にある鎌倉吉兆で大好きなあんこのお菓子を買ってあげた。歩くと街がもっと良く見えてくるから、私は歩く・ジョギングが好きだ。
その日の夜がラストナイトということもあって、夜はWickedというミュージカルを見に行った。
有名なオズの魔法使いが作られた背景を後付けでミュージカルにしたストーリーだ。監視が厳しくて中々写真が取れず。最後に2枚だけパシャリ。生でみたミュージカルは迫力があったなぁ。。。
4日目
夕方3時くらいまで時間があったので、ロックフェラーセンタービルの展望台へ。
ロックフェラーセンターって、ビルの容姿が美しいと思う。まだスケートリンクがあった。。。確かに夜は肌寒かったが、冬という感じではなかった。ちょっと時期外れにも見えた。
パノラマ写真・・・ 良いねぇ、迫力があって。
その他、マンハッタンを散策してパシャった写真。。。
カルティエのお店の前で結婚指輪と共にパシャリ。10数年前に、なけなしのお金を出してここで指輪を買ったことを思い出した。
ホント、マンハッタンって色んな顔があるなぁ。。。言葉も色んな言語が聞こえてきたなぁ。。。今理解できるのは日・英・スペイン語の3つ。イタリア語・ポルトガル語・フランス語までなら理解出来なくても何となく感覚で分かる。
最後に、マンハッタンで食べた食事。もちろん、和食だ。
面白い発見だったのは、ウニ。西海岸ではウニはとても美味しくって有名なのだが、実は北東部のメーン州沖でも取れるらしい。メーン州のウニの方が、少し塩味が効いているが味がしっかりしているという感じだった。個人的はメーン州産の方が美味しいと思った。寿司屋でオーダーした際に、間違えてカリフォルニア産を持ってきたので、ラッキーにも2種を食べ比べることが出来た。カリフォルニア産はタダでおまけにして貰った。
日本酒・ダッサイとイモ焼酎・天杯。程よい価格で種類が豊富なのが嬉しい。メキシコでは有り得ないよ、この種類は。
最後に息子の写真を2枚パシャリ。この旅行ではよく頑張って歩いたと思う。メキシコ生活の1年分くらいは歩いたんじゃなかろうか・・・と大袈裟だが、そのくらい歩いた。頑張ったな、R。
ふぅ~、旅行記って、いつも長くなってしまうなぁ。。。
2010年02月04日
突発的にSan Diego旅行!?
2月1日はメキシコの祝日だった。あれ、、、何の日だっけ??? ま、いっか。どんな理由であれ祝日は嬉しいからね。
今回は何処行ったかかと言うと、、、またSan Diegoに行ってしまった。。。
実は今回の旅行、全然計画的な旅行ではなかった。年始に毎年恒例のLas Vegas出張から帰ってきてカミさんに、「今から取れるかどうか知らんけど、2月の連休にどっか行く?」と不意に聞いたら「Las Vegasに行きたい」との返事。たった今、Las Vegasから帰ってきた本人としては全然乗り気になれなかったのだが、カミさんたっての希望ということで旅費を急いで調べ始めた。
ところが、、、高い!!そりゃ当たり前だ。メキシコ発の料金は連休料金、おまけに完全に出遅れているから安い席などあるはずがない。色々とコストシュミレーションをしてみた結果、カンクンかロス・アンジェルスまでなら何とか行けるだろうとの結論に達した。メシ・買い物などを天秤にかけて、行き先は今回も(?)ロス・サンディエゴとなった。
今回は不意に決めた旅行で全然予定もしてなかったから、気分的には散財しに行くという、ちょっと後ろめたい気持ちの方が強かった。行く前は「買い物も食事も金額を抑えよう」と話をしていた。
ところが、、、行ったら半分そんなことを忘れて、またいつもの如く財布の紐がドンドン緩んでいく。メキシコに比べて買い物・メシ天国のアメリカに来て財布の紐を締めろ、という方に無理があるだろう。さすがに3ヶ月くらい前にも来てたから欲しい物も少なくなっていたが、それでも買い物はする。一体今回はいくら使ったのか・・・? 怖くて計算できない。。。
さてメシの話。 今回珍しくメキシコで一緒に働いている同僚のHファミリーも同じ日にSan Diegoに来ていて、初日はTSURUHASHIで焼肉をガッツリ頂戴した。ここはここで、やっぱり旨い!!
そして2~3日目にかけては、San Diegoに来て食べなきゃいけないのは、やっぱウニ!! ちゅーことで連日連夜の寿司屋巡りを敢行。
初日の寿司・太田寿司にて。伊勢海老に握りなんてプリプリでメチャクチャ旨い!! ウニは、後悔無き様にお一人様2貫ずつ。なんと言ってもネタが大きいのが嬉しい。
翌日はPacific Beach沿いにあるSurfsideへ。昨日しっかりウニを食べたのにここでも。。。中トロは太田寿司よりも旨かった。寿司に合うのはやっぱ冷酒、スルスルと喉を潤してくれる。ホテルに帰っても買ってきた冷酒をグイっと3杯くらい飲んで酔っ払って寝る。幸せぇ~って感じ。
元々この日は居酒屋に行こうと話しをしていた。ところが、カミさんが「サンディエゴのラストナイトは寿司で〆たい」と要望。11月に来た時も同様のことを言っていたような・・・ もちろん、寿司大好きの私も異論などなく、すんなりSurfsideで決まった。また、San Diegoで家族ぐるみで仲良くして頂いていたNファミリーとも子供同士を遊ばせるのに今回も一緒させて貰ったが、もう直ぐ日本へ帰任とのことでNファミリーもラストスパートのキアが入っていた。なんと、5年間San Diegoに居ながらSurfsideに行ったことがないという。そりゃいかんだろうということで、偶然にも我が家へ同行することになった。で、結果が↑↑↑↑↑
今回の戦利品は、たぶん寿司だろう。 こんだけ食ってりゃ、当たり前だと思うが。。。買い物もしたけど、前回みたいに狙い打ち品や大物はあまり買っていない。小物が多かった。強いて挙げるなら、日本酒を5本ほど買ってきたが、それだろうな。。。
行く度に「住み易い良い場所だなぁ、メシ旨いなぁ、買い物天国だなぁ、」と思ってしまう。自分がここで昔2年ちょいしか過ごせなかったのは勿体無いと今でも思う。「また将来に赴任できる機会が巡ってくると期待したい」、とカミさんとロス行きの車の中で話をした。。。本当に今回で最後!! のはず。前回で最後だと思っていたから、今回は棚ボタみたいなものだった。さすがにこれ以上はないだろうね。。。
今回は何処行ったかかと言うと、、、またSan Diegoに行ってしまった。。。
実は今回の旅行、全然計画的な旅行ではなかった。年始に毎年恒例のLas Vegas出張から帰ってきてカミさんに、「今から取れるかどうか知らんけど、2月の連休にどっか行く?」と不意に聞いたら「Las Vegasに行きたい」との返事。たった今、Las Vegasから帰ってきた本人としては全然乗り気になれなかったのだが、カミさんたっての希望ということで旅費を急いで調べ始めた。
ところが、、、高い!!そりゃ当たり前だ。メキシコ発の料金は連休料金、おまけに完全に出遅れているから安い席などあるはずがない。色々とコストシュミレーションをしてみた結果、カンクンかロス・アンジェルスまでなら何とか行けるだろうとの結論に達した。メシ・買い物などを天秤にかけて、行き先は今回も(?)ロス・サンディエゴとなった。
今回は不意に決めた旅行で全然予定もしてなかったから、気分的には散財しに行くという、ちょっと後ろめたい気持ちの方が強かった。行く前は「買い物も食事も金額を抑えよう」と話をしていた。
ところが、、、行ったら半分そんなことを忘れて、またいつもの如く財布の紐がドンドン緩んでいく。メキシコに比べて買い物・メシ天国のアメリカに来て財布の紐を締めろ、という方に無理があるだろう。さすがに3ヶ月くらい前にも来てたから欲しい物も少なくなっていたが、それでも買い物はする。一体今回はいくら使ったのか・・・? 怖くて計算できない。。。
さてメシの話。 今回珍しくメキシコで一緒に働いている同僚のHファミリーも同じ日にSan Diegoに来ていて、初日はTSURUHASHIで焼肉をガッツリ頂戴した。ここはここで、やっぱり旨い!!
そして2~3日目にかけては、San Diegoに来て食べなきゃいけないのは、やっぱウニ!! ちゅーことで連日連夜の寿司屋巡りを敢行。
初日の寿司・太田寿司にて。伊勢海老に握りなんてプリプリでメチャクチャ旨い!! ウニは、後悔無き様にお一人様2貫ずつ。なんと言ってもネタが大きいのが嬉しい。
翌日はPacific Beach沿いにあるSurfsideへ。昨日しっかりウニを食べたのにここでも。。。中トロは太田寿司よりも旨かった。寿司に合うのはやっぱ冷酒、スルスルと喉を潤してくれる。ホテルに帰っても買ってきた冷酒をグイっと3杯くらい飲んで酔っ払って寝る。幸せぇ~って感じ。
元々この日は居酒屋に行こうと話しをしていた。ところが、カミさんが「サンディエゴのラストナイトは寿司で〆たい」と要望。11月に来た時も同様のことを言っていたような・・・ もちろん、寿司大好きの私も異論などなく、すんなりSurfsideで決まった。また、San Diegoで家族ぐるみで仲良くして頂いていたNファミリーとも子供同士を遊ばせるのに今回も一緒させて貰ったが、もう直ぐ日本へ帰任とのことでNファミリーもラストスパートのキアが入っていた。なんと、5年間San Diegoに居ながらSurfsideに行ったことがないという。そりゃいかんだろうということで、偶然にも我が家へ同行することになった。で、結果が↑↑↑↑↑
今回の戦利品は、たぶん寿司だろう。 こんだけ食ってりゃ、当たり前だと思うが。。。買い物もしたけど、前回みたいに狙い打ち品や大物はあまり買っていない。小物が多かった。強いて挙げるなら、日本酒を5本ほど買ってきたが、それだろうな。。。
行く度に「住み易い良い場所だなぁ、メシ旨いなぁ、買い物天国だなぁ、」と思ってしまう。自分がここで昔2年ちょいしか過ごせなかったのは勿体無いと今でも思う。「また将来に赴任できる機会が巡ってくると期待したい」、とカミさんとロス行きの車の中で話をした。。。本当に今回で最後!! のはず。前回で最後だと思っていたから、今回は棚ボタみたいなものだった。さすがにこれ以上はないだろうね。。。
2010年01月19日
ペルー旅行 #4
ペルー旅行記の最終回、今回はペルー料理と”インカ”について綴ろう。
ペルー料理にと一口に言っても、大きく2つのタイプに分かれる。一つはクスコを中心としたアンデス料理、もう一つは海沿いの海鮮系料理(→ 何と言うんだろう・・・?)。前者から紹介しよう。
●アンデス料理
Aji de Gallina。Ajiとはどの料理にでも使うサルサ(=ソース)のこと。物によってはメチャクチャ辛かったりもするらしい。ご飯と一緒に出てきたので、カレーみたいなもの。辛くはなかった。。。
Alpaca a la Plancha。アンデス山中に生息する動物の肉。肉類が限られているアンデス山中では貴重な肉だろう。味は牛より少し癖がある感じ。マトンみたいだが、私個人的にはそれほど癖があるとは感じられなかった。
Chupe de Camarones。 Camaronesとはスペイン語でエビのこと。正確には川エビを使ったトマトソースのことで、マイルドな味わいだった。
Coroque。 正確にはアンデス料理というよりポルトガル料理だと思うが、芋はアンデス山中で沢山取れるから、アンデス料理の中に入れておこう。味的にはスーパー薄味、塩を振り掛けながら食べた。
Cuy Chactado。 Cuyとはアンデスのモルモットのこと。インカ時代は宮廷料理として振舞われていたらしい。本来は姿焼きで出てきて結構グロテスクらしいが、私が頼んだものは写真の通り跡形もない状態だった・・・ 味は、ソーセージみたいな感じで少々塩辛い、酒のツマミに合うと思った。
Trucha a la Plancha。 Truchaとはチチカカ湖に生息するマスのこと。塩で味付けしてあってサッパリ系。食感的にはサーモンとマスの間という感じ。
チチカカ湖畔の町・プーノで行ったレストラン、Ukuku。地球・・・にも載っていて、色んな国の観光客が沢山集まってきていた。
●海岸沿いの料理
こっちの方がペルー料理としては一般的には有名だろう。。。
Anticuho。 ペルーのどこででも食べられる大衆料理。牛の心臓の肉を串焼きにしたもの。焼き鳥みたいな感じだ。これ、元は黒人奴隷が作った料理らしい。様は金持ちが食べない部位を食べていたのが黒人奴隷だったということだ。
Cebiche。 ペルー料理で最も有名だろう。魚介類をタマネギ・香辛料・レモン汁であえたもの。美味い!!
Conchita a la Parmesana。 ホタテにパルメザンチーズをかけて焼いたもの。2夜連続で食べたくらい美味かった!!
Lomo Saltado。 これまたペルーではどこででも食べたれる大衆料理。牛肉の野菜炒めという感じ。
名前をメモるを忘れてしまった料理たち・・・ ペルー滞在中にマズイと思った料理は一つも無かったので、こいつらも美味かったはずだ。。。多分、右二つはSopa de Mariscos(=魚介のスープ)だと思う。
●アルコール
右がCerveza Cusquena、左がCerveza Pilsen。Cusquenaはクスコ市内に工場があり、Pilsen同様にペルー全土で飲める全国区のビール。
ブドウで造った蒸留酒・Pisco。アルコール度数40度とかなり高い。メキシコのテキーラ(ブランコ)に味が似てると思った。最初は飲みやすいのだが、調子に乗って飲んでると直ぐに酔っぱらってしまう。リマの酒屋で聞いたのだが、Don Santiagoというブランドが一番評判が良いらしい。我が家も2本ゲットしてメキシコに持って帰ってきた。
最後に、ペルーで出会ったインカを紹介しよう。
写真の通り、とにかくインカブランドが街中の至る所にある。Inca, Inkaはどっちでも良いみたい。。。インカが国民的ヒーローブランドだと良く分かった。商売成功させたきゃインカという名前を付けろ、って感じかなぁ。。。
ちゅーう感じで10日間の旅行を満喫。一度は触れてみたい国だったから行けて良かった。これで南米の主な旅行先は全て行けた。残す行先は「ガラパゴス諸島・イースター島・ギアナ高地」などだが、メキシコに居る間に行けるかどうかは微妙な所だろうなぁ。。。
ペルー料理にと一口に言っても、大きく2つのタイプに分かれる。一つはクスコを中心としたアンデス料理、もう一つは海沿いの海鮮系料理(→ 何と言うんだろう・・・?)。前者から紹介しよう。
●アンデス料理
Aji de Gallina。Ajiとはどの料理にでも使うサルサ(=ソース)のこと。物によってはメチャクチャ辛かったりもするらしい。ご飯と一緒に出てきたので、カレーみたいなもの。辛くはなかった。。。
Alpaca a la Plancha。アンデス山中に生息する動物の肉。肉類が限られているアンデス山中では貴重な肉だろう。味は牛より少し癖がある感じ。マトンみたいだが、私個人的にはそれほど癖があるとは感じられなかった。
Chupe de Camarones。 Camaronesとはスペイン語でエビのこと。正確には川エビを使ったトマトソースのことで、マイルドな味わいだった。
Coroque。 正確にはアンデス料理というよりポルトガル料理だと思うが、芋はアンデス山中で沢山取れるから、アンデス料理の中に入れておこう。味的にはスーパー薄味、塩を振り掛けながら食べた。
Cuy Chactado。 Cuyとはアンデスのモルモットのこと。インカ時代は宮廷料理として振舞われていたらしい。本来は姿焼きで出てきて結構グロテスクらしいが、私が頼んだものは写真の通り跡形もない状態だった・・・ 味は、ソーセージみたいな感じで少々塩辛い、酒のツマミに合うと思った。
Trucha a la Plancha。 Truchaとはチチカカ湖に生息するマスのこと。塩で味付けしてあってサッパリ系。食感的にはサーモンとマスの間という感じ。
チチカカ湖畔の町・プーノで行ったレストラン、Ukuku。地球・・・にも載っていて、色んな国の観光客が沢山集まってきていた。
●海岸沿いの料理
こっちの方がペルー料理としては一般的には有名だろう。。。
Anticuho。 ペルーのどこででも食べられる大衆料理。牛の心臓の肉を串焼きにしたもの。焼き鳥みたいな感じだ。これ、元は黒人奴隷が作った料理らしい。様は金持ちが食べない部位を食べていたのが黒人奴隷だったということだ。
Cebiche。 ペルー料理で最も有名だろう。魚介類をタマネギ・香辛料・レモン汁であえたもの。美味い!!
Conchita a la Parmesana。 ホタテにパルメザンチーズをかけて焼いたもの。2夜連続で食べたくらい美味かった!!
Lomo Saltado。 これまたペルーではどこででも食べたれる大衆料理。牛肉の野菜炒めという感じ。
名前をメモるを忘れてしまった料理たち・・・ ペルー滞在中にマズイと思った料理は一つも無かったので、こいつらも美味かったはずだ。。。多分、右二つはSopa de Mariscos(=魚介のスープ)だと思う。
●アルコール
右がCerveza Cusquena、左がCerveza Pilsen。Cusquenaはクスコ市内に工場があり、Pilsen同様にペルー全土で飲める全国区のビール。
ブドウで造った蒸留酒・Pisco。アルコール度数40度とかなり高い。メキシコのテキーラ(ブランコ)に味が似てると思った。最初は飲みやすいのだが、調子に乗って飲んでると直ぐに酔っぱらってしまう。リマの酒屋で聞いたのだが、Don Santiagoというブランドが一番評判が良いらしい。我が家も2本ゲットしてメキシコに持って帰ってきた。
最後に、ペルーで出会ったインカを紹介しよう。
写真の通り、とにかくインカブランドが街中の至る所にある。Inca, Inkaはどっちでも良いみたい。。。インカが国民的ヒーローブランドだと良く分かった。商売成功させたきゃインカという名前を付けろ、って感じかなぁ。。。
ちゅーう感じで10日間の旅行を満喫。一度は触れてみたい国だったから行けて良かった。これで南米の主な旅行先は全て行けた。残す行先は「ガラパゴス諸島・イースター島・ギアナ高地」などだが、メキシコに居る間に行けるかどうかは微妙な所だろうなぁ。。。
2010年01月16日
ペルー旅行 #3
低地のリマに戻ってきた!! もうスローライフをする必要もない!! 後半戦の低地ツアーを綴って行こう。
Day-6
昨晩にリマに戻ってきて、日本食屋へ直行。アンデスツアーではアンデス郷土料理ばかり食べてたので胃が疲れてたのもあるし、リマの日本食はメキシコより美味いと聞いていたのと、何より美味い刺身が食べたかった。
ま、食べ物の話は後でまとめて書くとして・・・ この日はリマの市内観光へ。リマ自体はメキシコシティーと雰囲気が良く似ている。そりゃそうだ。両方ともスペイン人が征服して建築した街だから。ま、でも折角リマまで来たのでポイントだけは見ておこうと思い市内観光へ。
サンクリストバルの丘からリマ市内を一望。ガスっているが、これはリマ市内では普通らしい。日光不足で子供の成長にも影響を与えているとか・・・
カテドラル。ラテンの国の街ならどこにでもある風景ですね。。。
ラ・インキシシオンという宗教裁判所博物館。地球・・・と見てのチョイスだったが、意外と面白かった。スペイン人の入植でキリスト教が半ば強制的に強要された。そして、キリスト教徒でないと疑われた者は拷問を受け改宗を迫られた。館内はスペイン語のみだが、ガイドが案内してくれ蝋人形での展示があった中々分かりやすくて面白かった。拷問の風景は背筋がぞっとする感じだったが・・・
国立博物館。写真は展示の一部で、ミイラ化した頭蓋骨。その昔インカ以前の戦争の時、日本の戦国時代と同様、勝者は敗者の首を切り落として戦果を証明した。面白かったのは、その内容。口は針で閉じられ、目はくり抜かれ、耳には何かが詰められている。何故そんなことをするの・・・? と思ったが、理由は「地獄(→ そんな概念があるのか?と思ったが・・・)に行っても見ざる言わざる聞かざる状態にするため」とのこと。変わっている・・・ ちなみに、ミイラ化したのは乾燥した気候で自然になったとのこと。
リマ市内の高級住宅エリアでもあるミラフローレス地区。海岸沿いの断崖絶壁からみる景色は非常に美しく、街もキレイに整備されていた。何となくSan Diegoを思い出させる雰囲気ですごく印象的な風景だった。やっぱ、海に近いっていいなぁ。。。
リマに滞在したのは正味1.5日くらい。夜・昼・夜と3回リマで食事をする機会に恵まれたが、この後もペルー料理が続くであろうと想定して、全て日本食屋へ行った。そのうちのひとつはTOSHIROというレストラン。今は世界的に有名なレストラン、NOBUのオーナーの松下さんと一緒に修行をしたという小西さんという方がオーナーで、ペルーでは最も有名な日本人らしい。ラテンでもその名前は響き渡っている。頭ツルツルの声の高いオヤジって感じだったが、一緒にいったOファミリーとも知り合いで、昼メシだったけど色々と料理業界の裏話などを聞くことが出来て面白かった。
TOSHIROで食べた一品、クエのあぶり(日本名は確か鯛だったと思う・・・)。ポン酢で食べたが、さっぱり味にポン酢のすっぱさが非常にマッチしていて感動するお味でした。昼間から贅沢にこんなモン食べて、ご馳走さま~って感じでひた。
Day-7~10
朝早くにリマを出発、目指すはリマから300km南に下ったビーチリゾート、パラカス。
(おぉ~、やっとパノラマ写真がまともに掲載できた。。。)
車で3.5時間、遂に到着~!!
海自体はアカプルコみたいな感じで決してキレイではなくクラゲがいるというので泳げなかったが、街中から離れていたので、プールでのんびり過ごすには良いリゾートホテルだった。何より一昨日までアンデスの山の中で高地生活をしていたから非常に気持ち良く思えた。
ここで、Oファミリーと3泊4日、子供たちもはしゃぎまくって楽しく過ごした。。。
そして、Feliz Ano 2010!!
その日の夜は皆で飲みまくって、新年はノンベェ状態で迎えた。写真でも分かるが、目があっちにいっちゃってるなぁ。。。
夜中0時になると花火が至る所であがり、ろうそくの火で作った紙製の気球がドンドン空へ舞い上がって行った。ペルー人は・・・ 当然フィエスタ。夜中まで盛り上がっていた。その辺はメキシコ人と似ていて、ラテン人共通ということかぁ。。。
そして、、、楽しみにしていたナスカの地上絵フライトへ行ってきた。妻やOファミリーはセスナが怖いからという理由で来なかったが、私からみれば「折角ペルーまで来て有名なナスカの地上絵を見ないで帰るのは機会損失だよ」って感じだ。
12人乗りのセスナに乗ってvamonos!! 私もこのサイズのセスナは初めて乗ったが、セスナって横揺れすると言うより、お尻が振れるって感じだった。
上空1000mくらいまで上昇した時の空の青さが印象的で写真を一枚パシャリ、地形の自然な造詣が美しくってまたまた写真を一枚パシャリ。
ってな感じで1時間くらいフライトしたら見えてきました、地上絵が!!
手 と 木 (2つ)
ハチドリ
ペリカン (多分・・・)
クモ
パリワナ(多分・・・)
宇宙人 or 宇宙飛行士
小さいサイズの写真じゃちょっと見えにくいかもしれない。。。この写真を見やすくする為にセスナは右に左に約45度くらい傾いている。これでセスナ酔いをする人が多いんだけど。。。
でも本当に不思議な絵だった。誰がいつ頃何の為に書いたのか、未だに謎らしい。道路が横断したり風化して傷ついたりで状態が悪化していると聞いている。いつ見れなくなってしまうかもしれないから、見れる内に見ておいた方が良いと思った。
という感じで、パラカス・ナスカの4日間を楽しく過ごしてリマへ帰ってきた。次回にペルーで出会った面白い物と食事について書いてみようと思う。
(続く)
Day-6
昨晩にリマに戻ってきて、日本食屋へ直行。アンデスツアーではアンデス郷土料理ばかり食べてたので胃が疲れてたのもあるし、リマの日本食はメキシコより美味いと聞いていたのと、何より美味い刺身が食べたかった。
ま、食べ物の話は後でまとめて書くとして・・・ この日はリマの市内観光へ。リマ自体はメキシコシティーと雰囲気が良く似ている。そりゃそうだ。両方ともスペイン人が征服して建築した街だから。ま、でも折角リマまで来たのでポイントだけは見ておこうと思い市内観光へ。
サンクリストバルの丘からリマ市内を一望。ガスっているが、これはリマ市内では普通らしい。日光不足で子供の成長にも影響を与えているとか・・・
カテドラル。ラテンの国の街ならどこにでもある風景ですね。。。
ラ・インキシシオンという宗教裁判所博物館。地球・・・と見てのチョイスだったが、意外と面白かった。スペイン人の入植でキリスト教が半ば強制的に強要された。そして、キリスト教徒でないと疑われた者は拷問を受け改宗を迫られた。館内はスペイン語のみだが、ガイドが案内してくれ蝋人形での展示があった中々分かりやすくて面白かった。拷問の風景は背筋がぞっとする感じだったが・・・
国立博物館。写真は展示の一部で、ミイラ化した頭蓋骨。その昔インカ以前の戦争の時、日本の戦国時代と同様、勝者は敗者の首を切り落として戦果を証明した。面白かったのは、その内容。口は針で閉じられ、目はくり抜かれ、耳には何かが詰められている。何故そんなことをするの・・・? と思ったが、理由は「地獄(→ そんな概念があるのか?と思ったが・・・)に行っても見ざる言わざる聞かざる状態にするため」とのこと。変わっている・・・ ちなみに、ミイラ化したのは乾燥した気候で自然になったとのこと。
リマ市内の高級住宅エリアでもあるミラフローレス地区。海岸沿いの断崖絶壁からみる景色は非常に美しく、街もキレイに整備されていた。何となくSan Diegoを思い出させる雰囲気ですごく印象的な風景だった。やっぱ、海に近いっていいなぁ。。。
リマに滞在したのは正味1.5日くらい。夜・昼・夜と3回リマで食事をする機会に恵まれたが、この後もペルー料理が続くであろうと想定して、全て日本食屋へ行った。そのうちのひとつはTOSHIROというレストラン。今は世界的に有名なレストラン、NOBUのオーナーの松下さんと一緒に修行をしたという小西さんという方がオーナーで、ペルーでは最も有名な日本人らしい。ラテンでもその名前は響き渡っている。頭ツルツルの声の高いオヤジって感じだったが、一緒にいったOファミリーとも知り合いで、昼メシだったけど色々と料理業界の裏話などを聞くことが出来て面白かった。
TOSHIROで食べた一品、クエのあぶり(日本名は確か鯛だったと思う・・・)。ポン酢で食べたが、さっぱり味にポン酢のすっぱさが非常にマッチしていて感動するお味でした。昼間から贅沢にこんなモン食べて、ご馳走さま~って感じでひた。
Day-7~10
朝早くにリマを出発、目指すはリマから300km南に下ったビーチリゾート、パラカス。
(おぉ~、やっとパノラマ写真がまともに掲載できた。。。)
車で3.5時間、遂に到着~!!
海自体はアカプルコみたいな感じで決してキレイではなくクラゲがいるというので泳げなかったが、街中から離れていたので、プールでのんびり過ごすには良いリゾートホテルだった。何より一昨日までアンデスの山の中で高地生活をしていたから非常に気持ち良く思えた。
ここで、Oファミリーと3泊4日、子供たちもはしゃぎまくって楽しく過ごした。。。
そして、Feliz Ano 2010!!
その日の夜は皆で飲みまくって、新年はノンベェ状態で迎えた。写真でも分かるが、目があっちにいっちゃってるなぁ。。。
夜中0時になると花火が至る所であがり、ろうそくの火で作った紙製の気球がドンドン空へ舞い上がって行った。ペルー人は・・・ 当然フィエスタ。夜中まで盛り上がっていた。その辺はメキシコ人と似ていて、ラテン人共通ということかぁ。。。
そして、、、楽しみにしていたナスカの地上絵フライトへ行ってきた。妻やOファミリーはセスナが怖いからという理由で来なかったが、私からみれば「折角ペルーまで来て有名なナスカの地上絵を見ないで帰るのは機会損失だよ」って感じだ。
12人乗りのセスナに乗ってvamonos!! 私もこのサイズのセスナは初めて乗ったが、セスナって横揺れすると言うより、お尻が振れるって感じだった。
上空1000mくらいまで上昇した時の空の青さが印象的で写真を一枚パシャリ、地形の自然な造詣が美しくってまたまた写真を一枚パシャリ。
ってな感じで1時間くらいフライトしたら見えてきました、地上絵が!!
手 と 木 (2つ)
ハチドリ
ペリカン (多分・・・)
クモ
パリワナ(多分・・・)
宇宙人 or 宇宙飛行士
小さいサイズの写真じゃちょっと見えにくいかもしれない。。。この写真を見やすくする為にセスナは右に左に約45度くらい傾いている。これでセスナ酔いをする人が多いんだけど。。。
でも本当に不思議な絵だった。誰がいつ頃何の為に書いたのか、未だに謎らしい。道路が横断したり風化して傷ついたりで状態が悪化していると聞いている。いつ見れなくなってしまうかもしれないから、見れる内に見ておいた方が良いと思った。
という感じで、パラカス・ナスカの4日間を楽しく過ごしてリマへ帰ってきた。次回にペルーで出会った面白い物と食事について書いてみようと思う。
(続く)
2010年01月13日
ペルー旅行 #2
さて、ペルー旅行記の第二段。今回はクスコ → チチカカ湖を綴ってみよう。
Day-3
前日夜にクスコに戻ってきて、翌3日目はクスコ市内を観光。昨日のマチュピチュと同じガイドさんが日本語で案内をしてくれた。
クスコの標高は3300m。明らかに息が切れる。アルコールも回りやすいのと高山病に掛かりやすいから誰も飲まない。。。ここは、元はインカ帝国の首都があった都市だ。今では50万人くらいが住む、ペルーでも7-8番目に大きな都市らしい。
最初にクスコ郊外にあるいくつかの遺跡巡りに行った。クスコ市内を見下ろしいる場所に立っているから、標高3600mとかに位置しているんだろう。。。
真ん中の写真は、左の写真の遺跡の一部なのだが、穴が開いているのが分かると思う。元々はここに黄金が埋まっていたのだが、スペイン人が全部剥がして持って行ってしまったらしい。金という金を全部略奪した訳だから、スペイン人の蛮行というしかないだろう。
右の写真は遺跡の近くにいたリャマとアルパカ。3600mって多分森林限界を超えた高さだと思う。確かに周りを見渡しても木はあまり見られなかった。そんな過酷な環境に適応できる動物はリャマとアルパカしかいないだろう。。。
パチャカマ神殿という遺跡。ここで昔インカ皇帝のミイラ作りが行われていたらしい。ちょっと見づらいけど、写真の”台”がミイラ作りの台だ。
そして、この日の最高到達地点の3765mへ。ほぼ富士山と同じ高さだ。人生の最高到達点を毎日更新した日々だった。。。
クスコ市内を一望。ラテン諸国では良く見るコロニアル都市という概観だった。
クスコ市内へ戻ってきて街中を見学。市内のど真ん中には似つかわしくないデカイ教会が2つ立地。下の写真は教会の前の広場をパノラマ写真で撮影したもの。しっかし、何でこのサイトでは写真のサイズが自分で調整できんのかねぇ・・・
上段右の写真は黄金でできたプレート・・・って金メッキです。スペイン人が根こそぎ持って行ってしまったので全然残っていないそう。。。
非常に有名なインカの石組み。 多分この日で最も有名な観光ポイントであったろうと思う。多角形の複雑な形の岩を組み合わせてできた石組みは非常に強固で、大震災の際も、石組みの上にスペイン人が建てた教会は皮肉にも全壊したが、インカの石組みは無傷で残ったらしい。
下段の写真は有名な12角の石。右端が切れちゃってて分かりにくいが12角形をした石だと分かるだろうか・・・?
この日は子供たちにも「走るなぁー!!」と言うくらい注意深く慎重に行動した。まるでスローライフの様だったが・・・
ガイドさんに言われ、この日から高山病予防の為の薬を飲み始めた。別に高山病になる前に予防で飲んでも問題ないらしい。。。
Day-4
この日はクスコ → プーノというチチカカ湖畔の街への移動。約500kmのバスで10時間の長旅だ。
途中で遺跡・食事などで5ヶ所に立ち寄りながらの長旅だった。本日の最高到達地点は4335m!! 人生でここより高い所に行ったことはありません、っちゅーくらい高い地点だ。真ん中の写真は、その最高到達地点でのもの。荒涼とした大地は森林限界を超えてるので木は全く生えていない。。。
途中の食事をした場所では、インカの伝統楽器を用いて「コンドルは飛んでゆく」の演奏で雰囲気を演出。こういう場所で聞くと雰囲気が満点で、危うくCDを買いそうになった。。。
しっかし、何故だか分からないけど写真が白黒になってしまうんだよなぁ・・・
ってな感じで夕方にはプーノに到着。いやぁ~、長かった。。。
Day-5
この日はチチカカ湖 + ウロス島の観光だ。
チチカカ湖の標高は3850m。昨日のクスコより更に450mも標高が高い。雲が更に近くに見えた。まるで天空に住んでいるような感覚だろう。。。何でこんな過酷な条件の土地に住んでいるのだろう・・・? と疑問に思ってしまう。
この日は天候にも恵まれて美しいチチカカ湖の写真を撮ることが出来た。何故だか、ここでも写真が白黒に・・・
ウロス島は浮き島で有名だろう。村長の説明によると、約200人くらいがコミュニティーを作っていくつかの島に分かれて生活しているらしい。ちゃんと学校もあるんだから驚いた。
葦を約3mほど積み上げて出来た浮島は思ったよりも床が柔らかかった。のれん分けじゃないけど、色んな事情で一緒の島に住めなくなった時は、島の領土を分割して分かれていくらしい。葦で出来ているから簡単に分けることができるのだと。。。
我々が訪れた島の村長と奥さん、そこに住む女性たち。確か全部で8家族くらいが住んで居たと思う。説明を聞き → 家の中に案内され → 出てきたら一人一人お土産を買え、とのこと。。。説明は面白かったけど、一人一人お土産を買えとはちっとtoo muchだよなぁ。。。
最後に、この女性たちが2-3の日本語の歌を披露してくれた。どこで習ったの??? と聞きたくなったが、多分相当数の日本人観光客が訪れているのだろうと思った。
島と島を移動する際に用いる船。大小様々な大きさがある。これも葦で出来ている。動力はもちろん「手漕ぎ」。我々もこれに乗って別の島へ移動。ちゃっかり大人一人10ソル(=315円)取られた。しっかりしてんなぁー。。。
普段の生活は、観光客の受け入れ・お土産物作りなどで生計を立てているらしい。年中通して観光客は来るらしいので、結構安定した生活を送れてんじゃないか?と思った。各家庭に自家発電バッテリー・無線TV/ラジオがあったのにはちょっと驚いた。
このチチカカ湖、ペルーとボリビアにまたがって位置している。時に浮島が流されてボリビア側に流れて行ってしまうこともあるらしい。その時に問題になるのがパスポートの不所持。パスポートなんて持ってないから、正式には不法侵入・滞在ということになるんだろう。。。
ってな感じで、5日間の命懸けの高地ツアーを終え、夕方のフライトでリマへ戻った。この5日間、皆ひたすら体調管理・維持に注意を払い、楽しんだというより緊張していたという方が正しいだろう。酒も5日間で350mlのビール瓶を1本と、かなり節制した生活だった。
でも、マチュピチュ・クスコ・チチカカ湖と見ることが出来たのは非常に満足度の高いツアーだった。
次回は低地編と食事について書こうと思う。
(続く)
Day-3
前日夜にクスコに戻ってきて、翌3日目はクスコ市内を観光。昨日のマチュピチュと同じガイドさんが日本語で案内をしてくれた。
クスコの標高は3300m。明らかに息が切れる。アルコールも回りやすいのと高山病に掛かりやすいから誰も飲まない。。。ここは、元はインカ帝国の首都があった都市だ。今では50万人くらいが住む、ペルーでも7-8番目に大きな都市らしい。
最初にクスコ郊外にあるいくつかの遺跡巡りに行った。クスコ市内を見下ろしいる場所に立っているから、標高3600mとかに位置しているんだろう。。。
真ん中の写真は、左の写真の遺跡の一部なのだが、穴が開いているのが分かると思う。元々はここに黄金が埋まっていたのだが、スペイン人が全部剥がして持って行ってしまったらしい。金という金を全部略奪した訳だから、スペイン人の蛮行というしかないだろう。
右の写真は遺跡の近くにいたリャマとアルパカ。3600mって多分森林限界を超えた高さだと思う。確かに周りを見渡しても木はあまり見られなかった。そんな過酷な環境に適応できる動物はリャマとアルパカしかいないだろう。。。
パチャカマ神殿という遺跡。ここで昔インカ皇帝のミイラ作りが行われていたらしい。ちょっと見づらいけど、写真の”台”がミイラ作りの台だ。
そして、この日の最高到達地点の3765mへ。ほぼ富士山と同じ高さだ。人生の最高到達点を毎日更新した日々だった。。。
クスコ市内を一望。ラテン諸国では良く見るコロニアル都市という概観だった。
クスコ市内へ戻ってきて街中を見学。市内のど真ん中には似つかわしくないデカイ教会が2つ立地。下の写真は教会の前の広場をパノラマ写真で撮影したもの。しっかし、何でこのサイトでは写真のサイズが自分で調整できんのかねぇ・・・
上段右の写真は黄金でできたプレート・・・って金メッキです。スペイン人が根こそぎ持って行ってしまったので全然残っていないそう。。。
非常に有名なインカの石組み。 多分この日で最も有名な観光ポイントであったろうと思う。多角形の複雑な形の岩を組み合わせてできた石組みは非常に強固で、大震災の際も、石組みの上にスペイン人が建てた教会は皮肉にも全壊したが、インカの石組みは無傷で残ったらしい。
下段の写真は有名な12角の石。右端が切れちゃってて分かりにくいが12角形をした石だと分かるだろうか・・・?
この日は子供たちにも「走るなぁー!!」と言うくらい注意深く慎重に行動した。まるでスローライフの様だったが・・・
ガイドさんに言われ、この日から高山病予防の為の薬を飲み始めた。別に高山病になる前に予防で飲んでも問題ないらしい。。。
Day-4
この日はクスコ → プーノというチチカカ湖畔の街への移動。約500kmのバスで10時間の長旅だ。
途中で遺跡・食事などで5ヶ所に立ち寄りながらの長旅だった。本日の最高到達地点は4335m!! 人生でここより高い所に行ったことはありません、っちゅーくらい高い地点だ。真ん中の写真は、その最高到達地点でのもの。荒涼とした大地は森林限界を超えてるので木は全く生えていない。。。
途中の食事をした場所では、インカの伝統楽器を用いて「コンドルは飛んでゆく」の演奏で雰囲気を演出。こういう場所で聞くと雰囲気が満点で、危うくCDを買いそうになった。。。
しっかし、何故だか分からないけど写真が白黒になってしまうんだよなぁ・・・
ってな感じで夕方にはプーノに到着。いやぁ~、長かった。。。
Day-5
この日はチチカカ湖 + ウロス島の観光だ。
チチカカ湖の標高は3850m。昨日のクスコより更に450mも標高が高い。雲が更に近くに見えた。まるで天空に住んでいるような感覚だろう。。。何でこんな過酷な条件の土地に住んでいるのだろう・・・? と疑問に思ってしまう。
この日は天候にも恵まれて美しいチチカカ湖の写真を撮ることが出来た。何故だか、ここでも写真が白黒に・・・
ウロス島は浮き島で有名だろう。村長の説明によると、約200人くらいがコミュニティーを作っていくつかの島に分かれて生活しているらしい。ちゃんと学校もあるんだから驚いた。
葦を約3mほど積み上げて出来た浮島は思ったよりも床が柔らかかった。のれん分けじゃないけど、色んな事情で一緒の島に住めなくなった時は、島の領土を分割して分かれていくらしい。葦で出来ているから簡単に分けることができるのだと。。。
我々が訪れた島の村長と奥さん、そこに住む女性たち。確か全部で8家族くらいが住んで居たと思う。説明を聞き → 家の中に案内され → 出てきたら一人一人お土産を買え、とのこと。。。説明は面白かったけど、一人一人お土産を買えとはちっとtoo muchだよなぁ。。。
最後に、この女性たちが2-3の日本語の歌を披露してくれた。どこで習ったの??? と聞きたくなったが、多分相当数の日本人観光客が訪れているのだろうと思った。
島と島を移動する際に用いる船。大小様々な大きさがある。これも葦で出来ている。動力はもちろん「手漕ぎ」。我々もこれに乗って別の島へ移動。ちゃっかり大人一人10ソル(=315円)取られた。しっかりしてんなぁー。。。
普段の生活は、観光客の受け入れ・お土産物作りなどで生計を立てているらしい。年中通して観光客は来るらしいので、結構安定した生活を送れてんじゃないか?と思った。各家庭に自家発電バッテリー・無線TV/ラジオがあったのにはちょっと驚いた。
このチチカカ湖、ペルーとボリビアにまたがって位置している。時に浮島が流されてボリビア側に流れて行ってしまうこともあるらしい。その時に問題になるのがパスポートの不所持。パスポートなんて持ってないから、正式には不法侵入・滞在ということになるんだろう。。。
ってな感じで、5日間の命懸けの高地ツアーを終え、夕方のフライトでリマへ戻った。この5日間、皆ひたすら体調管理・維持に注意を払い、楽しんだというより緊張していたという方が正しいだろう。酒も5日間で350mlのビール瓶を1本と、かなり節制した生活だった。
でも、マチュピチュ・クスコ・チチカカ湖と見ることが出来たのは非常に満足度の高いツアーだった。
次回は低地編と食事について書こうと思う。
(続く)
2010年01月13日
Feliz ano 2010 + ペルー旅行
Feliz ano 2010
新年明けましておめでとうございます。
新年明けて10日以上が経っているのに、仕事に忙殺されてブログが全然書けなかった。。。
我が家の昨年の年末年始のバケーションは、毎年恒例となった南米ツアー。メキシコ1年目はアルゼンチン、2年目はブラジル、と来れば残りの南米destinationは一つ。そう、今年の行き先はペルーだった。生涯で一回はマチュピチュ・ナスカの地上絵を見ておきたかったので、今年のdestination選びには何の迷いもなかった。
今回のペルー旅行、前半戦はアンデスの山々にある遺跡巡りが中心だったので高地ツアー、後半戦はリマ観光も含めビーチリゾートでのんびり低地でバケーション、という感じ。
でも前半戦の高地ツアー、正直ここまで命懸けのツアーだとは思ってもみなかった。。。まずはマチュピチュ遺跡の旅を中心に書いてみようと思う。
Day-1
前日夜中にメキシコシティーを経ち翌早朝に首都リマへ到着。メキシコ駐在時代に家族共々仲良くして貰ったOファミリーとリマで合流し、早速クスコへフライト。
クスコの標高は3300m!! メキシコシティーより更に500-800mも高い。我々は普段高地には慣れているが、Oファミリーにはキツイだろうということで、クスコから車で1時間ほど低地にある田舎町、Pisacにて宿泊。それでも標高2800mというから、かなりの高さである。実際、クスコに到着した時に「雲が近いなぁ・・・」と思ったほどだ。この日は体調を整える為にも無理はせずホテルでゆっくり休むことにした。
Day-2
この旅行の最大の見所の一つ、マチュピチュ遺跡の観光へ。マチュピチュ遺跡へは、Pisacから車で1時間・ビスタドームという列車で1.5時間・バスで30分、と合計3時間もかかる長旅であった。
じゃーん、遂に到着!!
標高は2400m、インカ帝国9代皇帝・パチュアクティーが首都クスコの避寒地として町を作ったというガイドの説明。
当日は、雨期の為に残念ながら雨模様(→ 誰だよ、雨女・男は!!)で、この写真も最後まで粘りに粘って撮ったもの。
マチュピチュ遺跡の周囲は、一番右の写真にあるみたいに断崖絶壁に囲まれている。当然下からは全然見えない。故に「空中都市・失われた都市」と形容されているんだろう。。。征服者・スペイン軍も上記の理由から発見出来なかった。だから今日こうやって見ることが出来る訳か。。。
左から2番目の写真は、アンデネスという段々畑。確か標高差が200m・温度差が5℃、と上と下で結構条件が違う。これを巧みに利用して、上では寒冷系食物・下では温暖系食物を栽培して自給自足をしていたという。インカ人の生活の知恵に驚いた。
有名なインカ道。インカ帝国には無数の道が築かれ、首都クスコ、そしてマチュピチュに繋がっていたという。左の写真の道、いまでも90km離れたクスコに繋がっているらしい。
インカ道で面白い仕掛けがあるというので見に行ったのが右の写真。真ん中に木で橋をかけているのが分かるだろうか・・・? これ、敵が攻めて来て防ぎきれなくなった時は木を落として道を遮断する為の仕掛けらしい。元々インカ道は非常に細く大勢の人が一揆に押し寄せてくることは不可能なのだが、こういう仕掛けも合わせて作っているとは・・・ 治安が悪かった or 用心には用心をってことなのだろうかぁ。。。ちなみに、マチュピチュには合計6本の道が外部へ繋がっているとのことだった。
麓のお土産物屋で見つけたインカチェス。兵隊~貴族~皇帝まで階層別にチェスが作られている。ま、これはきっとお土産用に作ったんだろうが・・・
ガイドの説明によると・・・ インカ帝国が滅びた理由は主に2つあるとのこと。一つはスペイン軍の銃・大砲をベースにした圧倒的な軍事力 vs インカ軍の石をベースにした原始的な乏しい兵器。まるで子供と大人の喧嘩だったろう。2つ目はインカ帝国の内乱。13代皇帝の時に内乱が起き、インカ帝国が真っ二つに割れた。その内乱をスペイン軍に上手く利用されたということだった。200人にも満たないスペイン軍が、いくら大砲・銃を使っても1万人以上いるインカ軍を簡単に制圧出来たのが不思議だったが、これで納得だ。
今回は、事前にNHKスペシャルで「マチュピチュの謎」を見て、また普段はケチって頼まない日本語ガイドも(Oファミリーの手配で)現地で付いてくれたので、理解力が大幅アップ。やっぱ事前学習と日本語ガイドはいいねぇ~、と妻と満足。
最後は、バス・電車・車で3時間をかけてクスコに本日の宿泊地・クスコに到着。辺境の地にあるからアクセスするのが大変だけど、訪れて良かった。
次回はクスコ観光~チチカカ湖の高地ツアー後半戦を綴ってみよう。
(続く)
新年明けましておめでとうございます。
新年明けて10日以上が経っているのに、仕事に忙殺されてブログが全然書けなかった。。。
我が家の昨年の年末年始のバケーションは、毎年恒例となった南米ツアー。メキシコ1年目はアルゼンチン、2年目はブラジル、と来れば残りの南米destinationは一つ。そう、今年の行き先はペルーだった。生涯で一回はマチュピチュ・ナスカの地上絵を見ておきたかったので、今年のdestination選びには何の迷いもなかった。
今回のペルー旅行、前半戦はアンデスの山々にある遺跡巡りが中心だったので高地ツアー、後半戦はリマ観光も含めビーチリゾートでのんびり低地でバケーション、という感じ。
でも前半戦の高地ツアー、正直ここまで命懸けのツアーだとは思ってもみなかった。。。まずはマチュピチュ遺跡の旅を中心に書いてみようと思う。
Day-1
前日夜中にメキシコシティーを経ち翌早朝に首都リマへ到着。メキシコ駐在時代に家族共々仲良くして貰ったOファミリーとリマで合流し、早速クスコへフライト。
クスコの標高は3300m!! メキシコシティーより更に500-800mも高い。我々は普段高地には慣れているが、Oファミリーにはキツイだろうということで、クスコから車で1時間ほど低地にある田舎町、Pisacにて宿泊。それでも標高2800mというから、かなりの高さである。実際、クスコに到着した時に「雲が近いなぁ・・・」と思ったほどだ。この日は体調を整える為にも無理はせずホテルでゆっくり休むことにした。
Day-2
この旅行の最大の見所の一つ、マチュピチュ遺跡の観光へ。マチュピチュ遺跡へは、Pisacから車で1時間・ビスタドームという列車で1.5時間・バスで30分、と合計3時間もかかる長旅であった。
じゃーん、遂に到着!!
標高は2400m、インカ帝国9代皇帝・パチュアクティーが首都クスコの避寒地として町を作ったというガイドの説明。
当日は、雨期の為に残念ながら雨模様(→ 誰だよ、雨女・男は!!)で、この写真も最後まで粘りに粘って撮ったもの。
マチュピチュ遺跡の周囲は、一番右の写真にあるみたいに断崖絶壁に囲まれている。当然下からは全然見えない。故に「空中都市・失われた都市」と形容されているんだろう。。。征服者・スペイン軍も上記の理由から発見出来なかった。だから今日こうやって見ることが出来る訳か。。。
左から2番目の写真は、アンデネスという段々畑。確か標高差が200m・温度差が5℃、と上と下で結構条件が違う。これを巧みに利用して、上では寒冷系食物・下では温暖系食物を栽培して自給自足をしていたという。インカ人の生活の知恵に驚いた。
有名なインカ道。インカ帝国には無数の道が築かれ、首都クスコ、そしてマチュピチュに繋がっていたという。左の写真の道、いまでも90km離れたクスコに繋がっているらしい。
インカ道で面白い仕掛けがあるというので見に行ったのが右の写真。真ん中に木で橋をかけているのが分かるだろうか・・・? これ、敵が攻めて来て防ぎきれなくなった時は木を落として道を遮断する為の仕掛けらしい。元々インカ道は非常に細く大勢の人が一揆に押し寄せてくることは不可能なのだが、こういう仕掛けも合わせて作っているとは・・・ 治安が悪かった or 用心には用心をってことなのだろうかぁ。。。ちなみに、マチュピチュには合計6本の道が外部へ繋がっているとのことだった。
麓のお土産物屋で見つけたインカチェス。兵隊~貴族~皇帝まで階層別にチェスが作られている。ま、これはきっとお土産用に作ったんだろうが・・・
ガイドの説明によると・・・ インカ帝国が滅びた理由は主に2つあるとのこと。一つはスペイン軍の銃・大砲をベースにした圧倒的な軍事力 vs インカ軍の石をベースにした原始的な乏しい兵器。まるで子供と大人の喧嘩だったろう。2つ目はインカ帝国の内乱。13代皇帝の時に内乱が起き、インカ帝国が真っ二つに割れた。その内乱をスペイン軍に上手く利用されたということだった。200人にも満たないスペイン軍が、いくら大砲・銃を使っても1万人以上いるインカ軍を簡単に制圧出来たのが不思議だったが、これで納得だ。
今回は、事前にNHKスペシャルで「マチュピチュの謎」を見て、また普段はケチって頼まない日本語ガイドも(Oファミリーの手配で)現地で付いてくれたので、理解力が大幅アップ。やっぱ事前学習と日本語ガイドはいいねぇ~、と妻と満足。
最後は、バス・電車・車で3時間をかけてクスコに本日の宿泊地・クスコに到着。辺境の地にあるからアクセスするのが大変だけど、訪れて良かった。
次回はクスコ観光~チチカカ湖の高地ツアー後半戦を綴ってみよう。
(続く)
2009年11月17日
ロス・サンディエゴ買い物ツアー
日本出張から帰ってきて3日後の先々週木曜から3泊4日で家族で楽しみにしていたロス・サンディエゴへ買い物ツアーに行ってきた。
私としては、10月半ばのカンクン旅行から始まり、日本への出張・サンディエゴ(ついでに言うと、サンディエゴに行く前からその翌週も国内出張があることが分かっていた・・・)と、毎週どこかへ移動ばっかりで正直休まる暇が無かったのだが、遊びとなれば気持ちの入り方も異なってくる。
今回のアメリカ買い物ツアー、家族全員がいつもとは気合の入れ様が違っていた。理由は「多分最後のサンディエゴツアーになるだろう」と思っていたから。サンディエゴからメキシコへ異動してきて早2年半。もうメキシコ勤務の終わりは見えている(と思っている・・・)。次の赴任先はまだ分からないが、メキシコほどサンディエゴに気軽に来れる赴任地ではないだろう。サンディゴに一番近い赴任地だった訳だ、メキシコは。。。今さらながら気が付いた。
と言うことで・・・ ま、最後だろうが何だろうが、今回も食うは買うは遊ぶは、とメキシコで普段おとなしくしている反動も手伝っての金使いの荒い相変わらずの旅行であった
まずロスに朝10時過ぎに到着した私達は早速レンタカーを拾ってディズニーランドへ直行。息子とカミさんの希望でどうしても最後に行きたいとのことだった。その日はホテルもディにーランドの傍にあるホテルに予約する用意周到ぶりで、夜遅くまで、体力の続く限り遊んだ。
あ、ちなみに、いつも行くロス空港近くの旨い蕎麦屋・Inabaへは当然昼飯を食いに真っ先に行きましたけどね。。。
翌朝にロスを発ち、1時間ちょいのドライブでサンディエゴへ到着。やっぱ良いなぁ~、サンディエゴ。アメリカの街の中でもダントツに雰囲気が良い。ここに2年ちょい住めたこと・その後もちょこちょこ戻ってこれたのは本当に恵まれた環境だったと思う。
予めリストアップしたものを片っ端から買っていく。カミさんも私も買い物が好きだから、いつも後で集計をしたら恐ろしい金額になっているのだが、「今回が最後」という言い訳も手伝って立ち寄る場所ごとに買い物袋がドンドン増えていく・・・ ま、でもここまで買いたい物リストがキレイに消えていくとスッキリしたよ。。。
今回のメインの戦利品。テニスシューズ・ラケットバック・Volkl PowerBridge10 Midが今回のお目当ての商品。お値段は、アシックスGel-IIが$89、プリンスのラケットバックが$68、Volklのラケットが$169。ただでさえ安い上に日本のカードで決済したら為替で10%くらい安くなる計算だ。ん~、まさにアメリカ買い物天国だねぇ~。もちろん、これが全ての戦利品ではありません・・・
メシも今回も色々と食べ尽くしました。初日の夜がディスニーランドでバーガーと非常に不満度が高かったが、ラーメン・スシ・飲茶・刺身居酒屋と大変満腹となりました。
今回も行ってきましたSurfside。昔のテニスの友人達もたくさん集まってくれて、スシを囲んでの楽しい一時を過ごせたこと、まさに感謝だ。
前の週に日本でもスシを食べたが、サンディエゴのスシの方がボリューム感が満点という点では勝っていると思う。日本のスシのアドバンテージはネタの豊富さだろう。ま、両方でスシを満喫できた訳だから、それが一番だろう。
身も心も存分にリフレッシュ出来た今回の買い物ツアーは満足度の高いものだった。あと一回くらい、最後に来れるといいなぁ~、と少し後ろ髪を引かれながらメキシコへ戻ってきた時、時計は夜中の1時半を指していた。翌日から仕事だったが、目一杯遊んだ。。。
私としては、10月半ばのカンクン旅行から始まり、日本への出張・サンディエゴ(ついでに言うと、サンディエゴに行く前からその翌週も国内出張があることが分かっていた・・・)と、毎週どこかへ移動ばっかりで正直休まる暇が無かったのだが、遊びとなれば気持ちの入り方も異なってくる。
今回のアメリカ買い物ツアー、家族全員がいつもとは気合の入れ様が違っていた。理由は「多分最後のサンディエゴツアーになるだろう」と思っていたから。サンディエゴからメキシコへ異動してきて早2年半。もうメキシコ勤務の終わりは見えている(と思っている・・・)。次の赴任先はまだ分からないが、メキシコほどサンディエゴに気軽に来れる赴任地ではないだろう。サンディゴに一番近い赴任地だった訳だ、メキシコは。。。今さらながら気が付いた。
と言うことで・・・ ま、最後だろうが何だろうが、今回も食うは買うは遊ぶは、とメキシコで普段おとなしくしている反動も手伝っての金使いの荒い相変わらずの旅行であった
まずロスに朝10時過ぎに到着した私達は早速レンタカーを拾ってディズニーランドへ直行。息子とカミさんの希望でどうしても最後に行きたいとのことだった。その日はホテルもディにーランドの傍にあるホテルに予約する用意周到ぶりで、夜遅くまで、体力の続く限り遊んだ。
あ、ちなみに、いつも行くロス空港近くの旨い蕎麦屋・Inabaへは当然昼飯を食いに真っ先に行きましたけどね。。。
翌朝にロスを発ち、1時間ちょいのドライブでサンディエゴへ到着。やっぱ良いなぁ~、サンディエゴ。アメリカの街の中でもダントツに雰囲気が良い。ここに2年ちょい住めたこと・その後もちょこちょこ戻ってこれたのは本当に恵まれた環境だったと思う。
予めリストアップしたものを片っ端から買っていく。カミさんも私も買い物が好きだから、いつも後で集計をしたら恐ろしい金額になっているのだが、「今回が最後」という言い訳も手伝って立ち寄る場所ごとに買い物袋がドンドン増えていく・・・ ま、でもここまで買いたい物リストがキレイに消えていくとスッキリしたよ。。。
今回のメインの戦利品。テニスシューズ・ラケットバック・Volkl PowerBridge10 Midが今回のお目当ての商品。お値段は、アシックスGel-IIが$89、プリンスのラケットバックが$68、Volklのラケットが$169。ただでさえ安い上に日本のカードで決済したら為替で10%くらい安くなる計算だ。ん~、まさにアメリカ買い物天国だねぇ~。もちろん、これが全ての戦利品ではありません・・・
メシも今回も色々と食べ尽くしました。初日の夜がディスニーランドでバーガーと非常に不満度が高かったが、ラーメン・スシ・飲茶・刺身居酒屋と大変満腹となりました。
今回も行ってきましたSurfside。昔のテニスの友人達もたくさん集まってくれて、スシを囲んでの楽しい一時を過ごせたこと、まさに感謝だ。
前の週に日本でもスシを食べたが、サンディエゴのスシの方がボリューム感が満点という点では勝っていると思う。日本のスシのアドバンテージはネタの豊富さだろう。ま、両方でスシを満喫できた訳だから、それが一番だろう。
身も心も存分にリフレッシュ出来た今回の買い物ツアーは満足度の高いものだった。あと一回くらい、最後に来れるといいなぁ~、と少し後ろ髪を引かれながらメキシコへ戻ってきた時、時計は夜中の1時半を指していた。翌日から仕事だったが、目一杯遊んだ。。。
2009年08月11日
2009年 一時帰国
今年も帰ってきました、日本へ
7月下旬から1週間ちょいの日程で一時帰国をした。年に1回・一週間しか帰らないから色んな人と出会い、色んな場所へ行って、色んな物を食べる。なので滞在中はメチャクチャ忙しい。でも、心と体のリフレッシュは思う存分することが出来た。
前半戦は私の実家がある神戸へ。San Diego時代の懐かしい仲間が集合してくれて、蒸し暑い中4時間もテニスをするという贅沢なセッティングをしてくれた。さすがに時差もあったし、湿気地獄・暑い・慣れないオムニコートの3重・4重苦で死ぬかと思ったけど、何とかみんなと楽しくテニスをやり遂げた。集まってくれた懐かしい顔ぶれのOm家、On家、Ykちゃんに感謝である。
ゴメン、44。どうしても右側が切れてしまう。。。
今回の神戸行きではいくつかの変化があったことに気付かされた。まず最初に、一足先に帰国していた息子Rが、JALのスカイメイトというサービスを使って一人で羽田から伊丹空港まで来れたことには息子の成長を感じた。一方、一年ぶりに会った母が杖を付いて歩いていたことには驚きと心配を感じ、また昨年まで現役サラリーマンをしていた父が引退して家に朝からいることにも少々不慣れを感じた。色んな変化を感じた今年の神戸実家帰りだった。
後半戦はカミさんの実家がある横浜へ。東京は私も大学から住んでいたので色んな友人と1年ぶりの再会を果たすことができた。テニス仲間、大学時代の先輩後輩、会社に入ってから知り合った友人などなど。懐かしい面々ばかりだ。時間を作ってくれて会ってくれた友人には本当に感謝したい。
今回の友人再会で一番印象的だったのが、大学時代の先輩・後輩との再会だ。確か昨年の一時帰国の時だったかぁ・・・大学時代の同期と1x年ぶりに偶然再会。そこからヒモが繋がって、卒業してから1x年ぶりの再会を果たす。みんな年を重ねたなぁ・・・と思う反面、相変わらずだなぁ・・・と思う面も。終電まで、久しぶりに学生時代の話に花が咲いて楽しかった。
夏休み中の息子へ何か父親らしいことをしてやりたいなぁと思って、たまたま新聞を見ていたら恐竜展が幕張でやっているという記事を発見。ちょっと横浜からは遠いけど、折角のチャンスと思って、最終日に急遽息子と一緒に行ってきた。
恐竜大好きの息子Rは大興奮。史上最大の草食恐竜・魚が主食だけどメチャクチャ獰猛な肉食恐竜・Tレックスなどなど見所がたくさん。大人でも結構楽しめる展示会だった。しっかし、良くこんな骨の塊が6500万年前から出てきたなぁと思う。
今回の恐竜展での一番の見せ物は「恐竜の皮膚・筋肉までくっきりと見える化石」だ。カナダ・USの国境沿いに広がるバッドランドという所で発見されたらしく、偶然が重なって出来た貴重な発見らしい。写真で見ても皮膚の跡が見て取れるし、現物はもっと筋肉までクッキリと見えていた。
息子が楽しんでくれて、それで目的を達成できたから父親としても大満足だよ。。。
最後の夜は実家のマンションから花火大会を鑑賞。花火大会をみたのは、それこそ5年ぶりくらいだろうか・・・ いつももう少し遅い時期に一時帰国をしていたのでご無沙汰だったけど、今回はタイミングが上手くあった。かなりの特等席からの鑑賞でバッチシ楽しむことが出来た。
最後に、、、日本は食事がメチャクチャ美味しい。限られたチャンスを最大限に活かすため、事前にプランを練り、また今年は5日間ジョギングを敢行して準備万端で臨んだ。毎夜食べ歩いたリストはこちら。
●回転寿司 → 驚いた、今の回転寿司は侮れないくらい旨い
●串揚げ → やっぱ大阪と言えば、これでしょう
●王将 → 安くて旨い。餃子なんて格別の味
●三田牛 → 神戸牛の種類の一つ。実家の直ぐ裏手の六甲山あたりで飼っているから手軽に手に入る。
●蓬莱のぶたまん → 皮の厚さが絶品 個人的には横浜・中華街の物より断然好き。
(以上、関西編)
●和風居酒屋 → 和風のおつまみに冷えた冷酒が抜群に合う
●とんかつ → 挙げたてサクサク感が旨かったぁ・・・
●うなぎ → ”ダブル重”でオーダー。うなぎ星人としては外せない。。。
●ラーメン → 今回は”せたがやラーメン”を堪能。やっぱ、ラーメンは日本で食べるのが旨い。
●寿司 → やっぱこれは日本では外せない。でも、San Diegoの寿司も負けていないと思う。
●デパ地下 → 今回は創作寿司を買ってみたけど、これまた旨い
(以上、関東編)
いやぁ~、食べた・食べた。結果は1週間で体重2kg増。我ながら良く食べたなぁ~、と感心。1週間で増えた体重は1週間で落ちるとばかりに、メキシコへ帰ってきてせっせと帳尻合わせ。何とか1週間で元通りに戻ったのにはちょっとばかし安心した。
今年も一時帰国で十分楽しませて貰いました。来年もまた一時帰国をするのか、はたまた日本へ本帰国をするのか・・・ 今は全然分からないけど、またチャンスがあったら楽しみたい。。。
7月下旬から1週間ちょいの日程で一時帰国をした。年に1回・一週間しか帰らないから色んな人と出会い、色んな場所へ行って、色んな物を食べる。なので滞在中はメチャクチャ忙しい。でも、心と体のリフレッシュは思う存分することが出来た。
前半戦は私の実家がある神戸へ。San Diego時代の懐かしい仲間が集合してくれて、蒸し暑い中4時間もテニスをするという贅沢なセッティングをしてくれた。さすがに時差もあったし、湿気地獄・暑い・慣れないオムニコートの3重・4重苦で死ぬかと思ったけど、何とかみんなと楽しくテニスをやり遂げた。集まってくれた懐かしい顔ぶれのOm家、On家、Ykちゃんに感謝である。
ゴメン、44。どうしても右側が切れてしまう。。。
今回の神戸行きではいくつかの変化があったことに気付かされた。まず最初に、一足先に帰国していた息子Rが、JALのスカイメイトというサービスを使って一人で羽田から伊丹空港まで来れたことには息子の成長を感じた。一方、一年ぶりに会った母が杖を付いて歩いていたことには驚きと心配を感じ、また昨年まで現役サラリーマンをしていた父が引退して家に朝からいることにも少々不慣れを感じた。色んな変化を感じた今年の神戸実家帰りだった。
後半戦はカミさんの実家がある横浜へ。東京は私も大学から住んでいたので色んな友人と1年ぶりの再会を果たすことができた。テニス仲間、大学時代の先輩後輩、会社に入ってから知り合った友人などなど。懐かしい面々ばかりだ。時間を作ってくれて会ってくれた友人には本当に感謝したい。
今回の友人再会で一番印象的だったのが、大学時代の先輩・後輩との再会だ。確か昨年の一時帰国の時だったかぁ・・・大学時代の同期と1x年ぶりに偶然再会。そこからヒモが繋がって、卒業してから1x年ぶりの再会を果たす。みんな年を重ねたなぁ・・・と思う反面、相変わらずだなぁ・・・と思う面も。終電まで、久しぶりに学生時代の話に花が咲いて楽しかった。
夏休み中の息子へ何か父親らしいことをしてやりたいなぁと思って、たまたま新聞を見ていたら恐竜展が幕張でやっているという記事を発見。ちょっと横浜からは遠いけど、折角のチャンスと思って、最終日に急遽息子と一緒に行ってきた。
恐竜大好きの息子Rは大興奮。史上最大の草食恐竜・魚が主食だけどメチャクチャ獰猛な肉食恐竜・Tレックスなどなど見所がたくさん。大人でも結構楽しめる展示会だった。しっかし、良くこんな骨の塊が6500万年前から出てきたなぁと思う。
今回の恐竜展での一番の見せ物は「恐竜の皮膚・筋肉までくっきりと見える化石」だ。カナダ・USの国境沿いに広がるバッドランドという所で発見されたらしく、偶然が重なって出来た貴重な発見らしい。写真で見ても皮膚の跡が見て取れるし、現物はもっと筋肉までクッキリと見えていた。
息子が楽しんでくれて、それで目的を達成できたから父親としても大満足だよ。。。
最後の夜は実家のマンションから花火大会を鑑賞。花火大会をみたのは、それこそ5年ぶりくらいだろうか・・・ いつももう少し遅い時期に一時帰国をしていたのでご無沙汰だったけど、今回はタイミングが上手くあった。かなりの特等席からの鑑賞でバッチシ楽しむことが出来た。
最後に、、、日本は食事がメチャクチャ美味しい。限られたチャンスを最大限に活かすため、事前にプランを練り、また今年は5日間ジョギングを敢行して準備万端で臨んだ。毎夜食べ歩いたリストはこちら。
●回転寿司 → 驚いた、今の回転寿司は侮れないくらい旨い
●串揚げ → やっぱ大阪と言えば、これでしょう
●王将 → 安くて旨い。餃子なんて格別の味
●三田牛 → 神戸牛の種類の一つ。実家の直ぐ裏手の六甲山あたりで飼っているから手軽に手に入る。
●蓬莱のぶたまん → 皮の厚さが絶品 個人的には横浜・中華街の物より断然好き。
(以上、関西編)
●和風居酒屋 → 和風のおつまみに冷えた冷酒が抜群に合う
●とんかつ → 挙げたてサクサク感が旨かったぁ・・・
●うなぎ → ”ダブル重”でオーダー。うなぎ星人としては外せない。。。
●ラーメン → 今回は”せたがやラーメン”を堪能。やっぱ、ラーメンは日本で食べるのが旨い。
●寿司 → やっぱこれは日本では外せない。でも、San Diegoの寿司も負けていないと思う。
●デパ地下 → 今回は創作寿司を買ってみたけど、これまた旨い
(以上、関東編)
いやぁ~、食べた・食べた。結果は1週間で体重2kg増。我ながら良く食べたなぁ~、と感心。1週間で増えた体重は1週間で落ちるとばかりに、メキシコへ帰ってきてせっせと帳尻合わせ。何とか1週間で元通りに戻ったのにはちょっとばかし安心した。
今年も一時帰国で十分楽しませて貰いました。来年もまた一時帰国をするのか、はたまた日本へ本帰国をするのか・・・ 今は全然分からないけど、またチャンスがあったら楽しみたい。。。
2009年04月18日
セマナサンタという4連休・・・
4月9日~12日まで、メキシコはセマナサンタという4連休だった。英語で言うと、イースターホリディ。日本のゴールデンウィークほどではないが、どんな理由であれ連休は嬉しい・・・
我が家は、ちょうど日本から来客もあったからメキシコ国内旅行を兼ねて、プエルト・バジャルタというメキシコシティーから西へフライトで1時間くらい、太平洋に面したビーチリゾートへ行ってきた。
行ってみての感想は「隠れ家的なビーチリゾート」。人も多くなく、メキシコシティからもフライトで1時間程度とアクセスしやすい。
一方で多くのホテルの宿泊プランが食事込みとなっている。割高になるから私は個人的には好きではないが、それしかプランがないからしょーがない。。。実は後で分かった、また驚いたのがこの食事込みの制度だった。
我が家が泊まったのはDreamsというホテル。空港から30分くらいタクシーで離れた所にあり、その場所だけホテルが立っているという、まるで陸の孤島みたいな場所だ。だから”食事込み”だった訳だ。でも、本当にビックリしたのはそこから先。フロントでチェックイン時に説明を聞いてると、ワインボトルとマリンスポーツ・マッサージ以外は全部込み込みだという。スペイン語で聞いていたから、えっと2回も聞き返してしまったが、当然2回とも同じ答え。ポーターに部屋に案内されて更に驚いたのがミニバー・ルームサービスも全部込み込みとのこと。これまた、えっである。更にレストランでも驚いた。陸の孤島で全部込み込みシステムだから、入る際にも部屋番号をチェックしない。また出る際もサインも一切なし。もちろん、酒も全部込み込み。こりゃ、のんべぇにはスーパーお得なシステムだ。お陰で4日間、元を取ろうと飲み食いしすぎて太った・・・ でも、非常にユニークなシステムだと思った。種々の煩わしさが無い分、快適にさえ感じた。
ちなみに料金は1泊大人2人1部屋でUS$365。ウチは子供が一人いるから、食事代で多少の追加料金を取られた。決して安くはないが、まぁムチャクチャ高いという訳でもないだろう。
ってな感じで4日間、ラケットも一切握らず、食っちゃ寝ぇ~を繰り返してゆっくり過ごした。一応2日間ジョギングをしたが、全然追いつかず・・・ ま、リゾート地ってことで自分を甘やかした
ホテル敷地内の風景。南国リゾートって感じでのんびりできる。夕日も本当にキレイだった。
夜にもいろんなイベントをやってくれる。もちろん、これらも全て込み込み。サーカス、ラテンナイト、ロックコンサート、映画・・・ まるで昨年行ったクルーズ旅行を思い出すような感じだった。長期滞在型のホテルだろうと思った。
こういうスタイルでのんびり過ごすのも、たまには悪くないなぁ・・・と思った。また機会があればね。。。
我が家は、ちょうど日本から来客もあったからメキシコ国内旅行を兼ねて、プエルト・バジャルタというメキシコシティーから西へフライトで1時間くらい、太平洋に面したビーチリゾートへ行ってきた。
行ってみての感想は「隠れ家的なビーチリゾート」。人も多くなく、メキシコシティからもフライトで1時間程度とアクセスしやすい。
一方で多くのホテルの宿泊プランが食事込みとなっている。割高になるから私は個人的には好きではないが、それしかプランがないからしょーがない。。。実は後で分かった、また驚いたのがこの食事込みの制度だった。
我が家が泊まったのはDreamsというホテル。空港から30分くらいタクシーで離れた所にあり、その場所だけホテルが立っているという、まるで陸の孤島みたいな場所だ。だから”食事込み”だった訳だ。でも、本当にビックリしたのはそこから先。フロントでチェックイン時に説明を聞いてると、ワインボトルとマリンスポーツ・マッサージ以外は全部込み込みだという。スペイン語で聞いていたから、えっと2回も聞き返してしまったが、当然2回とも同じ答え。ポーターに部屋に案内されて更に驚いたのがミニバー・ルームサービスも全部込み込みとのこと。これまた、えっである。更にレストランでも驚いた。陸の孤島で全部込み込みシステムだから、入る際にも部屋番号をチェックしない。また出る際もサインも一切なし。もちろん、酒も全部込み込み。こりゃ、のんべぇにはスーパーお得なシステムだ。お陰で4日間、元を取ろうと飲み食いしすぎて太った・・・ でも、非常にユニークなシステムだと思った。種々の煩わしさが無い分、快適にさえ感じた。
ちなみに料金は1泊大人2人1部屋でUS$365。ウチは子供が一人いるから、食事代で多少の追加料金を取られた。決して安くはないが、まぁムチャクチャ高いという訳でもないだろう。
ってな感じで4日間、ラケットも一切握らず、食っちゃ寝ぇ~を繰り返してゆっくり過ごした。一応2日間ジョギングをしたが、全然追いつかず・・・ ま、リゾート地ってことで自分を甘やかした
ホテル敷地内の風景。南国リゾートって感じでのんびりできる。夕日も本当にキレイだった。
夜にもいろんなイベントをやってくれる。もちろん、これらも全て込み込み。サーカス、ラテンナイト、ロックコンサート、映画・・・ まるで昨年行ったクルーズ旅行を思い出すような感じだった。長期滞在型のホテルだろうと思った。
こういうスタイルでのんびり過ごすのも、たまには悪くないなぁ・・・と思った。また機会があればね。。。
2009年02月18日
サンディエゴ買い物ツアー
先週後半、半年ぶりに南カリフォルニア・サンディエゴへ行ってきた。家族みんなにとっても2年ちょいを過ごした思い出の街、やっぱ良かったぁ~。
なんと言っても街並みが美しい。至る所に芝生があって緑豊か、建物も上手く待ちの雰囲気に溶け込んでいて、街全体がキレイだ。運転してても渋滞なしだから気持ちが良い。気持ち良くって、ついつい久しぶりの外ジョギングにも精が出て、10km弱を2日間走ってしまった。やっぱ、外ジョギングは気持ちが良いし、(室内ジョギングと比べて)疲れ方も全然違う
今回の目的は買い物 + 美味い食事。
買い物では買った・買った、色んな物を買った。買い物ツアーは1年ぶりだったから、財布の紐が緩みまくり。帰ってきて集計したら「ひぇ~、#$%@!」ってくらい使ってた ま、1年に1回ということで豪快に行ってしまった。。。
買い物中に気が付いたことだが、お客さんが全然店に居ない。。。これはOutlet・普通の店、平日・週末、いつどこへ行っても共通のことだった。アメリカ経済の不況の影響を肌で感じた出来事だった。
食事はというと、これまた食った・食った、よく食った・・・
手打ちソバ・ヤムチャ・握りスシ・とんこつラーメン・焼肉・・・ 後で後悔しないように食べた、という感じだ 今回行った店は・・・
●手打ちソバ: Inaba (Torrance, LA空港の近く)
●握りスシ: Sushi Ota (La Jolla, San Diego)、Surfside (Pacific Beach, San Diego)
●ヤムチャ: China Max (Convey ST, San Diego)
●とんこつラーメン: Tajima(Convey ST, San Diego)
●焼肉: Tsuruhashi (Convey ST, San Diego)
サンディエゴ、ご馳走様・・・という感じだ。
そして、体のトリートも忘れずに行った。首・肩にコリが鬱積していたので、カイロプラクティックの岡崎診療所で2日間体をマッサージでほぐして貰った。サンディエゴに居た時からお世話になった先生で、2年ぶりだったけど私のことを良く覚えてくれていた。岡崎先生の久しぶりのマッサージは良く効いたなぁ~
私にとって、今回の最大の目的はラケットの購入だった。
サンディエゴのダウンタウンから程近いUniversity AvenueにあるRay's Tennisというお店、ここはSan Diegoで一番有名なテニスショップであろう。昔Michel Changのコーチを務めた名物オヤジと名物オバチャン、それに最近は息子も店を手伝うようになったみたいで、不況の今でもあまり影響は受けてない様だった。品揃えが豊富・他より安いなので、もしSan Diegoを訪れる機会があるテニスフリークなら是非訪れることをお勧めする。
さて、肝心のラケットだが、今回は4年ぶりにラケットを交換するとあって、事前にメキシコでも可能な限り試打をやったりして、念入りに下調べをして行った。Head Prestege, BorisBecker 11, Volkl PB10, Wilson K-95, Adidas Varricade・・・ 店でも試打したりグリップ・スロートの感触を確かめたり・・・ 1時間半くらい粘った挙句に選んだのはVolkl PowerBridge 10。地味なんだけど一番バランスとセンターで打った時の感触が良かった。残念ながら適切なグリップサイズの在庫が無かったので、次回来る際までにオーダーしておいて貰うことにした。
横でカミサンも私につられてVolklのラケットを購入したから、これでVolkl一家となった。メキシコでは多分かなり目立つことだろう。。。
楽しく・のんびり出来た4日間はあっという間に過ぎ去ってしまった。San Diegoはやっぱトランキ~ロで良いなぁ。。。また来年帰ってこよう
なんと言っても街並みが美しい。至る所に芝生があって緑豊か、建物も上手く待ちの雰囲気に溶け込んでいて、街全体がキレイだ。運転してても渋滞なしだから気持ちが良い。気持ち良くって、ついつい久しぶりの外ジョギングにも精が出て、10km弱を2日間走ってしまった。やっぱ、外ジョギングは気持ちが良いし、(室内ジョギングと比べて)疲れ方も全然違う
今回の目的は買い物 + 美味い食事。
買い物では買った・買った、色んな物を買った。買い物ツアーは1年ぶりだったから、財布の紐が緩みまくり。帰ってきて集計したら「ひぇ~、#$%@!」ってくらい使ってた ま、1年に1回ということで豪快に行ってしまった。。。
買い物中に気が付いたことだが、お客さんが全然店に居ない。。。これはOutlet・普通の店、平日・週末、いつどこへ行っても共通のことだった。アメリカ経済の不況の影響を肌で感じた出来事だった。
食事はというと、これまた食った・食った、よく食った・・・
手打ちソバ・ヤムチャ・握りスシ・とんこつラーメン・焼肉・・・ 後で後悔しないように食べた、という感じだ 今回行った店は・・・
●手打ちソバ: Inaba (Torrance, LA空港の近く)
●握りスシ: Sushi Ota (La Jolla, San Diego)、Surfside (Pacific Beach, San Diego)
●ヤムチャ: China Max (Convey ST, San Diego)
●とんこつラーメン: Tajima(Convey ST, San Diego)
●焼肉: Tsuruhashi (Convey ST, San Diego)
サンディエゴ、ご馳走様・・・という感じだ。
そして、体のトリートも忘れずに行った。首・肩にコリが鬱積していたので、カイロプラクティックの岡崎診療所で2日間体をマッサージでほぐして貰った。サンディエゴに居た時からお世話になった先生で、2年ぶりだったけど私のことを良く覚えてくれていた。岡崎先生の久しぶりのマッサージは良く効いたなぁ~
私にとって、今回の最大の目的はラケットの購入だった。
サンディエゴのダウンタウンから程近いUniversity AvenueにあるRay's Tennisというお店、ここはSan Diegoで一番有名なテニスショップであろう。昔Michel Changのコーチを務めた名物オヤジと名物オバチャン、それに最近は息子も店を手伝うようになったみたいで、不況の今でもあまり影響は受けてない様だった。品揃えが豊富・他より安いなので、もしSan Diegoを訪れる機会があるテニスフリークなら是非訪れることをお勧めする。
さて、肝心のラケットだが、今回は4年ぶりにラケットを交換するとあって、事前にメキシコでも可能な限り試打をやったりして、念入りに下調べをして行った。Head Prestege, BorisBecker 11, Volkl PB10, Wilson K-95, Adidas Varricade・・・ 店でも試打したりグリップ・スロートの感触を確かめたり・・・ 1時間半くらい粘った挙句に選んだのはVolkl PowerBridge 10。地味なんだけど一番バランスとセンターで打った時の感触が良かった。残念ながら適切なグリップサイズの在庫が無かったので、次回来る際までにオーダーしておいて貰うことにした。
横でカミサンも私につられてVolklのラケットを購入したから、これでVolkl一家となった。メキシコでは多分かなり目立つことだろう。。。
楽しく・のんびり出来た4日間はあっという間に過ぎ去ってしまった。San Diegoはやっぱトランキ~ロで良いなぁ。。。また来年帰ってこよう
2009年02月04日
アカプルコ
先週末、メキシコでは3連休だったのでアカプルコへ行ってきた。メキシコシティーから約400km、車で4時間程度で行ける最も近いビーチリゾート地だ。2年間ここに居て初めてと言われてしまいそうな感じだが、「遅まきながら行ってきました」という所だろう。。。さすがにリゾート地だけあって、色んなスポーツで汗を流して心身共にリフレッシュすることが出来た。
まずはテニス。
今回泊まったホテルが、ATP/WTAのアカプルコオープンをやる会場のホテル(アカプルコ・プリンセス、通称”アカプリ”)で、すぐ傍にはその会場があった。今年は2月の下旬にやるみたいだ。写真の向こう側に見えるのが、その会場となるスタジアム。
我々は何故かオムニコートでやった。。。今回はO氏ファミリーも一緒だったので、O氏とシングルスの勝負を敢行。高湿度 + 気温35度くらいはあったろうか・・・ 無茶苦茶な悪条件の中で我慢の試合となったが、6-3, 6-2, 6-2で3セット連取で私の勝ち。「プロのグランドスラムじゃないんだから」と思いながら、やり遂げてしまう辺りは我ながらテニスの変体だと思った
そして翌日は朝からゴルフを敢行。
回ったコースはTRES VIDASというアカプルコでも名門中の名門コースらしい。当の私はと言うと、ゴルフは昨年8 or 9月以来というスーパーご無沙汰。おまけにこのコースはスーパー体育会系ゴルファー向けのコース設計。海辺に面しているので風は強い、(砂浜を利用した)海みたいに広いバンカー多数あり、アマゾン川の大河を思わせる池・・・ やる前から苦戦を容易に想像させられたコースだった。
ところが、である。前半は52という(私にしては)神掛かった過去最高スコアで回ることが出来た。一緒に回った友人連中にも、「このコースで最高スコアを出したらスゴイ」とか煽てられて調子に乗った私は後半は大叩き、結果115といういつものスコアでお疲れさん。やっぱ前半は無心で出来たのが良かったのだろう、と後半を反省した。ま、でも久しぶり + 難コースということを考えれば上出来のスコアであろう。
もちろん、ビーチでもエンジョイした。
子供たちが大勢居たので、子守をしたという言い方が正解だろう。写真では分かりずらいが、結構波が高くて引く力が強い。過去にも何人か波に引き連られて溺死しているらしい。今回も友人の子供が溺れそうになった。だから海に入る時は大勢のパパが一緒に入って、そこら中で見張りをしていた。
とか怖い話ばかり言っても、波と戯れたりボディーボードをしたりして子供たちも十分エンジョイしたんだけどね。。。
やっぱメシは美味かった。。。特に魚介類系は生臭さがなく素直に美味しいと感じた。また、さすが低地だけあって、湯で物系は美味しい。高地にいると(沸点が低いから)どうしても湯で物系は美味く出来ないのだが、低地では抜群の湯で具合だ。やっぱ低地はいいなぁ
4時間くらいで手軽にビーチに来れることが分かったから、また来てみようと思った。自分で運転もしなくていいしねぇ・・・ ビバ、メヒコ、 ビバ、アカプルコ
まずはテニス。
今回泊まったホテルが、ATP/WTAのアカプルコオープンをやる会場のホテル(アカプルコ・プリンセス、通称”アカプリ”)で、すぐ傍にはその会場があった。今年は2月の下旬にやるみたいだ。写真の向こう側に見えるのが、その会場となるスタジアム。
我々は何故かオムニコートでやった。。。今回はO氏ファミリーも一緒だったので、O氏とシングルスの勝負を敢行。高湿度 + 気温35度くらいはあったろうか・・・ 無茶苦茶な悪条件の中で我慢の試合となったが、6-3, 6-2, 6-2で3セット連取で私の勝ち。「プロのグランドスラムじゃないんだから」と思いながら、やり遂げてしまう辺りは我ながらテニスの変体だと思った
そして翌日は朝からゴルフを敢行。
回ったコースはTRES VIDASというアカプルコでも名門中の名門コースらしい。当の私はと言うと、ゴルフは昨年8 or 9月以来というスーパーご無沙汰。おまけにこのコースはスーパー体育会系ゴルファー向けのコース設計。海辺に面しているので風は強い、(砂浜を利用した)海みたいに広いバンカー多数あり、アマゾン川の大河を思わせる池・・・ やる前から苦戦を容易に想像させられたコースだった。
ところが、である。前半は52という(私にしては)神掛かった過去最高スコアで回ることが出来た。一緒に回った友人連中にも、「このコースで最高スコアを出したらスゴイ」とか煽てられて調子に乗った私は後半は大叩き、結果115といういつものスコアでお疲れさん。やっぱ前半は無心で出来たのが良かったのだろう、と後半を反省した。ま、でも久しぶり + 難コースということを考えれば上出来のスコアであろう。
もちろん、ビーチでもエンジョイした。
子供たちが大勢居たので、子守をしたという言い方が正解だろう。写真では分かりずらいが、結構波が高くて引く力が強い。過去にも何人か波に引き連られて溺死しているらしい。今回も友人の子供が溺れそうになった。だから海に入る時は大勢のパパが一緒に入って、そこら中で見張りをしていた。
とか怖い話ばかり言っても、波と戯れたりボディーボードをしたりして子供たちも十分エンジョイしたんだけどね。。。
やっぱメシは美味かった。。。特に魚介類系は生臭さがなく素直に美味しいと感じた。また、さすが低地だけあって、湯で物系は美味しい。高地にいると(沸点が低いから)どうしても湯で物系は美味く出来ないのだが、低地では抜群の湯で具合だ。やっぱ低地はいいなぁ
4時間くらいで手軽にビーチに来れることが分かったから、また来てみようと思った。自分で運転もしなくていいしねぇ・・・ ビバ、メヒコ、 ビバ、アカプルコ
2009年01月09日
ブラジル旅行記 #3 - イグアス
さぁ、最後の訪問地、イグアスの旅行記を綴ろうと思う。
現地を訪れる前、イグアスのイメージは「轟音と共に落ちる滝」というイメージしか持っていなかった。それはそれで正しいのだが、実はイグアスの滝はジャングルの中にある。
飛行機からのイグアスの全景。まさにジャングルの中に大河が一本あり、それがスドォーンと落ちる場所がイグアスの滝なのだ。
イグアスの滝は、ブラジル側とアルゼンチン側の両方から見ることができる。初日はブラジル側から見学をした。
見よ、この大迫力、これが悪魔ののどぶえだ 大爆音と共に流れ落ちる滝は圧巻。最近は水量が多くないらしいが、それでも全身びしょ濡れ状態になった。広角レンズ(11mm)を持って行ったのだが、もっと広角レンズが欲しいくらいのパノラマ大迫力だった
滝を見た後は、写真右のように、ボートで滝が落ちてくるポイントまで行った。落ちてくる滝の水量の多さに目も開けられない・息も出来なかった。もちろん、全身ずぶ濡れ状態。だけど、これが一番印象に残るアトラクションだった・・・
このボートに乗る場所までジャングルの中をジープで下っていくのだが、イグアスのジャングルには豹・毒蛇・毒蜘蛛などがいるらしい。アマゾンに負けず劣らずのジャングルじゃないかぁ、と思った。。。
翌日はアルゼンチン側に渡っての見学となった。
アルゼンチン側は、遊歩道などもあってキレイに整備された国立公園になっている。イグアスの滝の約70%はアルゼンチン側にあるらしく、公園も非常に広大だ。広すぎるので、公園内は鉄道で移動する。写真右は、1993年(?)の大洪水で流された古い橋の残骸。
アルゼンチン側から見た悪魔ののどぶえ。とにかく水しぶきが凄くって、まともに写真が撮れない。レンズに水しぶきが沢山付いているのが分かるだろう。。。
滝が落ちたあと、写真の奥の方へ向かって流れていく。無数の滝が川に流れ落ちて行くのが分かるだろう。ちなみに、写真の右側は昨日訪れたブラジル側の見学ポイント。
ジャングルから流れ出す滝。不思議なのは、どうしてここだけ、こういう地形をしていたのか?ということ。大小合わせて300もの滝が存在しているとのこと。写真的には非常に絵になるシーンだ。
イグアス近辺に生息する動物。アリなんて体長2cmくらいある超デカサイズだ。オオトカゲ・鳥、はたまたワニまで居たから驚きだ。ワニは体長1.5mくらいの結構デカイやつだ。
イグアスに滞在したのが12/31-1/2だったので、年越しdinnerがホテルで込み込みになっていた。右から「海老の滝・スーパーデカイ魚の焼き物・子豚(?)とジャガイモの混ぜ物」。どれも豪快な作り方だ。味はまぁまぁと言ったところかぁ。。。
一つ意外だったのがワイン。写真右はブラジルワインだ。ブラジル全土で飲むチャンスがあったのだが、ブラジルがワインを造っているとは知らなかった。南米のワインの産地で有名なのはアルゼンチンとチリだ。テイスト的には、味が若いアルゼンチンワインに似ていて、全般的にドライなテイストだった。ま、それはブドウの品種にもよるだろうからねぇ・・・
そして12/31の夜は、毎年恒例のカウントダウン + 花火が上がる。イグアスは田舎の街だったので大した規模の花火ではなかったが、リオのコパカパーナビーチでは大勢の人が海岸に集まってきて盛大な花火大会となっているのをTVが中継していた。1日違いで見ることが出来なかったのは残念だったけど・・・ でも居たとしても多分危険なので行かないように、とか言われたんだろうなぁと思った。
こうして今年のXmas vacationはブラジルで過ごした。やっぱ、アマゾンとイグアスの体験は、日常の生活から大きくかけ離れているから、非常に印象深かった。リオは、それはそれで良かったのだが、都会ということもあって他ほどの印象はない。大自然と大都会、ブラジルは本当に大きな国だと実感。機会があったらまた来ようと思う (仕事は色々と難しいことが多いので、次の赴任先にならないように祈っていよう。。。)
現地を訪れる前、イグアスのイメージは「轟音と共に落ちる滝」というイメージしか持っていなかった。それはそれで正しいのだが、実はイグアスの滝はジャングルの中にある。
飛行機からのイグアスの全景。まさにジャングルの中に大河が一本あり、それがスドォーンと落ちる場所がイグアスの滝なのだ。
イグアスの滝は、ブラジル側とアルゼンチン側の両方から見ることができる。初日はブラジル側から見学をした。
見よ、この大迫力、これが悪魔ののどぶえだ 大爆音と共に流れ落ちる滝は圧巻。最近は水量が多くないらしいが、それでも全身びしょ濡れ状態になった。広角レンズ(11mm)を持って行ったのだが、もっと広角レンズが欲しいくらいのパノラマ大迫力だった
滝を見た後は、写真右のように、ボートで滝が落ちてくるポイントまで行った。落ちてくる滝の水量の多さに目も開けられない・息も出来なかった。もちろん、全身ずぶ濡れ状態。だけど、これが一番印象に残るアトラクションだった・・・
このボートに乗る場所までジャングルの中をジープで下っていくのだが、イグアスのジャングルには豹・毒蛇・毒蜘蛛などがいるらしい。アマゾンに負けず劣らずのジャングルじゃないかぁ、と思った。。。
翌日はアルゼンチン側に渡っての見学となった。
アルゼンチン側は、遊歩道などもあってキレイに整備された国立公園になっている。イグアスの滝の約70%はアルゼンチン側にあるらしく、公園も非常に広大だ。広すぎるので、公園内は鉄道で移動する。写真右は、1993年(?)の大洪水で流された古い橋の残骸。
アルゼンチン側から見た悪魔ののどぶえ。とにかく水しぶきが凄くって、まともに写真が撮れない。レンズに水しぶきが沢山付いているのが分かるだろう。。。
滝が落ちたあと、写真の奥の方へ向かって流れていく。無数の滝が川に流れ落ちて行くのが分かるだろう。ちなみに、写真の右側は昨日訪れたブラジル側の見学ポイント。
ジャングルから流れ出す滝。不思議なのは、どうしてここだけ、こういう地形をしていたのか?ということ。大小合わせて300もの滝が存在しているとのこと。写真的には非常に絵になるシーンだ。
イグアス近辺に生息する動物。アリなんて体長2cmくらいある超デカサイズだ。オオトカゲ・鳥、はたまたワニまで居たから驚きだ。ワニは体長1.5mくらいの結構デカイやつだ。
イグアスに滞在したのが12/31-1/2だったので、年越しdinnerがホテルで込み込みになっていた。右から「海老の滝・スーパーデカイ魚の焼き物・子豚(?)とジャガイモの混ぜ物」。どれも豪快な作り方だ。味はまぁまぁと言ったところかぁ。。。
一つ意外だったのがワイン。写真右はブラジルワインだ。ブラジル全土で飲むチャンスがあったのだが、ブラジルがワインを造っているとは知らなかった。南米のワインの産地で有名なのはアルゼンチンとチリだ。テイスト的には、味が若いアルゼンチンワインに似ていて、全般的にドライなテイストだった。ま、それはブドウの品種にもよるだろうからねぇ・・・
そして12/31の夜は、毎年恒例のカウントダウン + 花火が上がる。イグアスは田舎の街だったので大した規模の花火ではなかったが、リオのコパカパーナビーチでは大勢の人が海岸に集まってきて盛大な花火大会となっているのをTVが中継していた。1日違いで見ることが出来なかったのは残念だったけど・・・ でも居たとしても多分危険なので行かないように、とか言われたんだろうなぁと思った。
こうして今年のXmas vacationはブラジルで過ごした。やっぱ、アマゾンとイグアスの体験は、日常の生活から大きくかけ離れているから、非常に印象深かった。リオは、それはそれで良かったのだが、都会ということもあって他ほどの印象はない。大自然と大都会、ブラジルは本当に大きな国だと実感。機会があったらまた来ようと思う (仕事は色々と難しいことが多いので、次の赴任先にならないように祈っていよう。。。)
2009年01月09日
ブラジル旅行記 #2 - Rio de Janeiro
ブラジル2ヶ所目の滞在先はリオ・デ・ジャネイロだ。「リオのカーニバル」で有名な都市だ。
旅行記の前にちょっとだけリオの街について触れておこう。現在700万人超の人口を持ち、名前の由来はポルトガル語で「Rio=川、de=~の、Janeiro=1月、つまり1月の川」。その理由だが、昔ポルトガル人が1502年1月ここに辿り着いた際、リオの湾を川だと勘違いしたことが名前の由来だ。日系人は、昔は多く居たらしいのだが、現在では企業駐在員も含め、サンパウロの方へ移動し、現在では約1万人くらいの日本人が住んでいる。ま、一言で言うと大都会の街である。
4日間の滞在のうち、リオ市内観光・コパカパーナビーチでのんびり滞在・地方都市=ペトロポリナス観光などを楽しんだ。
リオの市内観光・・・
ボン・ジ・アスーカル。リオ市内が一望できる高台にあり、ケーブルカーで上っていく。ちょっと雲が多かったのが残念だった。。。
マラカナンスタジアム。10万人収容の世界最大のサッカースタジアム。年末の時期はシーズン中断の時期でピッチレベルまで降りて見学が出来る。真ん中はブラジル代表のユニーフォームを着たパフォーマンスをするおじさん。ブラジル代表の過去の栄光を示す写真が廊下一面に張られている。
リオのカーニバルが行われるストリート。全長600mくらいの短いストリートを1.5時間かけて踊りまくりながら移動する。リオのカーニバルでは1チーム1.5時間の持ち時間と制限があるとのこと。
コルコバードの丘のキリスト像。新世界七不思議の一つに選ばれた。曇っていて、シャッターチャンスが少なかった。。。
夜に見に行ったサンバショー。市内でやっている唯一のサンバショーステージらしいのだが、観光客はみんなこれを見に来るらしい。正確に言うと、ブラジル各地の民族舞踊を見せてくれて最後の半分が完全にサンバの世界となる。下段右写真の踊りだが、昔黒人奴隷たちが息抜きに遊びでやっていた足だけを使う格闘技を踊り化したもの。かなり躍動感にあふれたダンスだった。
翌日は一日コパカパーナビーチでのんびりと過ごしたのだが、写真が一枚もない。理由は盗難の危険が高いからカメラは持っていかない方が良いとのアドバイスからだ。ブラジルでは貧富の差が激しい。それはメキシコでも同じなのだが、違うのは「コソドロ(ブラジル)、誘拐(メキシコ)」ということだ。ナイフ・拳銃を突きつけて金品を強奪するので非常に危険。なので最初から持って行かない方が良いということだ。昼間は安全そうなのだが、早朝・夕方~夜は非常に危険らしい。でもコパカパーナビーチは本当に美しかった。2日ほど早朝に全長4kmのビーチをジョギングしたのだが、清々しい気持ちにさせてくれた。メキシコでは無味乾燥のroom runnerで走っているから、本当に清々しい気分だった。
日帰りでペトロポリナスという地方都市へ観光に行ってきた。この街は元々王族の避暑地として栄えた街なのだ。18世紀、ナポレオン仏軍に攻められたポルトガル皇室は一時ブラジルに避難した。その後、皇太子だけブラジルに残り独立を宣言、ドン・ペドロ1世としてブラジル初代皇帝に即位した。その後70年ほど帝政が続いたが、1889年に陸軍のクーデターにより共和制へとなった。
上段写真は、王族が使用していた宮殿で、今は博物館となっている。めちゃくちゃ広かった・・・ 王族が使用していた馬車と家族写真。
ペトロポリナスは、元が避暑地ということもあってノンビリした雰囲気が漂う街だ。町中に水路が張り巡らされていて、家も可愛らしいデザインのものが多い。この街も、メキシコ同様に、教会が建てられそこを中心に街が発展していったという歴史を持つ。
ブラジルはコーヒーの一大原産国なのは有名な話だが、チョコレートも盛んに作られていて、国中どこででもチョコを売っている。ここ、ペトロポリナスでもお土産物屋でも一番人気が高かったのがチョコだった(写真下段)
最後となったが、リオで食したブラジル料理をご紹介。
●左がMuqueca(ムケカ)と言って、魚介類のスープ。これを独特の調味料を混ぜて白飯にかけて食べるのだが、まるでカレーみたいだ。非常に美味しかった。
●右はカイピリーニャというお酒で、カシャーサという38度くらいある原酒にライムをいっぱい搾り、グラニュー糖をたっぷりと入れて出来上がり。非常に甘いテイストで、ジン&ライムをもっと甘くした感じのお酒だ。女性向けのお酒という感じだ。
●写真を撮るのを忘れてしまったのだが・・・ シュラスコ(=ブラジリアンステーキ)も勿論食べた。特に美味しかったのは「鳥の心臓、牛のコブ」。チャンスがあれば是非ご賞味あれ。
ふぅ~、また書きすぎてしまった 旅も大詰め。次回は最後のポイント、イグアスの旅行記を書こうと思う
旅行記の前にちょっとだけリオの街について触れておこう。現在700万人超の人口を持ち、名前の由来はポルトガル語で「Rio=川、de=~の、Janeiro=1月、つまり1月の川」。その理由だが、昔ポルトガル人が1502年1月ここに辿り着いた際、リオの湾を川だと勘違いしたことが名前の由来だ。日系人は、昔は多く居たらしいのだが、現在では企業駐在員も含め、サンパウロの方へ移動し、現在では約1万人くらいの日本人が住んでいる。ま、一言で言うと大都会の街である。
4日間の滞在のうち、リオ市内観光・コパカパーナビーチでのんびり滞在・地方都市=ペトロポリナス観光などを楽しんだ。
リオの市内観光・・・
ボン・ジ・アスーカル。リオ市内が一望できる高台にあり、ケーブルカーで上っていく。ちょっと雲が多かったのが残念だった。。。
マラカナンスタジアム。10万人収容の世界最大のサッカースタジアム。年末の時期はシーズン中断の時期でピッチレベルまで降りて見学が出来る。真ん中はブラジル代表のユニーフォームを着たパフォーマンスをするおじさん。ブラジル代表の過去の栄光を示す写真が廊下一面に張られている。
リオのカーニバルが行われるストリート。全長600mくらいの短いストリートを1.5時間かけて踊りまくりながら移動する。リオのカーニバルでは1チーム1.5時間の持ち時間と制限があるとのこと。
コルコバードの丘のキリスト像。新世界七不思議の一つに選ばれた。曇っていて、シャッターチャンスが少なかった。。。
夜に見に行ったサンバショー。市内でやっている唯一のサンバショーステージらしいのだが、観光客はみんなこれを見に来るらしい。正確に言うと、ブラジル各地の民族舞踊を見せてくれて最後の半分が完全にサンバの世界となる。下段右写真の踊りだが、昔黒人奴隷たちが息抜きに遊びでやっていた足だけを使う格闘技を踊り化したもの。かなり躍動感にあふれたダンスだった。
翌日は一日コパカパーナビーチでのんびりと過ごしたのだが、写真が一枚もない。理由は盗難の危険が高いからカメラは持っていかない方が良いとのアドバイスからだ。ブラジルでは貧富の差が激しい。それはメキシコでも同じなのだが、違うのは「コソドロ(ブラジル)、誘拐(メキシコ)」ということだ。ナイフ・拳銃を突きつけて金品を強奪するので非常に危険。なので最初から持って行かない方が良いということだ。昼間は安全そうなのだが、早朝・夕方~夜は非常に危険らしい。でもコパカパーナビーチは本当に美しかった。2日ほど早朝に全長4kmのビーチをジョギングしたのだが、清々しい気持ちにさせてくれた。メキシコでは無味乾燥のroom runnerで走っているから、本当に清々しい気分だった。
日帰りでペトロポリナスという地方都市へ観光に行ってきた。この街は元々王族の避暑地として栄えた街なのだ。18世紀、ナポレオン仏軍に攻められたポルトガル皇室は一時ブラジルに避難した。その後、皇太子だけブラジルに残り独立を宣言、ドン・ペドロ1世としてブラジル初代皇帝に即位した。その後70年ほど帝政が続いたが、1889年に陸軍のクーデターにより共和制へとなった。
上段写真は、王族が使用していた宮殿で、今は博物館となっている。めちゃくちゃ広かった・・・ 王族が使用していた馬車と家族写真。
ペトロポリナスは、元が避暑地ということもあってノンビリした雰囲気が漂う街だ。町中に水路が張り巡らされていて、家も可愛らしいデザインのものが多い。この街も、メキシコ同様に、教会が建てられそこを中心に街が発展していったという歴史を持つ。
ブラジルはコーヒーの一大原産国なのは有名な話だが、チョコレートも盛んに作られていて、国中どこででもチョコを売っている。ここ、ペトロポリナスでもお土産物屋でも一番人気が高かったのがチョコだった(写真下段)
最後となったが、リオで食したブラジル料理をご紹介。
●左がMuqueca(ムケカ)と言って、魚介類のスープ。これを独特の調味料を混ぜて白飯にかけて食べるのだが、まるでカレーみたいだ。非常に美味しかった。
●右はカイピリーニャというお酒で、カシャーサという38度くらいある原酒にライムをいっぱい搾り、グラニュー糖をたっぷりと入れて出来上がり。非常に甘いテイストで、ジン&ライムをもっと甘くした感じのお酒だ。女性向けのお酒という感じだ。
●写真を撮るのを忘れてしまったのだが・・・ シュラスコ(=ブラジリアンステーキ)も勿論食べた。特に美味しかったのは「鳥の心臓、牛のコブ」。チャンスがあれば是非ご賞味あれ。
ふぅ~、また書きすぎてしまった 旅も大詰め。次回は最後のポイント、イグアスの旅行記を書こうと思う
2009年01月08日
ブラジル旅行記 #1
Feliz Ano 2009!!!
スペイン語で「Happy New Year 2009」という意味だ。皆さんはXmas休暇をどのように過ごしましたか? 我が家では毎年この時期は南米へ旅行に行っている。メキシコにいるという(日本からよりは)立地条件的に近いし、赴任期間も限られているからそのチャンスを有効活用しようということで。昨年はアルゼンチン、そして今年はブラジルへと旅行に行ってきた。
広大なブラジルではマナウス(=アマゾン)、リオ、イグアスの3ヶ所を回ったが、特にアマゾン・イグアスでの体験は大自然を大いに満喫した価値の高いものだった。コンテンツ・写真が盛り沢山なので3回に分けて旅行記を綴ろうと思う。最初は大自然いっぱいのアマゾン紀行だ。
私たちが泊まったホテルはAriau Amazon Towerというジャングルのど真ん中に立地するホテルで、マナウスのダウンタウンから船で2.5時間ほどアマゾン川を上流へ上った所にあるジャングル以外には何もない所だ。なのでジャングル体験を大いに満喫することができた。
ここが泊まったホテル。高床式になっていて崩れ落ちないか?と心配になる構造だったが、これはアマゾンの伝統的な建築様式らしい。アマゾン川は年間に10mも水位が上下するのでこの様式らしい。ちなみに12月は最低水位の時期らしい。人に慣れているリス猿たちが観光客の到着を歓迎してくれる。
到着した翌日は多くのアクティビティを満喫した。
アマゾンのジャングルは歩くには非常に危険な場所だ。至る所に猛毒を持った動物・昆虫・植物がある。なので通常の交通手段は船・ボートとなる。川にもピラニア・ワニ・アナコンダなど無数の危険な魚・動物がいるのだが、陸よりはマシということだろう。ちなみに私たちが泊まったホテルのそばを流れるのは正確にはネグロ川(=黒い川)で、そこから30kmくらい下流でソリモインス川と合流してアマゾン川となる。
まずは午前中にジャングルトレッキングへ行った。前出の通り、ジャングルは非常に危険である。中段左の写真のアリ、何気ないアリに見えるのだが実は猛毒を持ったアリで、噛まれると5分足らずで死に至るという超危険なアリなのだ。それ以外にも猛毒の蛇・カエル・植物・・・ 慣れているガイドでさえ、自分が知っている道にしか絶対に入らないという。
トレッキング前のガイドからの指示は、「私が通った道にそれないで付いてくること・色がカラフルなものほど猛毒を持っている危険が高いので絶対に触らないこと・犬が吼えたりしたら蛇がいる可能性が高いので絶対に動かないこと・・・」などなど緊張感を持ったトレッキングだった。ちなみに写真の犬が私たちを先導してくれた犬だ。ジャングルでは鼻の効く犬が非常に頼りになる。
一方で、ジャングルの中はというと「ものすごい湿気・大量の蚊・とてつもないデカイ木や見たことない植物」など未知の体験ばかりだった。ただ、人間の住める場所ではないなぁ・・・というのが感想
トレッキング後、ガイドがタピオカのお菓子を作ってくれた。が、、、これも気をつけねばならない。中段右の写真の汁を絞っている写真だが、この時点では猛毒を持った状態。それをナベで炒っていくつかの工程を重ねて下段左の写真のお菓子となる。これ自体は甘さ控えめで非常に美味しかった。アマゾンで生きるには大いなる知恵と工夫が必要だと実感した。
午後になって原住民のお宅訪問へ行った。ここ自体はジャングルを切り開いて作ったという感じで、ジャングルの中という訳ではないのだが、もちろんジャングルはすぐ隣にある場所だ。この村には総勢20人くらいの人が住んでいるらしく、もとはアマゾンはゴム採掘で有名な場所であった。ゴムの木から白い液体を取り出し(真ん中写真)、火で炒ってゴムをつくる(右写真)というシンプルな工程だ。17-18世紀には全世界のゴムの8割をアマゾンで生産していたらしいが、その後、イギリス人の手でマレーシアなどの東南アジアでゴム生産が始まったことでアマゾンでの生産は衰退したらしい。今では細々とやっている程度とのこと。
そして夕方~夜にかけて、ピラニア釣り・ワニツアーへ行った。
ピラニア釣りでは、結局1時間くらいの釣りでは私たちは一匹も連れなかったが、同船してた他の人が見事にピラニアを2匹も釣り上げた。一目瞭然、かなり鋭い歯で獰猛さが伝わってくる。釣りの前の注意事項も「釣ったら、絶対に自分で針を外さないで!! 指を食いちぎられるから。」とのこと。ちなみにナマズもよく釣れるらしく、他の人はナマズを釣っていた。息子Rはそれを持ってハイ・チーズ。
夜のワニツアーでは1時間くらい探してやっと1匹捕らえることができた。体長60cmくらいの小型のワニで、アマゾンには多数生息している。捕獲後、生態に関する話を1時間ほど聞いたのだが、子供のころはピラニアの餌食になることが多いらしいのだが成人すると逆にピラニアを食べてしまうらしい。また普段は人間に襲い掛かることは稀だが、油断してると指くらいは軽く喰いちぎられるから(写真撮影のために)抱く時もメチャクチャ緊張した。表面は非常に硬質の皮で外的からの攻撃に耐えれるという感じ。また食べることもできるそうで、特に尾尻の部分が肉が詰まって美味しいらしい。
突然だが、アマゾン川の生態系の頂点に立つ生き物は何だとお思いだろうか ピラニア・ワニ・アナコンダ・・・ 答えはピンクイルカとのこと。以外な答えだと私は思ったのだが、ピンクイルカは体長1mちょいくらいで雑食性らしく何でも食べてしまうらしい。だから、ピンクイルカを飼育している周りは危険ではないらしい。以外な発見だった
最後にアマゾンの伝統的な食事をご紹介しよう。左がピラニアスープ。釣ったピラニアをそのままスープにしてくれた。ピラニア自体は小骨が多くて食べるのに苦労したが、味は美味しかった。そして真ん中がピラルクーという魚。体長が3-4mにもなる生きた化石と言われている巨大魚だ。味自体は”ぎゅ、っと肉が詰まった白身魚”という感じで少々パサパサ感があった。鯛に味が似てるかなぁ~と思った。右はSKOLというブラジルビール。味的には薄い・さっぱり系の味だ。旅行中は大変お世話になったビールだ。
ふぅ~、、、自分で内容を振り返っても満載すぎるくらいだが、それくらい都会生活では絶対に味わえない未知の体験が多かったということだろう。時間は掛かったけど行った価値は非常に高かった。
次回は寄港地は都会の町、リオ・デ・ジャネイロの旅行記を記そうと思う
スペイン語で「Happy New Year 2009」という意味だ。皆さんはXmas休暇をどのように過ごしましたか? 我が家では毎年この時期は南米へ旅行に行っている。メキシコにいるという(日本からよりは)立地条件的に近いし、赴任期間も限られているからそのチャンスを有効活用しようということで。昨年はアルゼンチン、そして今年はブラジルへと旅行に行ってきた。
広大なブラジルではマナウス(=アマゾン)、リオ、イグアスの3ヶ所を回ったが、特にアマゾン・イグアスでの体験は大自然を大いに満喫した価値の高いものだった。コンテンツ・写真が盛り沢山なので3回に分けて旅行記を綴ろうと思う。最初は大自然いっぱいのアマゾン紀行だ。
私たちが泊まったホテルはAriau Amazon Towerというジャングルのど真ん中に立地するホテルで、マナウスのダウンタウンから船で2.5時間ほどアマゾン川を上流へ上った所にあるジャングル以外には何もない所だ。なのでジャングル体験を大いに満喫することができた。
ここが泊まったホテル。高床式になっていて崩れ落ちないか?と心配になる構造だったが、これはアマゾンの伝統的な建築様式らしい。アマゾン川は年間に10mも水位が上下するのでこの様式らしい。ちなみに12月は最低水位の時期らしい。人に慣れているリス猿たちが観光客の到着を歓迎してくれる。
到着した翌日は多くのアクティビティを満喫した。
アマゾンのジャングルは歩くには非常に危険な場所だ。至る所に猛毒を持った動物・昆虫・植物がある。なので通常の交通手段は船・ボートとなる。川にもピラニア・ワニ・アナコンダなど無数の危険な魚・動物がいるのだが、陸よりはマシということだろう。ちなみに私たちが泊まったホテルのそばを流れるのは正確にはネグロ川(=黒い川)で、そこから30kmくらい下流でソリモインス川と合流してアマゾン川となる。
まずは午前中にジャングルトレッキングへ行った。前出の通り、ジャングルは非常に危険である。中段左の写真のアリ、何気ないアリに見えるのだが実は猛毒を持ったアリで、噛まれると5分足らずで死に至るという超危険なアリなのだ。それ以外にも猛毒の蛇・カエル・植物・・・ 慣れているガイドでさえ、自分が知っている道にしか絶対に入らないという。
トレッキング前のガイドからの指示は、「私が通った道にそれないで付いてくること・色がカラフルなものほど猛毒を持っている危険が高いので絶対に触らないこと・犬が吼えたりしたら蛇がいる可能性が高いので絶対に動かないこと・・・」などなど緊張感を持ったトレッキングだった。ちなみに写真の犬が私たちを先導してくれた犬だ。ジャングルでは鼻の効く犬が非常に頼りになる。
一方で、ジャングルの中はというと「ものすごい湿気・大量の蚊・とてつもないデカイ木や見たことない植物」など未知の体験ばかりだった。ただ、人間の住める場所ではないなぁ・・・というのが感想
トレッキング後、ガイドがタピオカのお菓子を作ってくれた。が、、、これも気をつけねばならない。中段右の写真の汁を絞っている写真だが、この時点では猛毒を持った状態。それをナベで炒っていくつかの工程を重ねて下段左の写真のお菓子となる。これ自体は甘さ控えめで非常に美味しかった。アマゾンで生きるには大いなる知恵と工夫が必要だと実感した。
午後になって原住民のお宅訪問へ行った。ここ自体はジャングルを切り開いて作ったという感じで、ジャングルの中という訳ではないのだが、もちろんジャングルはすぐ隣にある場所だ。この村には総勢20人くらいの人が住んでいるらしく、もとはアマゾンはゴム採掘で有名な場所であった。ゴムの木から白い液体を取り出し(真ん中写真)、火で炒ってゴムをつくる(右写真)というシンプルな工程だ。17-18世紀には全世界のゴムの8割をアマゾンで生産していたらしいが、その後、イギリス人の手でマレーシアなどの東南アジアでゴム生産が始まったことでアマゾンでの生産は衰退したらしい。今では細々とやっている程度とのこと。
そして夕方~夜にかけて、ピラニア釣り・ワニツアーへ行った。
ピラニア釣りでは、結局1時間くらいの釣りでは私たちは一匹も連れなかったが、同船してた他の人が見事にピラニアを2匹も釣り上げた。一目瞭然、かなり鋭い歯で獰猛さが伝わってくる。釣りの前の注意事項も「釣ったら、絶対に自分で針を外さないで!! 指を食いちぎられるから。」とのこと。ちなみにナマズもよく釣れるらしく、他の人はナマズを釣っていた。息子Rはそれを持ってハイ・チーズ。
夜のワニツアーでは1時間くらい探してやっと1匹捕らえることができた。体長60cmくらいの小型のワニで、アマゾンには多数生息している。捕獲後、生態に関する話を1時間ほど聞いたのだが、子供のころはピラニアの餌食になることが多いらしいのだが成人すると逆にピラニアを食べてしまうらしい。また普段は人間に襲い掛かることは稀だが、油断してると指くらいは軽く喰いちぎられるから(写真撮影のために)抱く時もメチャクチャ緊張した。表面は非常に硬質の皮で外的からの攻撃に耐えれるという感じ。また食べることもできるそうで、特に尾尻の部分が肉が詰まって美味しいらしい。
突然だが、アマゾン川の生態系の頂点に立つ生き物は何だとお思いだろうか ピラニア・ワニ・アナコンダ・・・ 答えはピンクイルカとのこと。以外な答えだと私は思ったのだが、ピンクイルカは体長1mちょいくらいで雑食性らしく何でも食べてしまうらしい。だから、ピンクイルカを飼育している周りは危険ではないらしい。以外な発見だった
最後にアマゾンの伝統的な食事をご紹介しよう。左がピラニアスープ。釣ったピラニアをそのままスープにしてくれた。ピラニア自体は小骨が多くて食べるのに苦労したが、味は美味しかった。そして真ん中がピラルクーという魚。体長が3-4mにもなる生きた化石と言われている巨大魚だ。味自体は”ぎゅ、っと肉が詰まった白身魚”という感じで少々パサパサ感があった。鯛に味が似てるかなぁ~と思った。右はSKOLというブラジルビール。味的には薄い・さっぱり系の味だ。旅行中は大変お世話になったビールだ。
ふぅ~、、、自分で内容を振り返っても満載すぎるくらいだが、それくらい都会生活では絶対に味わえない未知の体験が多かったということだろう。時間は掛かったけど行った価値は非常に高かった。
次回は寄港地は都会の町、リオ・デ・ジャネイロの旅行記を記そうと思う
2008年12月03日
オアハカ-2
ここの所、仕事が忙しくてブログどころの話ではなかったが、やっとオアハカブログ第2段が書けるようになった。
翌日は、オアハカのセントロ(=旧市街)を散策した。メキシコの都市はどこでもそうなのだが、必ず中心地にカテドラル(=教会)があり、そこから街が造られていった。なので、散策する際はカテドラルからスタートすると比較的分かり易い。愛用している一眼レフで撮った写真と共にセントロを散策してみようと思う。
まずはカテドラル(=教会)。オアハカで一番デカイ教会だ。一番デカイ・・・? 他にもある・・・? はい、他にも教会があります。この街には計 3つの教会があります。普通は1つなんだけど・・・ 何故と思ったが、多分中規模の街だからだろう、と勝手に片付けた。
この教会は、またまた「地球・・・」によると内装の豪華さで有名な教会とのこと。確かに、金をふんだんに使用した派手な内装という印象だ。
次に訪れたのが「ベニート・フアレスの生家」だ。ベニート・フアレスとは、メキシコでの唯一原住民から大統領まで上り詰めた人物のことで、ここオアハカ出身らしい。ちなみに、メキシコシティーの国際空港の名前にもなっているくらい有名な方だ。
ここ自体は特筆する見物ポイントではないのだが、ベニート・フアレスのことを(少しだけだが)知ることができたのは良かった。
最後に訪れたのは「オアハカ博物館」で、ここにはオアハカ州から集められた品々が飾ってある大きな博物館だ。勿論、原住民の時代~スペイン征服の時代まで、ありとあらゆる調度品が各テーマ別に陳列されてある。一番右の写真は「黒のヒスイ(多分・・・)で作られたシャレコウベ」だが、何故シャレコウベなのかは分からなかった。。。
最後にオアハカ料理について書こうと思う。オアハカで有名な料理は基本的には2つ。1つ目は「オアハカチーズ」で、裂けるチーズで世界的にも有名なチーズだ。2つ目は「モーレ」と言って、チョコレートのタレをチキンにかけて食べる料理のことだ。もちろん甘いタレではない。
写真手前(6時方向)~9時方向にかけてあるのがモーレとオアハカチーズ。メキシコシティでも食べれるので特に感動という感じではなかった・・・
名前は忘れてしまったが、オアハカ地方でしか食べれない料理。揚げたトルティージャの上にビーンズをひいて鶏肉(or チーズ)を乗せて出来上がり。中々酒のつまみに美味しかった。
その他、左が魚介類のスープ。このスープが結構美味いんだぁ~。左がケソ・コン・チョリソー(=ウィンナー入りチーズ)で、トルティージャと一緒に食べる。
「Noche Bueno(=Good night)」という濃い口系ビール。Noche Buenoには、メキシコでは2つの意味があるらしい。一つはデザインにもなっている花のことをさす。2つ目は「Xmas」のことだ。なので、このビールは年末にしか出回らないらしい。
正直、オアハカでの3日間でこれと言った料理に巡り合うことは無かった。期待値が高かったという訳ではないだろうが、メキシコシティに居ても十分食べれる料理が多いせいもあったのだろう。。。ま、こんな感じってことで。
翌日は、オアハカのセントロ(=旧市街)を散策した。メキシコの都市はどこでもそうなのだが、必ず中心地にカテドラル(=教会)があり、そこから街が造られていった。なので、散策する際はカテドラルからスタートすると比較的分かり易い。愛用している一眼レフで撮った写真と共にセントロを散策してみようと思う。
まずはカテドラル(=教会)。オアハカで一番デカイ教会だ。一番デカイ・・・? 他にもある・・・? はい、他にも教会があります。この街には計 3つの教会があります。普通は1つなんだけど・・・ 何故と思ったが、多分中規模の街だからだろう、と勝手に片付けた。
この教会は、またまた「地球・・・」によると内装の豪華さで有名な教会とのこと。確かに、金をふんだんに使用した派手な内装という印象だ。
次に訪れたのが「ベニート・フアレスの生家」だ。ベニート・フアレスとは、メキシコでの唯一原住民から大統領まで上り詰めた人物のことで、ここオアハカ出身らしい。ちなみに、メキシコシティーの国際空港の名前にもなっているくらい有名な方だ。
ここ自体は特筆する見物ポイントではないのだが、ベニート・フアレスのことを(少しだけだが)知ることができたのは良かった。
最後に訪れたのは「オアハカ博物館」で、ここにはオアハカ州から集められた品々が飾ってある大きな博物館だ。勿論、原住民の時代~スペイン征服の時代まで、ありとあらゆる調度品が各テーマ別に陳列されてある。一番右の写真は「黒のヒスイ(多分・・・)で作られたシャレコウベ」だが、何故シャレコウベなのかは分からなかった。。。
最後にオアハカ料理について書こうと思う。オアハカで有名な料理は基本的には2つ。1つ目は「オアハカチーズ」で、裂けるチーズで世界的にも有名なチーズだ。2つ目は「モーレ」と言って、チョコレートのタレをチキンにかけて食べる料理のことだ。もちろん甘いタレではない。
写真手前(6時方向)~9時方向にかけてあるのがモーレとオアハカチーズ。メキシコシティでも食べれるので特に感動という感じではなかった・・・
名前は忘れてしまったが、オアハカ地方でしか食べれない料理。揚げたトルティージャの上にビーンズをひいて鶏肉(or チーズ)を乗せて出来上がり。中々酒のつまみに美味しかった。
その他、左が魚介類のスープ。このスープが結構美味いんだぁ~。左がケソ・コン・チョリソー(=ウィンナー入りチーズ)で、トルティージャと一緒に食べる。
「Noche Bueno(=Good night)」という濃い口系ビール。Noche Buenoには、メキシコでは2つの意味があるらしい。一つはデザインにもなっている花のことをさす。2つ目は「Xmas」のことだ。なので、このビールは年末にしか出回らないらしい。
正直、オアハカでの3日間でこれと言った料理に巡り合うことは無かった。期待値が高かったという訳ではないだろうが、メキシコシティに居ても十分食べれる料理が多いせいもあったのだろう。。。ま、こんな感じってことで。
2008年11月25日
オアハカ
最近仕事が忙しくって、随分とブログをご無沙汰していた気がする・・・ でもlife in Mexicoはちゃっかり楽しんでました、はい。
11月の中旬の3連休を利用してメキシコ南東部にあるオアハカという街に行ってきた。「地球・・・」によると、標高は1550m、先住民の比率が最も高く、スペインと先住民の文化が交わる民族色豊かなメキシコの魅力を凝縮した街とのことだ。ちなみに、メキシコシティーからは飛行機で約1時間くらいの所で、ヨーロッパ・アメリカからの観光客がワンサカ居た。
オアハカには観光ポイントが大枠で2つある。一つは郊外、もう一つはセントロ(ダウンタウン)だ。私は初日は郊外のスポットから旅をスタートさせた。
最初のポイントは「Mitla(ミトラ)」という遺跡。これも「地球・・・」によると、9-12世紀にサポテコ人という(マヤ人以前)の先住民が祭祀センターとして街を建設し、生贄の儀式も頻繁に行われていたらしい。その多くの生贄の死体の数に、スペイン人宣教師が驚いて再度封印してしまったという話も残っている。
幾何学模様が特徴の建築物だが、建築技術そのものは高度な物と推測できる。写真的には、ちょっと天気が悪かったのが残念だった・・・
次に訪れたのがテキーラショップと絨毯屋。テキーラって、テキーラ村だけでしか作られていないと思っていたが、テキーラの元となるAgaveも畑で栽培されている本物だった。しかも、通常テキーラより10%もアルコール度数が高い(=48%) はっきり言って消毒液に近い味だった。。。
店内の風景は”魚眼レンズ”で撮影してみた。古ぼけたbarという感じの店作りだ。上段一番右が「Mitleno」というアルコール度数=48度のテキーラで下段が店の入口。メキシコちっくな店構えだ。
そして絨毯屋では、いまだに機織り機で一枚一枚手作りをしているのには驚いた・・・ 1時間くらい工程をスペイン語で説明してくれる。全部は分からなかったが、染色などは興味深かった。店の外はのどかな畑が広がる景色だ。
次に訪れたポイントは「El Ture(=The Tree)」という場所。ここにあるArbol del Tuleという木、南北アメリカ大陸で一番大きな木らしく、樹齢2千年以上(詳細不明)、高さ42m、幹周り58m、重量550トンにも達する超巨大な木だ。
横に建っているのは教会だが、以下にこの木がデカイか比べてもよーく分かる。幹もムチャクチャでかく、写真右の幹の一部なんて潰れてしまって何だかよく分からない・・・
初日、最後に訪れたのは「Monte Alban(モンテ・アルバン)」という遺跡。これまた「地球・・・」によると、紀元前500年ころより前出サポテコ人が都市を建築し、マヤ文明以前で中央アメリカ最古の遺跡らしい。サポテコ人は、この場所を埋葬の場として利用していたらしく、170ほどの墳墓が発見されている。また、天文学が発達しており、春分・秋分の時のみ日が沈むように設計・建築された天文台があるなど、かなりの高度な文明であったと思われる。
一番大きい写真が広場全体を撮影したもの。一番手前にある矢印みたいな建物が、前出の「春分・秋分の日にのみ・・・」という天文台。ここ自体、ダウンタウンより高台になっている。また至る所に墓標と思われる絵が描かれた石盤が転がっていた。
ここも、日が照ったり陰ったりで、写真撮影には非常に気を使う天候だった。いまいち写真のデキに納得していない・・・
ということで、初日は遺跡見学を中心にオアハカを楽しんだ。いわゆる「スペイン人が来る前」の歴史だ。次回はオアハカのダウンタウンとオアハカ料理に関して書いてみようと思う
11月の中旬の3連休を利用してメキシコ南東部にあるオアハカという街に行ってきた。「地球・・・」によると、標高は1550m、先住民の比率が最も高く、スペインと先住民の文化が交わる民族色豊かなメキシコの魅力を凝縮した街とのことだ。ちなみに、メキシコシティーからは飛行機で約1時間くらいの所で、ヨーロッパ・アメリカからの観光客がワンサカ居た。
オアハカには観光ポイントが大枠で2つある。一つは郊外、もう一つはセントロ(ダウンタウン)だ。私は初日は郊外のスポットから旅をスタートさせた。
最初のポイントは「Mitla(ミトラ)」という遺跡。これも「地球・・・」によると、9-12世紀にサポテコ人という(マヤ人以前)の先住民が祭祀センターとして街を建設し、生贄の儀式も頻繁に行われていたらしい。その多くの生贄の死体の数に、スペイン人宣教師が驚いて再度封印してしまったという話も残っている。
幾何学模様が特徴の建築物だが、建築技術そのものは高度な物と推測できる。写真的には、ちょっと天気が悪かったのが残念だった・・・
次に訪れたのがテキーラショップと絨毯屋。テキーラって、テキーラ村だけでしか作られていないと思っていたが、テキーラの元となるAgaveも畑で栽培されている本物だった。しかも、通常テキーラより10%もアルコール度数が高い(=48%) はっきり言って消毒液に近い味だった。。。
店内の風景は”魚眼レンズ”で撮影してみた。古ぼけたbarという感じの店作りだ。上段一番右が「Mitleno」というアルコール度数=48度のテキーラで下段が店の入口。メキシコちっくな店構えだ。
そして絨毯屋では、いまだに機織り機で一枚一枚手作りをしているのには驚いた・・・ 1時間くらい工程をスペイン語で説明してくれる。全部は分からなかったが、染色などは興味深かった。店の外はのどかな畑が広がる景色だ。
次に訪れたポイントは「El Ture(=The Tree)」という場所。ここにあるArbol del Tuleという木、南北アメリカ大陸で一番大きな木らしく、樹齢2千年以上(詳細不明)、高さ42m、幹周り58m、重量550トンにも達する超巨大な木だ。
横に建っているのは教会だが、以下にこの木がデカイか比べてもよーく分かる。幹もムチャクチャでかく、写真右の幹の一部なんて潰れてしまって何だかよく分からない・・・
初日、最後に訪れたのは「Monte Alban(モンテ・アルバン)」という遺跡。これまた「地球・・・」によると、紀元前500年ころより前出サポテコ人が都市を建築し、マヤ文明以前で中央アメリカ最古の遺跡らしい。サポテコ人は、この場所を埋葬の場として利用していたらしく、170ほどの墳墓が発見されている。また、天文学が発達しており、春分・秋分の時のみ日が沈むように設計・建築された天文台があるなど、かなりの高度な文明であったと思われる。
一番大きい写真が広場全体を撮影したもの。一番手前にある矢印みたいな建物が、前出の「春分・秋分の日にのみ・・・」という天文台。ここ自体、ダウンタウンより高台になっている。また至る所に墓標と思われる絵が描かれた石盤が転がっていた。
ここも、日が照ったり陰ったりで、写真撮影には非常に気を使う天候だった。いまいち写真のデキに納得していない・・・
ということで、初日は遺跡見学を中心にオアハカを楽しんだ。いわゆる「スペイン人が来る前」の歴史だ。次回はオアハカのダウンタウンとオアハカ料理に関して書いてみようと思う
2008年10月01日
グアダラハラ + テキーラ旅行 #3
旅行3日目はグアダラハラ市街を散策した。人口165万人とメキシコシティーの1/10ということだけあって、全てがこじんまりとまとまっている感じだ。一眼レフで撮った写真と一緒にツアーをしていこう。
メキシコのどの街にもあるカテドラル(=教会)。さすがに田舎街のとは規模が違った。
こちらはハリスコ州庁舎。歴史を感じる建物だ。ここもメキシコ国旗色で飾られている。
街中で売られているメキシコ国旗。メキシコでは独立記念日前になると、こうやって街中の至る所で国旗が売られている。
これがオスピシオ・カバーニャス。1810年くらいの築で1980年までは病院付きの孤児院として使用されていた。この建物の中に、有名な「メキシコの侵略」と題した天井壁画がある。それが
一番下の絵が最も有名な絵で、係員によると「Hombre de fuego(=火の男)」とのこと。こういった絵が建物の中に50個くらい描かれているらしい。1997年にこれらの絵を含む建物全体がユネスコの世界遺産に登録された。
最後の〆はデゴジャード劇場でのメキシコ民族舞踏を鑑賞した。
上段3つがデゴジャード劇場の外観と中。オペラ劇場の様な舞台で、メキシコ各地の民族舞踏を2時間に渡って披露してくれる。ウチの運転手に聞いてみると50%くらいは地元ハリスコ州の踊りで、残りが各地の踊りらしい。日本でも2度ほど公演をしたことのある名門チームの踊りに圧倒されながら楽しんだ。
ってな感じでグアダラハラ + テキーラを楽しんだツアーだった。メキシコに住んでなけりゃ絶対に来なかっただろうと思う
メキシコ地方都市の散策もこれで2回連続となったが、各地の風情があって中々楽しい。メキシコには世界遺産の街・建物がたくさんあって、趣味の一眼レフを持って訪れるのは非常に良い国だと思う。
次回は11月に、世界的にもチーズで有名なOaxaca(=オアハカ)へ行こうと計画中だ。
メキシコのどの街にもあるカテドラル(=教会)。さすがに田舎街のとは規模が違った。
こちらはハリスコ州庁舎。歴史を感じる建物だ。ここもメキシコ国旗色で飾られている。
街中で売られているメキシコ国旗。メキシコでは独立記念日前になると、こうやって街中の至る所で国旗が売られている。
これがオスピシオ・カバーニャス。1810年くらいの築で1980年までは病院付きの孤児院として使用されていた。この建物の中に、有名な「メキシコの侵略」と題した天井壁画がある。それが
一番下の絵が最も有名な絵で、係員によると「Hombre de fuego(=火の男)」とのこと。こういった絵が建物の中に50個くらい描かれているらしい。1997年にこれらの絵を含む建物全体がユネスコの世界遺産に登録された。
最後の〆はデゴジャード劇場でのメキシコ民族舞踏を鑑賞した。
上段3つがデゴジャード劇場の外観と中。オペラ劇場の様な舞台で、メキシコ各地の民族舞踏を2時間に渡って披露してくれる。ウチの運転手に聞いてみると50%くらいは地元ハリスコ州の踊りで、残りが各地の踊りらしい。日本でも2度ほど公演をしたことのある名門チームの踊りに圧倒されながら楽しんだ。
ってな感じでグアダラハラ + テキーラを楽しんだツアーだった。メキシコに住んでなけりゃ絶対に来なかっただろうと思う
メキシコ地方都市の散策もこれで2回連続となったが、各地の風情があって中々楽しい。メキシコには世界遺産の街・建物がたくさんあって、趣味の一眼レフを持って訪れるのは非常に良い国だと思う。
次回は11月に、世界的にもチーズで有名なOaxaca(=オアハカ)へ行こうと計画中だ。
2008年09月30日
グアダラハラ + テキーラ旅行 #2
翌日はテキーラへ足を伸ばした。グアダラハラから車で約30分くらいの所に位置している。目的はテキーラの酒造行程見学である。
我々が訪れた農園は「Hacienda San Jose del REFUGIO」というところ。いくつかのテキーラ農園があるが、友人の薦めと最も歴史があるという理由からここを選んだ。ここでの有名なテキーラ銘柄は「Herradura(エラデゥーラ)」と「Jimador(ヒマドール)」の2つ。普段メキシコシティーで何気なく見ていたこれらの銘柄だが、こうやって見ると一段と格上に見えてくる。
工場見学だが、時間が決まっているということで、我々は10時からのツアーを予め予約しておいた。ちょうどメキシコは9/16が独立記念日で、この前の日の9/15と16はツアーがありませんと農園の入口にアナウンスがしてあった。我々は9/14に訪れたのでラッキーだった。
テキーラの元となるAgave(アガベ)の写真。一人前になるには7-8年の歳月が必要らしい。手入れされている畑だと下段左のようになっているが、多くの畑は雑草と一緒にAgaveが植えられている。
上段真ん中はAgaveの中身。この時点ではまだ甘い果物の一種って感じだ。上段右の格好が伝統的なテキーラ畑での作業服とのこと。
上段左はテキーラを酒造する現代の機械、上段真ん中左は昔のテキーラ酒造道具だ。130年くらいの歴史なのだが、時代の流れを感じる。
上段右はテキーラを寝かせておく樽。テキーラには3種があり、各々熟成期間によって名前が変わってくる。熟成期間が2ヶ月以内くらいのものはブランコ(=スペイン語で白という意味)、2ヶ月~1年くらいのものがReposada(レポサダ)、1年以上をAnejo(アニェホ)という。熟成度合いに応じてテキーラの色がドンドン濃くなっていく。
その後、テキーラ村の中心街へ足を伸ばした。ここに何がある訳ではなかったのだが、とにかく街全体がテキーラの匂いが染み渡っている感じで、歩いているだけで酔っ払いそうだ。写真はカテドラル(教会)。
テキーラ博物館にあった代々のテキーラ。これで約半分くらいの展示。もの凄い数の銘柄が展示されている。
そして、これらが戦利品。真ん中のテキーラ、Jimadorは凄く有名な賞を取ったらしい。右の樽は観光客向けのお土産品。小さそうに見えて、これで1L入るというから驚きだ。
その夜はグアダラハラに帰ってきて、2回目のハリスコ州料理を堪能した。行ったレストランは「Sacramonto」というところ。友人に教えて貰った地元の人くらいしか来ないというレストランだ。
店内の写真を魚眼レンズで撮影。中々面白い写真だと我ながら思った。ハリスコ州では肉の煮込みが名物ということで、この日も鳥と牛の煮込み料理を頂く。肉が柔らかくスープの味が染みこんでいて最高に美味かった。
食事後、グアダラハラの街を散策。何の建物かは分からなかったが、ちょうど独立記念日の前ということもあって、街全がメキシコ国旗の赤・白・緑で装飾されている。雰囲気が”メキシコ”って感じだ。
明日最終日はグアダラハラの街を散策予定だ。
(続く)
我々が訪れた農園は「Hacienda San Jose del REFUGIO」というところ。いくつかのテキーラ農園があるが、友人の薦めと最も歴史があるという理由からここを選んだ。ここでの有名なテキーラ銘柄は「Herradura(エラデゥーラ)」と「Jimador(ヒマドール)」の2つ。普段メキシコシティーで何気なく見ていたこれらの銘柄だが、こうやって見ると一段と格上に見えてくる。
工場見学だが、時間が決まっているということで、我々は10時からのツアーを予め予約しておいた。ちょうどメキシコは9/16が独立記念日で、この前の日の9/15と16はツアーがありませんと農園の入口にアナウンスがしてあった。我々は9/14に訪れたのでラッキーだった。
テキーラの元となるAgave(アガベ)の写真。一人前になるには7-8年の歳月が必要らしい。手入れされている畑だと下段左のようになっているが、多くの畑は雑草と一緒にAgaveが植えられている。
上段真ん中はAgaveの中身。この時点ではまだ甘い果物の一種って感じだ。上段右の格好が伝統的なテキーラ畑での作業服とのこと。
上段左はテキーラを酒造する現代の機械、上段真ん中左は昔のテキーラ酒造道具だ。130年くらいの歴史なのだが、時代の流れを感じる。
上段右はテキーラを寝かせておく樽。テキーラには3種があり、各々熟成期間によって名前が変わってくる。熟成期間が2ヶ月以内くらいのものはブランコ(=スペイン語で白という意味)、2ヶ月~1年くらいのものがReposada(レポサダ)、1年以上をAnejo(アニェホ)という。熟成度合いに応じてテキーラの色がドンドン濃くなっていく。
その後、テキーラ村の中心街へ足を伸ばした。ここに何がある訳ではなかったのだが、とにかく街全体がテキーラの匂いが染み渡っている感じで、歩いているだけで酔っ払いそうだ。写真はカテドラル(教会)。
テキーラ博物館にあった代々のテキーラ。これで約半分くらいの展示。もの凄い数の銘柄が展示されている。
そして、これらが戦利品。真ん中のテキーラ、Jimadorは凄く有名な賞を取ったらしい。右の樽は観光客向けのお土産品。小さそうに見えて、これで1L入るというから驚きだ。
その夜はグアダラハラに帰ってきて、2回目のハリスコ州料理を堪能した。行ったレストランは「Sacramonto」というところ。友人に教えて貰った地元の人くらいしか来ないというレストランだ。
店内の写真を魚眼レンズで撮影。中々面白い写真だと我ながら思った。ハリスコ州では肉の煮込みが名物ということで、この日も鳥と牛の煮込み料理を頂く。肉が柔らかくスープの味が染みこんでいて最高に美味かった。
食事後、グアダラハラの街を散策。何の建物かは分からなかったが、ちょうど独立記念日の前ということもあって、街全がメキシコ国旗の赤・白・緑で装飾されている。雰囲気が”メキシコ”って感じだ。
明日最終日はグアダラハラの街を散策予定だ。
(続く)
2008年09月25日
グアダラハラ + テキーラ旅行 #1
9/16はメキシコの独立記念日で、会社が(珍しく)4連休となったので、メキシコ国内旅行でハリスコ州にあるグアダラハラとテキーラという街に行ってきた。
グアダラハラとは、メキシコ第二の都市で人口は約165万人(と言っても、メキシコシティーの1/10以下の人口しか居ない)、ハリスコ州の州都である。メキシコ民族音楽のマリアッチの生まれ故郷としても知られており、街中には世界遺産も残る歴史と伝統の街だ。
テキーラとは、言わずとしれたメキシコの酒・テキーラが酒造されている街だ。グアダラハラから車で30分くらいの所にあり、ダウンタウンは街中テキーラの匂いが充満している。今でも全てのテキーラはここで酒造されており、ここ以外で酒造されたモノはテキーラと言わないそうである。
金曜の夜、メキシコシティーから1時間くらいのフライトでグアダラハラに到着。ウチのドライバー2人が空港でいつもの車で出迎えてくれた。そう、彼らはメキシコシティーから550kmくらいの距離を運転して来たのだ。会社のセキュリティールールで同行しなければならないというのだが、誠にご苦労なことだ。
その夜は、以前グアダラハラに住んでいたという友人に教えて貰ったハリスコ州メキシコ料理・Santo Coyoteというレストランへ直行した。
店内は金曜の夜ということもあって、非常に賑わっていた。中庭スタイルの開放的な作りで、我々は2F席に案内された。
料理はというと、肉料理(煮込みとステーキ)が美味しいというのでそれをオーダー。なるほど、鶏肉の煮込みなどは非常に柔らかく、しっかり煮込まれているのが分かる。中々のお味でした。価格的にもメキシコシティーの2/3って感じで、普段の感覚からするとお得感すら感じた。
明日はテキーラツアーへ参加する予定だ。別途レポートしようと思う。
(続く・・・)
グアダラハラとは、メキシコ第二の都市で人口は約165万人(と言っても、メキシコシティーの1/10以下の人口しか居ない)、ハリスコ州の州都である。メキシコ民族音楽のマリアッチの生まれ故郷としても知られており、街中には世界遺産も残る歴史と伝統の街だ。
テキーラとは、言わずとしれたメキシコの酒・テキーラが酒造されている街だ。グアダラハラから車で30分くらいの所にあり、ダウンタウンは街中テキーラの匂いが充満している。今でも全てのテキーラはここで酒造されており、ここ以外で酒造されたモノはテキーラと言わないそうである。
金曜の夜、メキシコシティーから1時間くらいのフライトでグアダラハラに到着。ウチのドライバー2人が空港でいつもの車で出迎えてくれた。そう、彼らはメキシコシティーから550kmくらいの距離を運転して来たのだ。会社のセキュリティールールで同行しなければならないというのだが、誠にご苦労なことだ。
その夜は、以前グアダラハラに住んでいたという友人に教えて貰ったハリスコ州メキシコ料理・Santo Coyoteというレストランへ直行した。
店内は金曜の夜ということもあって、非常に賑わっていた。中庭スタイルの開放的な作りで、我々は2F席に案内された。
料理はというと、肉料理(煮込みとステーキ)が美味しいというのでそれをオーダー。なるほど、鶏肉の煮込みなどは非常に柔らかく、しっかり煮込まれているのが分かる。中々のお味でした。価格的にもメキシコシティーの2/3って感じで、普段の感覚からするとお得感すら感じた。
明日はテキーラツアーへ参加する予定だ。別途レポートしようと思う。
(続く・・・)
2008年08月29日
日本のお茶
先週日本に一時帰国をした際に、暑さもあってがぶ飲みしたお茶。多分、1日に2本は飲んでいたと思う。濃い味のお茶がまた何とも美味かった~ぁ。日本の気候にあってるね。
2008年08月28日
里帰り 2008 -終盤戦
里帰りは早くも終盤戦に突入。神戸の実家にサヨナラを告げて、カミさんの実家がある横浜へ移動。実家は横浜のみなとみらいのど真ん中にあるという好立地。東京へ出張がある際もよくお世話になっている。
里帰りの条件として1日は出社をしなければならず、その日は仕事で完全に潰れたが、翌日からは昼間は買物・遊び、夜は友人との飲み会で予定がいっぱいだった。
US・メキシコと比べ、日本の買物で驚かされるのが種類の豊富さ。とにかく色んな種類があって、買う側からすれば選択肢が非常に多いから迷ってしまうくらい。世界一選球眼の良い日本人と言われる所以が分かる。カミさんは「日本での買物が一番楽しい」と言っている
さて、夜の部。約1年ぶりに会うメンバーばかりなので、みんなにも色んな成長と変化が感じられたのが今回の感想だった。
初日の夜はカミさんの両親と一緒に地元の寿司屋へ。刺身からはじまり寿司へとフルコースでオーダー。メキシコにはない新鮮さが美味かった。食いしん坊の私は、この日は写真を撮るのも忘れて”食い”に走ってしまった。。。
そして最初にあった友人はS森さん。時期は違えどお互いに今の会社に転職してきて色んなことを話しているウチに仲良くなって、毎年一時帰国の時には飲んで色んな話を語らうようになった。
今年は広尾にある和食の店を用意してくれた。毎年色んな店を用意してくれるのだが、彼女の店選びのセンスは素晴らしく、いつも感嘆している。
料理の品々。一番右のローストビーフなんて、とろけるような美味しさだった。真ん中のは鳥のつくね。
結局メシを食べるのもほどほどに、時間を忘れるくらい長~く語らい、気が付いたら終電まじか。お互いの成長と変化を大いに感じた時間だった。S森さん、また来年会いましょう
次に会った友人は、昔のテニス仲間。東京にいた4年くらい前は毎週テニス・宴会、はたまた長期遠征・合宿などをやった楽しい仲間達だ。今回は、私のリクエストもあって昼間は二子玉川で4時間テニスを楽しんだ
当日は小雨が降っていて天候はあまり良くなかったが、25度前後と涼しかったのが救いだった。定期的にテニスを継続している人も居たり、久しぶりにテニスをやる人も居たりで、勝敗・内容というより久しぶりにみんなとテニスが出来たことが本当に楽しかった。
そして夜は二子玉川駅前にある昔から馴染みの居酒屋「丸金」へ。入口なんて”居酒屋”を大いに感じさせてくれる店構えだ。この店、めちゃめちゃ値段が安いので昔から重宝している店だ。メンバーの一人のT中さんの子供なんて、去年は生後半年くらいの赤ん坊だったのに、今年は幼児になって歩き回っている。当り前っちゃ当り前なんだけど、一年の時間差に驚かされる。こんな愉快な仲間達と飲み語らい、その後はそのT中さん亭にまでお邪魔して飲んで語らい、終電で横浜へ帰っていった。今回来てくれたT橋さん、T中さん、Tommy、Tommyの友人、I山、M子さん、Eちょん、Kちゃん、みんなありがとね。また来年会いましょう
こうして2008年の里帰りツアーは終了した。たった1週間と短い時間だが、色んな所を訪れ・友人と会い語らえる良い機会なのだ。また来年会う日を楽しみにしている
里帰りの条件として1日は出社をしなければならず、その日は仕事で完全に潰れたが、翌日からは昼間は買物・遊び、夜は友人との飲み会で予定がいっぱいだった。
US・メキシコと比べ、日本の買物で驚かされるのが種類の豊富さ。とにかく色んな種類があって、買う側からすれば選択肢が非常に多いから迷ってしまうくらい。世界一選球眼の良い日本人と言われる所以が分かる。カミさんは「日本での買物が一番楽しい」と言っている
さて、夜の部。約1年ぶりに会うメンバーばかりなので、みんなにも色んな成長と変化が感じられたのが今回の感想だった。
初日の夜はカミさんの両親と一緒に地元の寿司屋へ。刺身からはじまり寿司へとフルコースでオーダー。メキシコにはない新鮮さが美味かった。食いしん坊の私は、この日は写真を撮るのも忘れて”食い”に走ってしまった。。。
そして最初にあった友人はS森さん。時期は違えどお互いに今の会社に転職してきて色んなことを話しているウチに仲良くなって、毎年一時帰国の時には飲んで色んな話を語らうようになった。
今年は広尾にある和食の店を用意してくれた。毎年色んな店を用意してくれるのだが、彼女の店選びのセンスは素晴らしく、いつも感嘆している。
料理の品々。一番右のローストビーフなんて、とろけるような美味しさだった。真ん中のは鳥のつくね。
結局メシを食べるのもほどほどに、時間を忘れるくらい長~く語らい、気が付いたら終電まじか。お互いの成長と変化を大いに感じた時間だった。S森さん、また来年会いましょう
次に会った友人は、昔のテニス仲間。東京にいた4年くらい前は毎週テニス・宴会、はたまた長期遠征・合宿などをやった楽しい仲間達だ。今回は、私のリクエストもあって昼間は二子玉川で4時間テニスを楽しんだ
当日は小雨が降っていて天候はあまり良くなかったが、25度前後と涼しかったのが救いだった。定期的にテニスを継続している人も居たり、久しぶりにテニスをやる人も居たりで、勝敗・内容というより久しぶりにみんなとテニスが出来たことが本当に楽しかった。
そして夜は二子玉川駅前にある昔から馴染みの居酒屋「丸金」へ。入口なんて”居酒屋”を大いに感じさせてくれる店構えだ。この店、めちゃめちゃ値段が安いので昔から重宝している店だ。メンバーの一人のT中さんの子供なんて、去年は生後半年くらいの赤ん坊だったのに、今年は幼児になって歩き回っている。当り前っちゃ当り前なんだけど、一年の時間差に驚かされる。こんな愉快な仲間達と飲み語らい、その後はそのT中さん亭にまでお邪魔して飲んで語らい、終電で横浜へ帰っていった。今回来てくれたT橋さん、T中さん、Tommy、Tommyの友人、I山、M子さん、Eちょん、Kちゃん、みんなありがとね。また来年会いましょう
こうして2008年の里帰りツアーは終了した。たった1週間と短い時間だが、色んな所を訪れ・友人と会い語らえる良い機会なのだ。また来年会う日を楽しみにしている
2008年08月27日
里帰り 2008 -中盤戦
さて、里帰りも中盤戦に突入。
京都で美味しい会席料理を食べた翌日は、京都・嵐山にある「トロッコ列車」と「保津川下り」、「嵐山散策」を楽しんだ。
まずはトロッコ列車へ乗車。元々JRのローカル線で廃線が決まっていた路線をスピンアウトの手法(→ 確か・・・)で従業員が会社を買取り、観光客向けに運営しているらしい。
総行程、約30分の列車の旅では↑のようなノンビリした景色が随所に見られる。どこの田舎に来たのかなぁ と錯覚してしまう
そして列車の終点からタクシーで10分くらいの所から保津川下りを楽しんだ。舟とラフティングの両方があったが、息子の身長が届かないということで舟へ乗船。まだまだ6歳の息子にはラフティングは早いようだった。。。
一番右端の屋根付きの舟が我々の乗った舟。途中流れの速い所もあったが(写真真ん中)、この夏は水量が少なく普通に漕ぐだけでは全然前に進まないらしい。なので、写真一番左にあるように舟士さんが川の底を棒で押して舟を進めている。当日の気温は当然30℃超え。舟士さんも汗だくだ。舟士さんによると、真夏の暑い日は1回川を下るだけで1kgは痩せてしまうらしい。1日に5-6回やると5-6kg軽く体重が落ちるらしい。羨ましい、私もこれでダイエットしようかと思った。。。
途中にあったつり橋の景色。こんな景色があちらこちらに見られるから写真の撮りがいがあるってモンだ。
一番最後の方で物売りの舟が・・・ 妻と二人で「Xochimilco(ソチミルコ=メキシコのベニスと言われている観光名所)と同じだぁ~」と口を揃えてしまった。世界中どこへ行っても人のやることは変わらん、ということだ。
川下りの後は京都・嵐山を散策。京都らしい雰囲気につかることができた。私も初めて知ったのだが、嵐山は元々(平安時代とかかなり昔の話だが・・・)貴族の夏の避暑地として有名だったらしい。
昼飯を食べた蕎麦屋の離れに続く門。何か情緒を感じるよねぇ~
息子Rが賽銭を投げたいというので妻と一緒にお祈り。何を祈ったかは「秘密~」だと。多分息子Rは初めて賽銭投げをやったんじゃないかなぁ・・・
京都らしい景色の一つの「竹やぶ」。サスペンスによく出てくる景色だ。ちなみに私は大のサスペンス好き。妻には「何がそんなに面白いわけ~??」とよく言われている・・・ 残念ながら撮影とかはやって無かった。
たった1泊2日の京都旅行だったけど、以外に楽しめた感じだ。暑かったけど、やっぱ歩いて汗をかくのも気持ちが良い。
ってな訳でぇ~、神戸の実家に帰った後の夕食は焼肉屋でカンパ~イ
ギンギンに冷えたビールの味は格別だ
最後の後半戦はこの後に続く・・・
京都で美味しい会席料理を食べた翌日は、京都・嵐山にある「トロッコ列車」と「保津川下り」、「嵐山散策」を楽しんだ。
まずはトロッコ列車へ乗車。元々JRのローカル線で廃線が決まっていた路線をスピンアウトの手法(→ 確か・・・)で従業員が会社を買取り、観光客向けに運営しているらしい。
総行程、約30分の列車の旅では↑のようなノンビリした景色が随所に見られる。どこの田舎に来たのかなぁ と錯覚してしまう
そして列車の終点からタクシーで10分くらいの所から保津川下りを楽しんだ。舟とラフティングの両方があったが、息子の身長が届かないということで舟へ乗船。まだまだ6歳の息子にはラフティングは早いようだった。。。
一番右端の屋根付きの舟が我々の乗った舟。途中流れの速い所もあったが(写真真ん中)、この夏は水量が少なく普通に漕ぐだけでは全然前に進まないらしい。なので、写真一番左にあるように舟士さんが川の底を棒で押して舟を進めている。当日の気温は当然30℃超え。舟士さんも汗だくだ。舟士さんによると、真夏の暑い日は1回川を下るだけで1kgは痩せてしまうらしい。1日に5-6回やると5-6kg軽く体重が落ちるらしい。羨ましい、私もこれでダイエットしようかと思った。。。
途中にあったつり橋の景色。こんな景色があちらこちらに見られるから写真の撮りがいがあるってモンだ。
一番最後の方で物売りの舟が・・・ 妻と二人で「Xochimilco(ソチミルコ=メキシコのベニスと言われている観光名所)と同じだぁ~」と口を揃えてしまった。世界中どこへ行っても人のやることは変わらん、ということだ。
川下りの後は京都・嵐山を散策。京都らしい雰囲気につかることができた。私も初めて知ったのだが、嵐山は元々(平安時代とかかなり昔の話だが・・・)貴族の夏の避暑地として有名だったらしい。
昼飯を食べた蕎麦屋の離れに続く門。何か情緒を感じるよねぇ~
息子Rが賽銭を投げたいというので妻と一緒にお祈り。何を祈ったかは「秘密~」だと。多分息子Rは初めて賽銭投げをやったんじゃないかなぁ・・・
京都らしい景色の一つの「竹やぶ」。サスペンスによく出てくる景色だ。ちなみに私は大のサスペンス好き。妻には「何がそんなに面白いわけ~??」とよく言われている・・・ 残念ながら撮影とかはやって無かった。
たった1泊2日の京都旅行だったけど、以外に楽しめた感じだ。暑かったけど、やっぱ歩いて汗をかくのも気持ちが良い。
ってな訳でぇ~、神戸の実家に帰った後の夕食は焼肉屋でカンパ~イ
ギンギンに冷えたビールの味は格別だ
最後の後半戦はこの後に続く・・・
2008年08月26日
里帰り 2008 -前半戦
ブログがすっかりご無沙汰してしまった。理由は先週一週間、毎年恒例の日本への里帰りをしていたから。10ヶ月ぶりの日本ということで、めちゃめちゃ暑かったけど凄くリフレッシュできた一週間だった。
まずは前半戦ということで、私の実家のある神戸へ。メキシコ→LAX→成田→伊丹とフライトを乗り継ぐこと3回、計18時間のフライト後に到着したのが日曜の夜。半分グロキィー状態だったが、家に帰宅する前にSan Diego時代のテニス友達=44家が大阪に帰国していたので再会した 私がメキシコに移動して以来だから、1年半ぶりってことかぁ・・・ 子供も2歳近くになっていて本当に懐かしい再会だった。時間の関係で30分くらいの立ち話程度の再会となったが、来年はゆっくり酒も飲んでテニスもしようということで今年は別れた。
そして、最初の晩メシは・・・ 餃子の王将だった。誰もが知る安くて美味い中華の店。こういう安くて気軽に食べれる所でも日本の食事は美味い 絶対に大きなミスがないのだ。さしずめテニスで言うと、フォアでふかすことがない、とでも言おうかぁ。。。日本での食生活、出足順調な滑り出しだ。
そして、その後は実家へ到着。両親と会うのは約1年ぶりだった。多少去年より歳を取ったなぁ~と思ったけど、まだまだ現役サラリーマンを続けているからだろうが、それほど老け込んだという訳ではなかった。孫のRともいっぱい遊んでくれたみたいで感謝・感謝。。。両親が元気だから海外駐在してても安心という面でも感謝である。
翌日から1泊2日で京都の温泉旅館へ。Exivという分譲型リゾートマンションの権利を両親が数年前に購入し、最近は一時帰国する度に招待して貰っている。
こんな感じの緑豊かな長閑な景色の中にあるホテル。温泉もあってメチャクチャのんびりできた。
夜は、ホテル内にある京会席料理レストランへ。風情ある雰囲気のレストランだった。ここで思う存分京会席を堪能した。
色彩豊かな前菜と3品目の”涼”を楽しむ一品。和食独特の細かい味のコンビネーションは、食べていて飽きがこない。盛り付けにも配慮があって、食べていて楽しくなる。
大好きな穴子のダシ煮。柔らかくって美味かった。
メインの鱧料理。ダシがメチャクチャ上品で美味しい
最後はスウィーツで〆。大好きな抹茶味で、甘いモノ好きの私にはたまらない一品だった。
食いに食ったり大満足 ここに載せたのは出てきた料理の一部で、実際はこれの倍近い品数を食べている。。。いやぁ~、満足なディナーだった。
長くなるので、中盤戦・後半戦は次回としよう。。。
まずは前半戦ということで、私の実家のある神戸へ。メキシコ→LAX→成田→伊丹とフライトを乗り継ぐこと3回、計18時間のフライト後に到着したのが日曜の夜。半分グロキィー状態だったが、家に帰宅する前にSan Diego時代のテニス友達=44家が大阪に帰国していたので再会した 私がメキシコに移動して以来だから、1年半ぶりってことかぁ・・・ 子供も2歳近くになっていて本当に懐かしい再会だった。時間の関係で30分くらいの立ち話程度の再会となったが、来年はゆっくり酒も飲んでテニスもしようということで今年は別れた。
そして、最初の晩メシは・・・ 餃子の王将だった。誰もが知る安くて美味い中華の店。こういう安くて気軽に食べれる所でも日本の食事は美味い 絶対に大きなミスがないのだ。さしずめテニスで言うと、フォアでふかすことがない、とでも言おうかぁ。。。日本での食生活、出足順調な滑り出しだ。
そして、その後は実家へ到着。両親と会うのは約1年ぶりだった。多少去年より歳を取ったなぁ~と思ったけど、まだまだ現役サラリーマンを続けているからだろうが、それほど老け込んだという訳ではなかった。孫のRともいっぱい遊んでくれたみたいで感謝・感謝。。。両親が元気だから海外駐在してても安心という面でも感謝である。
翌日から1泊2日で京都の温泉旅館へ。Exivという分譲型リゾートマンションの権利を両親が数年前に購入し、最近は一時帰国する度に招待して貰っている。
こんな感じの緑豊かな長閑な景色の中にあるホテル。温泉もあってメチャクチャのんびりできた。
夜は、ホテル内にある京会席料理レストランへ。風情ある雰囲気のレストランだった。ここで思う存分京会席を堪能した。
色彩豊かな前菜と3品目の”涼”を楽しむ一品。和食独特の細かい味のコンビネーションは、食べていて飽きがこない。盛り付けにも配慮があって、食べていて楽しくなる。
大好きな穴子のダシ煮。柔らかくって美味かった。
メインの鱧料理。ダシがメチャクチャ上品で美味しい
最後はスウィーツで〆。大好きな抹茶味で、甘いモノ好きの私にはたまらない一品だった。
食いに食ったり大満足 ここに載せたのは出てきた料理の一部で、実際はこれの倍近い品数を食べている。。。いやぁ~、満足なディナーだった。
長くなるので、中盤戦・後半戦は次回としよう。。。
2008年05月27日
カリブ海クルーズ #2
#1では船内のことを書いたので、#2では寄港した場所について書こうと思う。
最初にカリブ海の地図だが、以下の感じで無数の島がある。
今回寄港したのは、その中でSan Juan, St. Maartin, Haitiの3ヶ所。
最初に寄港したのはSan Juan。クルーズで初の寄港ということ、約6-7時間の滞在ということ、私自身も来るのが初めてだった。港がある所に隣接している街はOld Town。中米の小国の典型的な街って感じで、どこか時代遅れなんだけど、建物の色使いとかカリブ独特の雰囲気も醸し出していて「どこか懐かしい」感じだ。
San JuanはUS領土ということもあって、街中の小売店はUSと同じ店が並んでいる。不思議だったのは、宝石屋・時計屋が街中に多かったこと。何故かは分らない。。。妻に聞くと価格はUSの物とそれほど変わらないらしい。
San Juanの港の風景。手前に見える森は公園、左奥に見えるのは私達が乗った船。気温は30℃前後、湿度も高く、南国の雰囲気を醸し出していた。
次に寄港したのはSt. Maartin。San Juanを出港して丸1.5日後に寄港した。このSt. Maartinという島は基本的に観光で成り立っている島で、街中には観光客目当てと思われる店が沢山あった。
街中の風景。どことなく観光客向けに”造られて”印象がある。でも何となく可愛らしい感じだ。
朝8:00に到着したのが、妻が体調が悪いというので、息子と二人で街中へ繰り出した。気温は・・・多分35℃は越していたと思う。めちゃめちゃ暑かった。
午後は、息子がビーチで遊びたいと言うので、クルーズ船が主催するビーチリラクゼーションのオプションに参加した。
ところが、、、非常に面白い発見があった。この島、非常に小さい島なんだが、オランダ領とフランス領に領土が分かれている。港から車で10分も走らないうちに国境を渡った。国境には別にパスポートコントロールがある訳ではないが、両サイドにオランダ・フランスの国旗は立ってある。ところが・・・ 使っている通貨が違う。オランダ側はUS$、フランス側はEuroが公式通貨。午前中はオランダ側で遊んでいたので普通に持っていたUS$を使って買物をしていたが、ビーチに行く為にフランス側に来た途端にEuroしか使えないとのこと。これでは住人は不便だろうに、と思った。幸い、1 Euroも使うこともなかったが、植民地ならでは光景だった。
ビーチの景色。ここのビーチがクルーズ中で一番キレイな海だった。コバルトブルーで、「カリブの海」って感じだ。
最後に寄港したのがHaitiのRabadeeという所。ここは、街というより、クルーズの寄港地として”造られた”ビーチリゾートだった。街というものはなく、ビーチで遊ぶ施設だけがある場所だった。私達は、ここで息子の遊びに付き合って「ひょっこりひょうたん島」みたいなデカイジャンパーで1時間くらい遊んだ後、ビーチで昼寝してた。
島の風景。南国の木って感じで葉一枚がめちゃめちゃデカイ。太陽にあったて成長が良いのだろう。
島内にある土産物屋の一角。絵が有名らしく、多くの絵が所狭しと並んである。こういう所なんで、「最初はめちゃめちゃ高い金額を提示→値段交渉→結果、元値の半額」という買物のパターン。絵は買わなかったが別の物を買った際にそうやって値切った。
ふと土産物屋の後ろを振り返ると、陽気なおじさん合唱団がHaitiの歌を歌っていた。これはもちろん観光客の為にやっているアトラクションの一つだが、ついついシャッターを切ってしまった。
3ヶ所の中で、一番面白かったのはSan Juanかなぁ・・・ 歴史を少しだけでも感じたから。St.Maartinでの発見も面白い出来事の一つだった。逆に一番つまらなかったのがHaiti。ビーチでの遊び物意外は特に何もなく、ただひたすらビーチでのんびりするという、船の中とあまり変わらない感じだった。
訪れる機会のある方は参考にしてみると良いです。
最初にカリブ海の地図だが、以下の感じで無数の島がある。
今回寄港したのは、その中でSan Juan, St. Maartin, Haitiの3ヶ所。
最初に寄港したのはSan Juan。クルーズで初の寄港ということ、約6-7時間の滞在ということ、私自身も来るのが初めてだった。港がある所に隣接している街はOld Town。中米の小国の典型的な街って感じで、どこか時代遅れなんだけど、建物の色使いとかカリブ独特の雰囲気も醸し出していて「どこか懐かしい」感じだ。
San JuanはUS領土ということもあって、街中の小売店はUSと同じ店が並んでいる。不思議だったのは、宝石屋・時計屋が街中に多かったこと。何故かは分らない。。。妻に聞くと価格はUSの物とそれほど変わらないらしい。
San Juanの港の風景。手前に見える森は公園、左奥に見えるのは私達が乗った船。気温は30℃前後、湿度も高く、南国の雰囲気を醸し出していた。
次に寄港したのはSt. Maartin。San Juanを出港して丸1.5日後に寄港した。このSt. Maartinという島は基本的に観光で成り立っている島で、街中には観光客目当てと思われる店が沢山あった。
街中の風景。どことなく観光客向けに”造られて”印象がある。でも何となく可愛らしい感じだ。
朝8:00に到着したのが、妻が体調が悪いというので、息子と二人で街中へ繰り出した。気温は・・・多分35℃は越していたと思う。めちゃめちゃ暑かった。
午後は、息子がビーチで遊びたいと言うので、クルーズ船が主催するビーチリラクゼーションのオプションに参加した。
ところが、、、非常に面白い発見があった。この島、非常に小さい島なんだが、オランダ領とフランス領に領土が分かれている。港から車で10分も走らないうちに国境を渡った。国境には別にパスポートコントロールがある訳ではないが、両サイドにオランダ・フランスの国旗は立ってある。ところが・・・ 使っている通貨が違う。オランダ側はUS$、フランス側はEuroが公式通貨。午前中はオランダ側で遊んでいたので普通に持っていたUS$を使って買物をしていたが、ビーチに行く為にフランス側に来た途端にEuroしか使えないとのこと。これでは住人は不便だろうに、と思った。幸い、1 Euroも使うこともなかったが、植民地ならでは光景だった。
ビーチの景色。ここのビーチがクルーズ中で一番キレイな海だった。コバルトブルーで、「カリブの海」って感じだ。
最後に寄港したのがHaitiのRabadeeという所。ここは、街というより、クルーズの寄港地として”造られた”ビーチリゾートだった。街というものはなく、ビーチで遊ぶ施設だけがある場所だった。私達は、ここで息子の遊びに付き合って「ひょっこりひょうたん島」みたいなデカイジャンパーで1時間くらい遊んだ後、ビーチで昼寝してた。
島の風景。南国の木って感じで葉一枚がめちゃめちゃデカイ。太陽にあったて成長が良いのだろう。
島内にある土産物屋の一角。絵が有名らしく、多くの絵が所狭しと並んである。こういう所なんで、「最初はめちゃめちゃ高い金額を提示→値段交渉→結果、元値の半額」という買物のパターン。絵は買わなかったが別の物を買った際にそうやって値切った。
ふと土産物屋の後ろを振り返ると、陽気なおじさん合唱団がHaitiの歌を歌っていた。これはもちろん観光客の為にやっているアトラクションの一つだが、ついついシャッターを切ってしまった。
3ヶ所の中で、一番面白かったのはSan Juanかなぁ・・・ 歴史を少しだけでも感じたから。St.Maartinでの発見も面白い出来事の一つだった。逆に一番つまらなかったのがHaiti。ビーチでの遊び物意外は特に何もなく、ただひたすらビーチでのんびりするという、船の中とあまり変わらない感じだった。
訪れる機会のある方は参考にしてみると良いです。
2008年05月24日
カリブ海クルーズ #1
5月の3週目にカリブ海クルーズに1週間行ってきた。もちろん生まれて初めてのクルーズ体験で、カリブ海クルーズは是非一度は体験したいと思っていたので、楽しみにして行った。
クルーズの日程はざっとこんな感じ。
1日目:フロリダ州マイアミを土曜5:00pmに出港
2日目:終日航海
3日目:プエルトリコのSan Juanに到着。6-7時間滞在後に出港
4日目:St.Maartinに到着。6-7時間の滞在後に出港
5日目:終日航海
6日目:Haitiに到着。6-7時間の滞在後に出港
7日目:終日航海
8日目:朝7:00にマイアミに到着
マイアミ港で最初に船を見た時の印象・・・デカイ!! 説明書によるとジャンボ機4機分の長さがあるらしい。昨年造ったようで、現在世界一の大きさを誇っているらしい。
これが私達が乗った船。前半分しか写ってないけど、かなり大きい。
ちなみに部屋の写真はこんな感じ。Jr.スイート(って言っても上から5-6番目のランク)を取ったので比較的大きかったことと、海に面してバルコニーが付いているので、非常に快適に過ごすことができた。
船の中の施設がスゴイ!! プールが4-5個、ジャグジーが4つ、フィットネスジム、ロッククライミング、バスケコート、レストラン10個くらい、カジノ・劇場・映画館・エステ・などなど。考えれば、1週間船の上で過ごす訳だから、このくらいの施設がないと客が飽きてしまうのだろう。。。写真は船内のプールの一つ。こんな写真をクルーズで良くみるでしょ。
さて、船での生活だが、簡単に言うと「食っちゃ寝」って感じ。一日中航海している時は、兎に角やることがそんなにないので、ただひたすら「食っちゃ寝」って感じである。かなり太りそうな生活だった。私は何とか4日間7kmジョギングと筋トレをやり遂げたので、結果それほど太らずに済んだ。
これが、船内のメインレストラン。まるで映画Titanicに出てくるワンシーンのようなイメージだ。1週間のうち、2日間はフォーマルディナーで、正装がドレスコードだった。
Dinnerのメニューが面白く、必ず最後のデザートに普通のスウィーツ、Low fatスウィーツ、Sugur freeスウィーツの3種類が用意されている。きっと、こんな「食っちゃ寝」生活への配慮であろう。
クルーズ中は、四六時中何かしらの予定・アトラクションが組まれており、毎朝その予定表が部屋に配られる。運動系~ワインのテイスティング、子供向け番組、プールサイドでの色んなアトラクションなど様々。そしてdinner後は毎日決まって1時間くらのshowがある。コメディアンのトークショウ、アイススケートショウ、ミュージカルなどなど。とにかくお客が飽きないように終日プログラムが組まれている感じだ。もちろん、それに参加しなくても全然ok
全般的には、初体験ということもあって非常に満喫した1週間だったが、1点だけ不満足な点があった。それはCHCK-IN/OUTの対応の悪さ。4000人の乗客が乗っているとは言え、各3時間も待たせるとはちょっと頂けない。最後にユーザー満足度調査があったので、ここだけx(バツ)を入れといた。
ってな感じで1週間を船の中で過ごした。長くなるので、寄港した3ヶ所の話しは別途書こうと思う。
クルーズの日程はざっとこんな感じ。
1日目:フロリダ州マイアミを土曜5:00pmに出港
2日目:終日航海
3日目:プエルトリコのSan Juanに到着。6-7時間滞在後に出港
4日目:St.Maartinに到着。6-7時間の滞在後に出港
5日目:終日航海
6日目:Haitiに到着。6-7時間の滞在後に出港
7日目:終日航海
8日目:朝7:00にマイアミに到着
マイアミ港で最初に船を見た時の印象・・・デカイ!! 説明書によるとジャンボ機4機分の長さがあるらしい。昨年造ったようで、現在世界一の大きさを誇っているらしい。
これが私達が乗った船。前半分しか写ってないけど、かなり大きい。
ちなみに部屋の写真はこんな感じ。Jr.スイート(って言っても上から5-6番目のランク)を取ったので比較的大きかったことと、海に面してバルコニーが付いているので、非常に快適に過ごすことができた。
船の中の施設がスゴイ!! プールが4-5個、ジャグジーが4つ、フィットネスジム、ロッククライミング、バスケコート、レストラン10個くらい、カジノ・劇場・映画館・エステ・などなど。考えれば、1週間船の上で過ごす訳だから、このくらいの施設がないと客が飽きてしまうのだろう。。。写真は船内のプールの一つ。こんな写真をクルーズで良くみるでしょ。
さて、船での生活だが、簡単に言うと「食っちゃ寝」って感じ。一日中航海している時は、兎に角やることがそんなにないので、ただひたすら「食っちゃ寝」って感じである。かなり太りそうな生活だった。私は何とか4日間7kmジョギングと筋トレをやり遂げたので、結果それほど太らずに済んだ。
これが、船内のメインレストラン。まるで映画Titanicに出てくるワンシーンのようなイメージだ。1週間のうち、2日間はフォーマルディナーで、正装がドレスコードだった。
Dinnerのメニューが面白く、必ず最後のデザートに普通のスウィーツ、Low fatスウィーツ、Sugur freeスウィーツの3種類が用意されている。きっと、こんな「食っちゃ寝」生活への配慮であろう。
クルーズ中は、四六時中何かしらの予定・アトラクションが組まれており、毎朝その予定表が部屋に配られる。運動系~ワインのテイスティング、子供向け番組、プールサイドでの色んなアトラクションなど様々。そしてdinner後は毎日決まって1時間くらのshowがある。コメディアンのトークショウ、アイススケートショウ、ミュージカルなどなど。とにかくお客が飽きないように終日プログラムが組まれている感じだ。もちろん、それに参加しなくても全然ok
全般的には、初体験ということもあって非常に満喫した1週間だったが、1点だけ不満足な点があった。それはCHCK-IN/OUTの対応の悪さ。4000人の乗客が乗っているとは言え、各3時間も待たせるとはちょっと頂けない。最後にユーザー満足度調査があったので、ここだけx(バツ)を入れといた。
ってな感じで1週間を船の中で過ごした。長くなるので、寄港した3ヶ所の話しは別途書こうと思う。