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サラリーマンの海外赴任テニス日記 世界を舞台に(?)根無し草みたいに転戦するサラリーマンのテニス諸々ストーリー。ただ今、アメリカ→メキシコと転戦中・・・ 2010年7月から、転戦場所が「日本」と決まった。

SamDF
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メキシコ国内旅行 第3弾 - エル・タヒン

先週末も最近恒例となった「メキシコ国内日帰り旅行 with 一眼レフカメラ」に出かけてきた。今回の目的地はEl Tajin (エル・タヒン)。Elはスペイン語の冠詞で「The」、Tajinは原住民インディヘナの言葉で「雷・稲妻」という意味。
またまた、「地球の・・・」によると、AD600-700年頃にワステコ人によって宗儀の中心地として建設され、1200年頃に何らかの理由で滅びたとのこと。その後、ジャングルの中に埋もれていたが、1785年にスペイン人のエンジニアによって偶然に発見された。未だジャングルに眠る遺跡も多く、1/10程度しか発掘されていない。
前回、スペイン征服軍の蛮行について書いたが、ここの遺跡は蛮行により壊されることなく原型を留めることが出来た。その理由はジャングルに埋もれていたから。蛮行が行われた時代より200年ほど経った頃に発見された訳だから、蛮行の対象にならなかったということだ。

メキシコシティーを(少し寝坊して・・・)朝7時半に出発、現地に着いたのが11時半と4時間かかった。距離は300km程度だと思うが、途中山道が結構あって地図での見た目以上に時間が掛かった。私は半分くらいは寝ていた・・・冷や汗
到着しての第一声、「暑い・湿気が多い」ビックリマークビックリマーク メキシコ湾から40-50km程度内陸で標高は200m程度だから、スーパードライで高原気候のメキシコシティーと比べると、明らかに気候の差がある。暑さと湿気に慣れていない体だから、2時間程度の滞在でシャツが汗まみれになった。これは想定外のことだった・・・まいったぁまいったぁまいったぁ
それと、メチャクチャ観光客が多いこと。メキシコ国内の至る所から来ているだけでなく、言葉を聞いているとアメリカ・ヨーロッパからも来ている感じだった。私がメキシコで行ったことのある観光地でも1・2を争うくらいの観光客の多さという印象。これも意外だった。

最初に出迎えてくれたのは、この地方に古くから伝わる「ボラドーレスの儀式」。高さ約30mくらいの高さから逆さにぶら下がってゆっくりと回りながら降りてくる。昔は宗教的な儀式だったらしいが、今となっては観光客目当てのショーと化している。ま、面白かったから良いんだけど・・・スマイル
Show

Piramides-1 Piramides-2 Piramides-3 Piramides-4 Piramides-5 Piramides-6
ピラミッド・遺跡の一部。完璧ではないが、かなりキレイに原型を留めているという印象。結構デザインが凝っているのが写真からも見て取れる。ま、この辺は無名の建物。。。

Janggle
前出の通り、ここは発見時はジャングルに埋もれていた。遺跡のすぐ側までジャングルが押し寄せてきているのが印象的。だから暑くて湿気があるんだよ。。。

ElTajin-WholeReal
メイン広場から見るエル・タヒンの全景。何故かしらないけど、写真の右端がアップの際にどうしても切れてしまう。。。これで1/10しか発掘されていないというから、当時は相当大きな遺跡だったと想像できる。

PlazaTajinChico-2 PlazaTajinChico
高台に位置する「タヒン・チコ広場」の遺跡。左のデザインは、(少々分かりにくいかもしれないが)更に凝ったデザインをしているのが印象的。ちょっと中華のマークに似ていると思った・・・冷や汗 右の写真は、当時の暮らしを彷彿させる建物だ。

PiramideDeNichos-1
PiramideDeNichos-2 PiramideDeNichos-3
エル・タヒンのメインの建物Piramide de Nichos(=壁がんのピラミッド)。6-7世紀頃は壁が赤・青の漆喰で鮮やかに塗られていたらしい。6層からなるピラミッドには計365枚の”窓”があり、1年を表す宗教的カレンダーの役割も持っていたらしい。すごく高度な暦の技術を持っていたと想像できる。下から見ると迫力があった。

JuegoDePelotaSur
この遺跡のもう一つの特徴が壁画だ。よく見てると、色んな所に写真のような壁画が彫られている。写真の壁画は「生贄」を描いた壁画。当時から生贄の風習があったことを窺わせるものだ。ちなみに、これがあった場所のことを「Juego de Pelota Sur(=南の球戯場)」と呼ぶらしい。

Baso-Museo ElTajin-Whole Board-Museo
博物館での展示物。日本のお茶用のきゅうす・茶碗みたいな物(一番左の写真)があったのは驚き。

Pollo
最後に食べ物。レストランで「何がここの郷土料理か?」と聞くと、「モレ・トラディショナール」と言う。モレはメキシコの至る所で郷土料理と自負してるから、それをオーダーした。味的には、前回プエブラで食べたものとは異なり、結構カレー味に近いものがあった。でもゴハン・タコスとの相性も良かったし味的にも美味しかった。地域色が出ているなぁ~、と感心した。


時間が許し、長時間の車の旅が大丈夫な人は是非行ってみることをお勧めする。ティオティワカン同様、一見の価値はあと思う。でも、暑さ・湿気対策はお忘れなく・・・ あと、周りに他に見る所が何もないので、行くなら1泊2日でベラクルズと一緒に回ってくると良いだろう。
ちなみに、帰りは渋滞もあって5時間半かかった。全工程を運転してくれたチョフェールのラファ、お疲れさん。。。今日はさすがに休みらしい。
メキシコ国内 | 投稿者 SamDF 07:43 | コメント(0)| トラックバック(0)

Ceremonia de Bodas (結婚式)

今日、メキシコ人の部下S君の結婚式に行ってきた。メキシコでは初めての機会だったし、自分の部下のだから是非行ってみたいと思った。お相手は社内結婚で、私も仕事の絡みがたくさんあるSさん。S君は私より2歳くらい年上だから、ちょっと晩婚である。ちなみに、題にあるCeremoniaとはスペイン語で「式」、Bodasは結婚(ブライダル・ウェディング)という意味。

さて、メキシコ流結婚式・・・ 部下から招待状を貰った時に行ってお祝いしてあげたいという気持ちと、一体どういうシキタリになってんだぁ・・・クエスチョン・マーク という疑問の気持ちの両方があった。そこで、社内の結婚経験者を捕まえ、アレコレと質問攻めにした。いくつかの面白い発見があったが、一番面白かったのが「欲しい物リスト」である。メキシコでは、結婚するカップルが自分から欲しい物リストを作成し、それを有名デパートのMesa de Bodas(=ブライダルテーブル)というコーナーにリストアップしておく。参加者 (or お祝いをしたい人)は、そのデパートで欲しい物リストから自分で品を選んでお金を払うだけ。現物は最後にデパートがまとめて結婚カップルへ届けてくれるというシステムだ。その代わりに、日本みたいに結婚式当日にお金を包んで渡すことはしない。これ、アメリカでも同様だったが、要はお祝いの品を貰った際にダブらないようにする為のシステムだ。ダブらず自分が欲しいものが確実に手に入る訳だから効率が良いシステムだ。でもこのシステム、日本では絶対に流行らないと思う。対面を重んじ自己主張を全然しない日本人には絶対に合わないもんねぇ。。。
私は新郎に招待状を貰ったので、新郎の名前で欲しい物リストを検索したら、出てくるものは新婦が欲しがる物(キッチン用品)ばかり。結婚前から完全に尻に敷かれているなぁ~、と思った冷や汗冷や汗冷や汗

当日、夜の8時から教会で結婚式が執り行われた。式自体は、教会での結婚式スタイルだから万国共通。1時間くらいで終了した。1つだけ面白かったのが、「参加者同士のご挨拶」。式の最後の方で神父さんに促されるようにして、いきなり参加者全員が周りの参加者とメキシコ式の挨拶を始めた。いきなり始まったので何事かクエスチョン・マークと思ったが、人と会えば必ず挨拶をするメキシコ人の風習ならでは事だと思った。私も周りの人とメキシコ風あいさつを交わしたスマイル
SintaSilvia-1 SintaSilvia-2
結婚式の新郎・新婦。人生で最も幸せな時の一つだろう。末永くお幸せに・・・

結婚式の後は食事会という流れだが、私は明朝が早いこともあるし単身で結婚式に参加してたので、食事会は遠慮した。こういう場はカップル・ファミリーでの参加が基本スタイルだから、少々居心地が悪かったのも事実なんだけどね・・・冷や汗

メキシコにはメキシコ流の結婚式があることを勉強させて貰った。スタイルに色々とお国柄があって面白いなぁ。。。
メキシコ国内 | 投稿者 SamDF 12:53 | コメント(1)| トラックバック(0)

メキシコ国内旅行 第2弾 -プエブラ

先週に引続き、メキシコ国内を散策する旅に出てきた。先週末の行先はPuebla(プエブラ)

またまた「地球の・・・」によると、メキシコシティーから120km東に位置し、標高は2,162m、人口は130万人。古くは首都メキシコシティと植民地時代に唯一の貿易港だったベラクルズを結ぶ交通の要所として栄え、メキシコ郷土料理の発祥地。また、周囲には遺跡も多く見所はたっぷりある、とのことだ。

最初に訪れたのは、プエブラ郊外にある遺跡、Cacaxtla(カカシュトラ)という遺跡だ。
Cacaxtla-1 Cacaxtla-2 Cacaxtla-3 Cacaxtla-4 Cacaxtla-5

スペイン語ガイドブックによると、紀元前800年~400年くらいに栄えた都市らしく、周りには数個のピラミッドも点在していた。エル・グラン・パサメント(=スペイン語で”巨大な台座”という意味)と言われる神殿風建物が小高い丘の上に建っている。そこに描かれている絵が、2000年以上(?)経った現在でも、特に何か特別な保管をされている訳でもないのに、写真の如く色鮮やかに残っているのは凄く印象的だった。

次に訪れた街は、先週訪問したクエルナバカとの間にまたがるポポカテペック修道院群の一つがある街、Huejotzingo(=ウエホツィンゴ)という街。これまたプエブラの郊外の街である。
Huejotzingo-1 Huejotzingo-2

はっきり言って、この街に寄ったのは時間の無駄だった。写真の修道院以外に何もないし、修道院自体も何か見所があるという訳でもない。「地球の・・・」に載ってたから立ち寄ってみたが、その価値はなかった。ここは行く必要ないです、はい・・・ ぷんぷんぷんぷんぷんぷん

次に訪れた街が、この旅行で最も行って見たかった所でプエブラ郊外にある遺跡、Cholula(=チョルーラ)である。
元を辿れば紀元前200年くらい前まで遡り、アステカ時代には10万人を抱える大都市だった。スペイン征服軍のエルナン・コルテスによって滅ぼされ、神殿・ピラミッドなどの遺跡は徹底的に破壊され、その石を使って現在の教会を建てたという、スペイン人の当時の蛮行を今でも残す場所だ。
Cholula-1 Cholula-2 Cholula-3

この遺跡での見所の一つが写真にある無数の地下道だ。蝋燭の形のように掘られた地下道が無数にあり、一部が一般公開されている。場所によっては人が歩いて通るのが難しいくらい狭い場所もあり、幻想的なシーンを醸し出していた。写真好きな人には面白い場所だ。

Cholula-6

Cholula-4 Cholula-5 Cholula-7 Cholula-8

大きな写真を含めた5点の写真が、上述のスペイン人の蛮行を物語るシーンであろう。大きな写真で丘の上に建つ教会の基礎石は、手前にある神殿・ピラミッドを破壊して作ったもの。メキシコにある”スペイン人征服以前の遺跡”でキレイに残っているものは本当に数少ない。特に都市部になる程その傾向は強い。理由はスペイン人の蛮行。ここの遺跡もまた例外ではない。破壊されたと思われる石が遺跡の横に転がっていた(=中段・一番右の写真)。現代人として見にきた者にとっては、何とも残念なことである・・・ 困った困った困った

最後に、プエブラのセントロ(=中心街)へと入ってきた。

Puebla-1 Puebla-2 Puebla-3 Puebla-4

プエブラの旧市街の雰囲気。どことなくレトロ感が漂うなぁ~、と思って「地球の・・・」を見たら、前出のチョルーラと共にユネスコの世界遺産に登録されているとのことだった。確かに歴史的たたずまいは感じるけど、メキシコの中世の町並みには良くある感じで、世界遺産とまで行くかなぁ・・・と正直思った冷や汗

PueblaCatedral-1
PueblaCatedral-2
プエブラのカテドラル(=教会)。ここの教会はデカイビックリマークビックリマーク メキシコシティーにあるのと大差ない。特徴的なのは、あまり金々ピカピカはしてないが、聖堂の作りがメチャクチャ細かく凝っている。74年の歳月を掛けて建てたらしい。。。メチャクチャてまひまが掛かっている。

PueblaStDomingo-1
こちらはサントドミンゴ教会。こちらは、うって変ってキンキンピカピカ調のド派手なテイスト。こちらも76年の歳月を掛けて建てたらしい。凝りに凝ってる印象だ。
ちょうどメキシコ人カップルが結婚式を挙げていた。こんな教会で式を挙げりゃ印象に残るだろうねぇ~。末永くお幸せに。。。スマイル

MolePoblano

最後にメキシコ郷土料理について。。。プエブラはメキシコ郷土料理の発祥地として有名だと冒頭に書いた。最も有名な料理が、写真のMole Poblano。見た目はチョコレート色のソースだが、味はピリカラ系。種々の香辛料などを混ぜ合わせて作るらしい。これと鶏肉を一緒に煮込むと、中々の味わいになる。私もメキシコに来た当初は見た目の印象から苦手だったが、慣れるとおいしく感じる。チャンスがある人は是非お試しあれ。
これ以外ではチレ・ポプラーノという、巨大な唐辛子の中に豚のひき肉・アーモンド・バナナ・桃などを詰めた食べ物もある。別の機会に食するチャンスがあったが、これも意外と美味しかった。


プエブラの印象としては、食事も含めて、日本から訪れた人でも時間に余裕があれば是非訪れて損はないだろうと思った。特に郊外の遺跡は一見の価値ありだと思う。
また、タラベラ焼きという食器の焼き物が有名で、カミさんなどは狂ったように買い物をしている。お土産として買って帰るのも良いだろう。




メキシコ国内 | 投稿者 SamDF 06:14 | コメント(0)| トラックバック(0)

メキシコ国内旅行記 -クエルナバカ

先週より、家族が夏休みの一時帰国で日本に帰っちゃったので、今は一人で羽を伸ばしちゅうなのだ・・・イシシ

最近久しく一眼レフを片手に旅に出ていなかったし、家族の誰もが行かな~い、と言うから、先週末は会社の同僚F君と日帰りで一眼レフ写真ツアーに行ってきた。行った先はクエルナバカという、メキシコシティーから車で2時間弱の所にある地方の小都市。平均気温が20℃で寒暖の差が少なく、常春の街として、メキシコシティーに住む富裕層に好まれ、多くの別荘などがあって週末は結構な人が訪れる街だ。また、少し郊外に足を伸ばせば遺跡・修道院群が点在しており、メキシコシティーの喧騒とした雰囲気を避けてのんびりとするのは非常に良い街である。ま、この辺は全部『地球の・・・』の説明文そのまんまなんだけどね・・・冷や汗 前にBBQをやりに行ったことがあったが、今回は一眼レフを片手に観光ポイントを中心に周ってきた。

TPZCENTRO-1 TPZ-CENTRO-2 TPZ-IGRESIA TPZ-IGRESIA-2 TPZ-IGRESIA-3 TPZ-IGRESIA-4
最初に訪れたクエルナバカの郊外の町、テポソトラン。何が有名という訳ではなかったが、最初のランディングポイントとして訪れてみた。下段写真の如く、とてもノンビリした雰囲気が漂う町だった。町の市場(=メルカド)のタコス屋で見つけたのが上段写真真ん中。分かりづらいかもしれないが、子牛が丸々一匹調理されている。頭蓋骨と目が生々しく残っていたから、結構グロテスクな写真だ。よ~く見たい方は、一旦自分のPCに写真をダウンロードして貰えば詳細まで見えると思う。

Cocoyoc-1 Cocoyoc-2 Segund0-Ciuda
昼食のために立ち寄ったCocoyoc(ココヨック)というホテル。元は修道院かアシエンダか何かだった建物を改装して、今はホテルとして使っている。緑豊かな広大な敷地内に沢山のプールとゴルフクラブが併設されたリゾートホテルという感じ。庭で写真を撮ってたら怒られたけど・・・ キレイな景色なんだから、ケチいこと言うなって・・・ベーベーベー


午後はクエルナバカのセントロへと入って行った。
PalacioCortez-1 PalacioCortez-2 CuernavacaCentro-1
PalacioCortez-3
最初に訪れたのはPalacio de Cortez (=コルテス宮殿)というところ。Cortezとは、かの有名なスペイン征服軍の大将、エルナン・コルテスのこと。この場所には元々はアステカの神殿があったが、コルテスが征服後、それを全部壊してその石を使ってこの要塞風宮殿を建てた。なんとも蛮行である。下の写真は、原住民を奴隷として使うスペイン征服軍の様子を描いた壁画。こういった壁画は、特に国立宮殿でよく見られる。歴史は勝った者が作るというが、正にそれを現す壁画だと思った。

Catedral-1 Catedral-2 Taiko-san
次に訪れたのは教会(=カテドラル)。スペイン征服後に作られた街は、必ず教会が街の真ん中に建ち、そこを中心に街が広がっていったという歴史的背景がある。なのでメキシコの地方都市を訪れたら、必ず教会を訪れる。ここの教会の印象は、内装にあまり金細工が多く施されていないなぁ・・・と思った。メキシコにある教会は、たいてい金々ピカピカに内装が施されているというイメージだったので、少々テイストが違う。
また、『地球の・・・』によれば、この教会はアメリカ大陸の中でも最古の教会のひとつらしく(1529年築)で、豊臣 秀吉による長崎26聖人処刑を題材にした壁画がある。はっきりとは分からなかったが、多分右写真の壁画がそれのことだと思う。これが壁画の題材になった理由は、メキシコ人宣教師がその中に含まれていたからだ、とも言われている。。。

WaterFall
最後に訪れたポイントがサンアントンの滝(=Salto de San Anton)。ここは、会社の同僚KNGさんが「是非訪れてみて」とお勧めを出してくれたポイント。じゃあ行ってみよう、と勇んで行った。ところが、、、ここに落とし穴あり。セントロから近いんだと思って歩いていったら全然到着しない・・・ 結局30分くらい歩いてやっと到着。滝自体は(多少水が汚いけど・・・)清涼感のある感じで良いのだが、これ以外は何もない。。。30分かけて歩いてきた割には・・・という感じだった。やられましたよ、KNGさん。。。


印象としてはメキシコの地方の小都市と言った感じ。メキシコに住んでれば、バケーション・観光などで一度は訪れても良い場所だろうが、まぁ一回で十分かなぁ、と言ったところ。日本など遠くから来た人が行くほどではないなぁ。


メキシコ国内 | 投稿者 SamDF 05:32 | コメント(0)| トラックバック(0)