2009年07月21日
メキシコ国内旅行 第3弾 - エル・タヒン
先週末も最近恒例となった「メキシコ国内日帰り旅行 with 一眼レフカメラ」に出かけてきた。今回の目的地はEl Tajin (エル・タヒン)。Elはスペイン語の冠詞で「The」、Tajinは原住民インディヘナの言葉で「雷・稲妻」という意味。
またまた、「地球の・・・」によると、AD600-700年頃にワステコ人によって宗儀の中心地として建設され、1200年頃に何らかの理由で滅びたとのこと。その後、ジャングルの中に埋もれていたが、1785年にスペイン人のエンジニアによって偶然に発見された。未だジャングルに眠る遺跡も多く、1/10程度しか発掘されていない。
前回、スペイン征服軍の蛮行について書いたが、ここの遺跡は蛮行により壊されることなく原型を留めることが出来た。その理由はジャングルに埋もれていたから。蛮行が行われた時代より200年ほど経った頃に発見された訳だから、蛮行の対象にならなかったということだ。
メキシコシティーを(少し寝坊して・・・)朝7時半に出発、現地に着いたのが11時半と4時間かかった。距離は300km程度だと思うが、途中山道が結構あって地図での見た目以上に時間が掛かった。私は半分くらいは寝ていた・・・
到着しての第一声、「暑い・湿気が多い」 メキシコ湾から40-50km程度内陸で標高は200m程度だから、スーパードライで高原気候のメキシコシティーと比べると、明らかに気候の差がある。暑さと湿気に慣れていない体だから、2時間程度の滞在でシャツが汗まみれになった。これは想定外のことだった・・・
それと、メチャクチャ観光客が多いこと。メキシコ国内の至る所から来ているだけでなく、言葉を聞いているとアメリカ・ヨーロッパからも来ている感じだった。私がメキシコで行ったことのある観光地でも1・2を争うくらいの観光客の多さという印象。これも意外だった。
最初に出迎えてくれたのは、この地方に古くから伝わる「ボラドーレスの儀式」。高さ約30mくらいの高さから逆さにぶら下がってゆっくりと回りながら降りてくる。昔は宗教的な儀式だったらしいが、今となっては観光客目当てのショーと化している。ま、面白かったから良いんだけど・・・
ピラミッド・遺跡の一部。完璧ではないが、かなりキレイに原型を留めているという印象。結構デザインが凝っているのが写真からも見て取れる。ま、この辺は無名の建物。。。
前出の通り、ここは発見時はジャングルに埋もれていた。遺跡のすぐ側までジャングルが押し寄せてきているのが印象的。だから暑くて湿気があるんだよ。。。
メイン広場から見るエル・タヒンの全景。何故かしらないけど、写真の右端がアップの際にどうしても切れてしまう。。。これで1/10しか発掘されていないというから、当時は相当大きな遺跡だったと想像できる。
高台に位置する「タヒン・チコ広場」の遺跡。左のデザインは、(少々分かりにくいかもしれないが)更に凝ったデザインをしているのが印象的。ちょっと中華のマークに似ていると思った・・・ 右の写真は、当時の暮らしを彷彿させる建物だ。
エル・タヒンのメインの建物Piramide de Nichos(=壁がんのピラミッド)。6-7世紀頃は壁が赤・青の漆喰で鮮やかに塗られていたらしい。6層からなるピラミッドには計365枚の”窓”があり、1年を表す宗教的カレンダーの役割も持っていたらしい。すごく高度な暦の技術を持っていたと想像できる。下から見ると迫力があった。
この遺跡のもう一つの特徴が壁画だ。よく見てると、色んな所に写真のような壁画が彫られている。写真の壁画は「生贄」を描いた壁画。当時から生贄の風習があったことを窺わせるものだ。ちなみに、これがあった場所のことを「Juego de Pelota Sur(=南の球戯場)」と呼ぶらしい。
博物館での展示物。日本のお茶用のきゅうす・茶碗みたいな物(一番左の写真)があったのは驚き。
最後に食べ物。レストランで「何がここの郷土料理か?」と聞くと、「モレ・トラディショナール」と言う。モレはメキシコの至る所で郷土料理と自負してるから、それをオーダーした。味的には、前回プエブラで食べたものとは異なり、結構カレー味に近いものがあった。でもゴハン・タコスとの相性も良かったし味的にも美味しかった。地域色が出ているなぁ~、と感心した。
時間が許し、長時間の車の旅が大丈夫な人は是非行ってみることをお勧めする。ティオティワカン同様、一見の価値はあと思う。でも、暑さ・湿気対策はお忘れなく・・・ あと、周りに他に見る所が何もないので、行くなら1泊2日でベラクルズと一緒に回ってくると良いだろう。
ちなみに、帰りは渋滞もあって5時間半かかった。全工程を運転してくれたチョフェールのラファ、お疲れさん。。。今日はさすがに休みらしい。
またまた、「地球の・・・」によると、AD600-700年頃にワステコ人によって宗儀の中心地として建設され、1200年頃に何らかの理由で滅びたとのこと。その後、ジャングルの中に埋もれていたが、1785年にスペイン人のエンジニアによって偶然に発見された。未だジャングルに眠る遺跡も多く、1/10程度しか発掘されていない。
前回、スペイン征服軍の蛮行について書いたが、ここの遺跡は蛮行により壊されることなく原型を留めることが出来た。その理由はジャングルに埋もれていたから。蛮行が行われた時代より200年ほど経った頃に発見された訳だから、蛮行の対象にならなかったということだ。
メキシコシティーを(少し寝坊して・・・)朝7時半に出発、現地に着いたのが11時半と4時間かかった。距離は300km程度だと思うが、途中山道が結構あって地図での見た目以上に時間が掛かった。私は半分くらいは寝ていた・・・
到着しての第一声、「暑い・湿気が多い」 メキシコ湾から40-50km程度内陸で標高は200m程度だから、スーパードライで高原気候のメキシコシティーと比べると、明らかに気候の差がある。暑さと湿気に慣れていない体だから、2時間程度の滞在でシャツが汗まみれになった。これは想定外のことだった・・・
それと、メチャクチャ観光客が多いこと。メキシコ国内の至る所から来ているだけでなく、言葉を聞いているとアメリカ・ヨーロッパからも来ている感じだった。私がメキシコで行ったことのある観光地でも1・2を争うくらいの観光客の多さという印象。これも意外だった。
最初に出迎えてくれたのは、この地方に古くから伝わる「ボラドーレスの儀式」。高さ約30mくらいの高さから逆さにぶら下がってゆっくりと回りながら降りてくる。昔は宗教的な儀式だったらしいが、今となっては観光客目当てのショーと化している。ま、面白かったから良いんだけど・・・
ピラミッド・遺跡の一部。完璧ではないが、かなりキレイに原型を留めているという印象。結構デザインが凝っているのが写真からも見て取れる。ま、この辺は無名の建物。。。
前出の通り、ここは発見時はジャングルに埋もれていた。遺跡のすぐ側までジャングルが押し寄せてきているのが印象的。だから暑くて湿気があるんだよ。。。
メイン広場から見るエル・タヒンの全景。何故かしらないけど、写真の右端がアップの際にどうしても切れてしまう。。。これで1/10しか発掘されていないというから、当時は相当大きな遺跡だったと想像できる。
高台に位置する「タヒン・チコ広場」の遺跡。左のデザインは、(少々分かりにくいかもしれないが)更に凝ったデザインをしているのが印象的。ちょっと中華のマークに似ていると思った・・・ 右の写真は、当時の暮らしを彷彿させる建物だ。
エル・タヒンのメインの建物Piramide de Nichos(=壁がんのピラミッド)。6-7世紀頃は壁が赤・青の漆喰で鮮やかに塗られていたらしい。6層からなるピラミッドには計365枚の”窓”があり、1年を表す宗教的カレンダーの役割も持っていたらしい。すごく高度な暦の技術を持っていたと想像できる。下から見ると迫力があった。
この遺跡のもう一つの特徴が壁画だ。よく見てると、色んな所に写真のような壁画が彫られている。写真の壁画は「生贄」を描いた壁画。当時から生贄の風習があったことを窺わせるものだ。ちなみに、これがあった場所のことを「Juego de Pelota Sur(=南の球戯場)」と呼ぶらしい。
博物館での展示物。日本のお茶用のきゅうす・茶碗みたいな物(一番左の写真)があったのは驚き。
最後に食べ物。レストランで「何がここの郷土料理か?」と聞くと、「モレ・トラディショナール」と言う。モレはメキシコの至る所で郷土料理と自負してるから、それをオーダーした。味的には、前回プエブラで食べたものとは異なり、結構カレー味に近いものがあった。でもゴハン・タコスとの相性も良かったし味的にも美味しかった。地域色が出ているなぁ~、と感心した。
時間が許し、長時間の車の旅が大丈夫な人は是非行ってみることをお勧めする。ティオティワカン同様、一見の価値はあと思う。でも、暑さ・湿気対策はお忘れなく・・・ あと、周りに他に見る所が何もないので、行くなら1泊2日でベラクルズと一緒に回ってくると良いだろう。
ちなみに、帰りは渋滞もあって5時間半かかった。全工程を運転してくれたチョフェールのラファ、お疲れさん。。。今日はさすがに休みらしい。
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