2010年01月26日
週末テニス、メキシコ人との夕食
先週末のテニス、2週間前の寒さ・1週間前の強風とうって変わって、メチャクチャ暑かった。。。メキシコのだから正しいかどうか分からないが、道端の至る所に設置されている温度計は29度を指していた。お陰で、酒なのか日焼けなのか分からないくらい、顔が真っ赤に日焼けした。
土曜は、アミ~ゴ・Alanと3つのタイブレーク勝負をした後に、成り行き4人組で珍しくダブルスをすることになった。
Alanとのタイブレークは、好不調の出入りが激しいながら3つ共に完勝。ダブルスは、この日殆ど初めて会った・組んだアミ~ガ・Erikaと組んで、Alan・飛び入り参加のオジサン(→名前も年も不明・・・)相手に6-1,6-4で勝利!! テニスクラブにいりゃ、こういう偶然もタマにはあるだろう。
日曜は、アミ~ゴに中々恵まれず、結局1時間くらい壁打ちをしたらアミ~ゴ・Luisが登場したので、シングルスの試合へ突入。この前に、2月6日から始まるInter Casablanca Class-Aのトルネオへのサインナップを済ませたので、Luisとの試合は2週間後へ向けての良い調整ともなった。
Luisとの試合は、いつも勝つのだがもつれることも多く、この日も5-2まではあっさりリードを取ったのだが、そこから試合がもつれて、スコアには出ないのだが結局終わってみれば6-3で勝利。もつれた原因は私のサーブ。もうちょっと素直に勝てるようにサーブの安定度を上げないと、と課題が残った。フォアに関してはタマとの距離感は直ってきたので良かった。
そして日曜のディナー。珍しく同じクラブのメキシコ人家族と一緒に行くことになった。カミさん同士のロッカーが近く、それで顔見知りになって仲良くなって家族でメシを食べに行こうということで実現したディナーだ。
相手のご夫婦は、Julio・Claudiaという結婚して17年の夫婦。息子のDavidは14歳・Pauraは11歳とRより少し年上。非常に性格の良く付き合い易い夫婦で、英語は全然話せないのだが外国人の友達を作って話をするのが好きな夫婦なようだ。
ところが・・・JulioとClaudiaの歳を聞いてビックリ!! Julioが38歳、Claudiaが34歳という。え・・・ 結婚して17年でしょ、上の子供が14歳で、、、、なんと、Claudiaが18歳になったばかり、Julioは当時21歳で結婚したのだ。ムチャチャ(=女中)の世界では良くある話だが、テニスクラブに入れる中級階層でそれってすごく稀じゃないの・・・?と思った。でも、カミさんに聞くと実はそうでもないらしい。ウチのクラブで少なくとも3人は10代で結婚した奥さんを知っているとのこと。分からんもんだぁ。。。
行った先はCAMBALACHEという高級アルゼンチンステーキハウス。事前情報では、我が家でたまに行くQuilmesよりもっと高級でメキシコで一番美味いアルゼンチンステーキハウスという人も居るくらいだった。
おじさんの顔が印象的な看板。肉・肉・肉・・・大人4人、子供3人で平らげた量。写真じゃ分かりにくいかも知れないが、1つのプレートの大きさが半端じゃない大きさ。テニスやった後じゃなきゃ罪悪感もあって食べれないね。ワインは、Claudiaが大好きというCasa Maderoというメキシコワイン Merlotを注文。
レストランがある場所は、ポランコ地区。ホテル日航からだったら多分車で2-3分の所。日曜の4時というちょっと中途半端な時間だったが、金持ちそうなメキシコ人で満席だった。お値段も・・・ Quilmesの倍くらいという感じ。確かに味は良かったし、ワインリストもまぁまぁ揃っている感じだったが、ちょっと割高感は否めなかった。。。ちなみに、この店はカンクンにも店があるとのこと。そう言えば、カンクンで見た記憶が無きにしもあらず・・・
酒と会話が弾んでしまい、その後に夫妻の家までお邪魔。ご自宅はCasablancaの直ぐ近くにあるgated community内の一軒家。そんなに大きい家ではなかったが、ベランダからの夜景がキレイだったのが印象的だった。テキーラを頂戴しながら2時間くらい、結婚したての頃の話・メキシコという国・メキシコ人・日本という国・日本人など色んなことを話した。メキシコ人に多い親日タイプだ。日本ブランド大好きという感じだった。
最後は、次回は我々が(美味しい?)日本食レストランへ招待して我が家に遊びに来て貰うという約束をしてご自宅を後にした。正直、スペイン語オンリーというのは少々疲れたが、会社でもずーっとスペイン語な訳だから同じ環境と思えば良いだろう。珍しくあまり大きな感覚的ギャップも感じない付き合い易いメキシコ人夫婦だったから、次回また行っても良いと思った。あまり気取らない居酒屋にでも連れて行くかぁ。。。
土曜は、アミ~ゴ・Alanと3つのタイブレーク勝負をした後に、成り行き4人組で珍しくダブルスをすることになった。
Alanとのタイブレークは、好不調の出入りが激しいながら3つ共に完勝。ダブルスは、この日殆ど初めて会った・組んだアミ~ガ・Erikaと組んで、Alan・飛び入り参加のオジサン(→名前も年も不明・・・)相手に6-1,6-4で勝利!! テニスクラブにいりゃ、こういう偶然もタマにはあるだろう。
日曜は、アミ~ゴに中々恵まれず、結局1時間くらい壁打ちをしたらアミ~ゴ・Luisが登場したので、シングルスの試合へ突入。この前に、2月6日から始まるInter Casablanca Class-Aのトルネオへのサインナップを済ませたので、Luisとの試合は2週間後へ向けての良い調整ともなった。
Luisとの試合は、いつも勝つのだがもつれることも多く、この日も5-2まではあっさりリードを取ったのだが、そこから試合がもつれて、スコアには出ないのだが結局終わってみれば6-3で勝利。もつれた原因は私のサーブ。もうちょっと素直に勝てるようにサーブの安定度を上げないと、と課題が残った。フォアに関してはタマとの距離感は直ってきたので良かった。
そして日曜のディナー。珍しく同じクラブのメキシコ人家族と一緒に行くことになった。カミさん同士のロッカーが近く、それで顔見知りになって仲良くなって家族でメシを食べに行こうということで実現したディナーだ。
相手のご夫婦は、Julio・Claudiaという結婚して17年の夫婦。息子のDavidは14歳・Pauraは11歳とRより少し年上。非常に性格の良く付き合い易い夫婦で、英語は全然話せないのだが外国人の友達を作って話をするのが好きな夫婦なようだ。
ところが・・・JulioとClaudiaの歳を聞いてビックリ!! Julioが38歳、Claudiaが34歳という。え・・・ 結婚して17年でしょ、上の子供が14歳で、、、、なんと、Claudiaが18歳になったばかり、Julioは当時21歳で結婚したのだ。ムチャチャ(=女中)の世界では良くある話だが、テニスクラブに入れる中級階層でそれってすごく稀じゃないの・・・?と思った。でも、カミさんに聞くと実はそうでもないらしい。ウチのクラブで少なくとも3人は10代で結婚した奥さんを知っているとのこと。分からんもんだぁ。。。
行った先はCAMBALACHEという高級アルゼンチンステーキハウス。事前情報では、我が家でたまに行くQuilmesよりもっと高級でメキシコで一番美味いアルゼンチンステーキハウスという人も居るくらいだった。
おじさんの顔が印象的な看板。肉・肉・肉・・・大人4人、子供3人で平らげた量。写真じゃ分かりにくいかも知れないが、1つのプレートの大きさが半端じゃない大きさ。テニスやった後じゃなきゃ罪悪感もあって食べれないね。ワインは、Claudiaが大好きというCasa Maderoというメキシコワイン Merlotを注文。
レストランがある場所は、ポランコ地区。ホテル日航からだったら多分車で2-3分の所。日曜の4時というちょっと中途半端な時間だったが、金持ちそうなメキシコ人で満席だった。お値段も・・・ Quilmesの倍くらいという感じ。確かに味は良かったし、ワインリストもまぁまぁ揃っている感じだったが、ちょっと割高感は否めなかった。。。ちなみに、この店はカンクンにも店があるとのこと。そう言えば、カンクンで見た記憶が無きにしもあらず・・・
酒と会話が弾んでしまい、その後に夫妻の家までお邪魔。ご自宅はCasablancaの直ぐ近くにあるgated community内の一軒家。そんなに大きい家ではなかったが、ベランダからの夜景がキレイだったのが印象的だった。テキーラを頂戴しながら2時間くらい、結婚したての頃の話・メキシコという国・メキシコ人・日本という国・日本人など色んなことを話した。メキシコ人に多い親日タイプだ。日本ブランド大好きという感じだった。
最後は、次回は我々が(美味しい?)日本食レストランへ招待して我が家に遊びに来て貰うという約束をしてご自宅を後にした。正直、スペイン語オンリーというのは少々疲れたが、会社でもずーっとスペイン語な訳だから同じ環境と思えば良いだろう。珍しくあまり大きな感覚的ギャップも感じない付き合い易いメキシコ人夫婦だったから、次回また行っても良いと思った。あまり気取らない居酒屋にでも連れて行くかぁ。。。
2010年01月21日
2010 全豪オープンテニス
今週から始まりましたね、今年最初のグランドスラムイベントが。
メキシコでは、時差の関係で夜7時くらいから毎夜ESPNでライブ放送・朝8時から録画放送をしていて毎日楽しみながら見ている。試合運びなど勉強になる点が多いからテレビで見るのも好きだ。
昨晩はプライベートのしょーもないこと~仕事のことまで、色々と悩ましいことが重なって何だか目が冴えて眠れなかった。夜2時ころだったか、テレビをつけたらDel Potro vs Blakeという面白い試合がなんと2回戦という早いラウンドでやっていた。
Del Potroは2009年のUS Openを制した今最も伸び盛りの若手。今大会はマレーを抜いて第四シードに入っていたから凄い成長だ。方やBlakeも元は世界ランク一桁台まで上り詰めたトッププレーヤー (錦織 圭がツアー初優勝した時に相手としても有名だ)。両プレーヤーとも、フラット系だから非常にスピーディーな展開で見ごたえ十分。特にBlakeはハードパンチャー系でカウンターを得意としてタマもめちゃくちゃ力強いので、Del Potroの高い打点から叩き込むタマに全然負けていない。2人のストロークの打ち合いは、まさにボクシングの殴り合いみたいな感じだった。
第一セットをDel Portroが取り、第二セットを最初から最後まで見て、タイブレークでBlakeが奪取。さすがに翌日の仕事に影響すると思って寝たが、正直もっと見たいと後ろ髪引かれた状態でベッドに戻った。。。翌日スコアをチェックしたら、なんとファイナルセット10-8でDel Potroの勝ち。もの凄い打ち合いを最後までしたんだということがスコアから見て取れた。あぁ~、やっぱもっと見ておくべきだったかぁ・・・ちっと後悔。
きっとこの2週間は寝不足の日々が続くんだろうなぁ。。。
メキシコでは、時差の関係で夜7時くらいから毎夜ESPNでライブ放送・朝8時から録画放送をしていて毎日楽しみながら見ている。試合運びなど勉強になる点が多いからテレビで見るのも好きだ。
昨晩はプライベートのしょーもないこと~仕事のことまで、色々と悩ましいことが重なって何だか目が冴えて眠れなかった。夜2時ころだったか、テレビをつけたらDel Potro vs Blakeという面白い試合がなんと2回戦という早いラウンドでやっていた。
Del Potroは2009年のUS Openを制した今最も伸び盛りの若手。今大会はマレーを抜いて第四シードに入っていたから凄い成長だ。方やBlakeも元は世界ランク一桁台まで上り詰めたトッププレーヤー (錦織 圭がツアー初優勝した時に相手としても有名だ)。両プレーヤーとも、フラット系だから非常にスピーディーな展開で見ごたえ十分。特にBlakeはハードパンチャー系でカウンターを得意としてタマもめちゃくちゃ力強いので、Del Potroの高い打点から叩き込むタマに全然負けていない。2人のストロークの打ち合いは、まさにボクシングの殴り合いみたいな感じだった。
第一セットをDel Portroが取り、第二セットを最初から最後まで見て、タイブレークでBlakeが奪取。さすがに翌日の仕事に影響すると思って寝たが、正直もっと見たいと後ろ髪引かれた状態でベッドに戻った。。。翌日スコアをチェックしたら、なんとファイナルセット10-8でDel Potroの勝ち。もの凄い打ち合いを最後までしたんだということがスコアから見て取れた。あぁ~、やっぱもっと見ておくべきだったかぁ・・・ちっと後悔。
きっとこの2週間は寝不足の日々が続くんだろうなぁ。。。
2010年01月19日
2010年 初打ち
先週末、2010年の初打ちをすることがやっと出来た。珍しく天気に恵まれず来客もあったりして、やっとという感じだった。。。
土曜は、久しぶりということもあったのでカミさん・息子と家族テニスで遊びながら調整。何となくボールとの距離感に苦しみながらも徐々に慣れていった。
日曜は、試合を慣行。
2010年の初試合となったのはTonyというオジサン。昔からダブルスをするアミーゴではあったのだが、シングルスでは今回が初顔合わせ。御歳59歳ということだったが、ボールがフラットスライス系で慣れるのに非常に時間の掛かるタイプ。結果は6-4で勝ったが、2-4まではTonyオジサンにリードを許すフラストレーションの溜まる展開だった。ま、でも何はともあれ初試合に勝てて2010年も幸先良くスタートできた。
続くはFederico。Federicoとは相性が悪くこれまで通算では負け越しているが、前回の対戦では2セット連取でこれまでの借りをきっちり返しておいた。今回の対戦では、ボールとの距離感・フォアの精度に苦しんだが何とかファーストセットを6-4で先取。しかし、セカンドセットでは風が強くフォアの精度が更に落ちてしまい、結果4-6で取られてしまった。Federicoが時間切れでファイナルセットは翌週へ持ち越しとなった。
ここ数ヶ月でセットを取られたのは久しぶりだったが、相手が相性の悪いFedericoで初打ちという点を考えればまぁまぁの出来と考えた方が良いだろう。
案の定、ボールとの距離感に苦しんだ初打ちだったので、最後に試合をしないアミーゴ・Ponchoと2時間ほど乱打をして特にフォアの距離感を調整。Ponchoのタマはメチャクチャt力強いので正しい打点で取らないと打ち負けてしまうから、ストロークの調整をするのには持って来いの相手だ。最後は上手く調整することが出来た。
初打ちとしては中々の出来だろう。来週は試合の中でしっかりとコントロールが出来るようになることを課題として設定しよう。
土曜は、久しぶりということもあったのでカミさん・息子と家族テニスで遊びながら調整。何となくボールとの距離感に苦しみながらも徐々に慣れていった。
日曜は、試合を慣行。
2010年の初試合となったのはTonyというオジサン。昔からダブルスをするアミーゴではあったのだが、シングルスでは今回が初顔合わせ。御歳59歳ということだったが、ボールがフラットスライス系で慣れるのに非常に時間の掛かるタイプ。結果は6-4で勝ったが、2-4まではTonyオジサンにリードを許すフラストレーションの溜まる展開だった。ま、でも何はともあれ初試合に勝てて2010年も幸先良くスタートできた。
続くはFederico。Federicoとは相性が悪くこれまで通算では負け越しているが、前回の対戦では2セット連取でこれまでの借りをきっちり返しておいた。今回の対戦では、ボールとの距離感・フォアの精度に苦しんだが何とかファーストセットを6-4で先取。しかし、セカンドセットでは風が強くフォアの精度が更に落ちてしまい、結果4-6で取られてしまった。Federicoが時間切れでファイナルセットは翌週へ持ち越しとなった。
ここ数ヶ月でセットを取られたのは久しぶりだったが、相手が相性の悪いFedericoで初打ちという点を考えればまぁまぁの出来と考えた方が良いだろう。
案の定、ボールとの距離感に苦しんだ初打ちだったので、最後に試合をしないアミーゴ・Ponchoと2時間ほど乱打をして特にフォアの距離感を調整。Ponchoのタマはメチャクチャt力強いので正しい打点で取らないと打ち負けてしまうから、ストロークの調整をするのには持って来いの相手だ。最後は上手く調整することが出来た。
初打ちとしては中々の出来だろう。来週は試合の中でしっかりとコントロールが出来るようになることを課題として設定しよう。
2010年01月19日
ペルー旅行 #4
ペルー旅行記の最終回、今回はペルー料理と”インカ”について綴ろう。
ペルー料理にと一口に言っても、大きく2つのタイプに分かれる。一つはクスコを中心としたアンデス料理、もう一つは海沿いの海鮮系料理(→ 何と言うんだろう・・・?)。前者から紹介しよう。
●アンデス料理
Aji de Gallina。Ajiとはどの料理にでも使うサルサ(=ソース)のこと。物によってはメチャクチャ辛かったりもするらしい。ご飯と一緒に出てきたので、カレーみたいなもの。辛くはなかった。。。
Alpaca a la Plancha。アンデス山中に生息する動物の肉。肉類が限られているアンデス山中では貴重な肉だろう。味は牛より少し癖がある感じ。マトンみたいだが、私個人的にはそれほど癖があるとは感じられなかった。
Chupe de Camarones。 Camaronesとはスペイン語でエビのこと。正確には川エビを使ったトマトソースのことで、マイルドな味わいだった。
Coroque。 正確にはアンデス料理というよりポルトガル料理だと思うが、芋はアンデス山中で沢山取れるから、アンデス料理の中に入れておこう。味的にはスーパー薄味、塩を振り掛けながら食べた。
Cuy Chactado。 Cuyとはアンデスのモルモットのこと。インカ時代は宮廷料理として振舞われていたらしい。本来は姿焼きで出てきて結構グロテスクらしいが、私が頼んだものは写真の通り跡形もない状態だった・・・ 味は、ソーセージみたいな感じで少々塩辛い、酒のツマミに合うと思った。
Trucha a la Plancha。 Truchaとはチチカカ湖に生息するマスのこと。塩で味付けしてあってサッパリ系。食感的にはサーモンとマスの間という感じ。
チチカカ湖畔の町・プーノで行ったレストラン、Ukuku。地球・・・にも載っていて、色んな国の観光客が沢山集まってきていた。
●海岸沿いの料理
こっちの方がペルー料理としては一般的には有名だろう。。。
Anticuho。 ペルーのどこででも食べられる大衆料理。牛の心臓の肉を串焼きにしたもの。焼き鳥みたいな感じだ。これ、元は黒人奴隷が作った料理らしい。様は金持ちが食べない部位を食べていたのが黒人奴隷だったということだ。
Cebiche。 ペルー料理で最も有名だろう。魚介類をタマネギ・香辛料・レモン汁であえたもの。美味い!!
Conchita a la Parmesana。 ホタテにパルメザンチーズをかけて焼いたもの。2夜連続で食べたくらい美味かった!!
Lomo Saltado。 これまたペルーではどこででも食べたれる大衆料理。牛肉の野菜炒めという感じ。
名前をメモるを忘れてしまった料理たち・・・ ペルー滞在中にマズイと思った料理は一つも無かったので、こいつらも美味かったはずだ。。。多分、右二つはSopa de Mariscos(=魚介のスープ)だと思う。
●アルコール
右がCerveza Cusquena、左がCerveza Pilsen。Cusquenaはクスコ市内に工場があり、Pilsen同様にペルー全土で飲める全国区のビール。
ブドウで造った蒸留酒・Pisco。アルコール度数40度とかなり高い。メキシコのテキーラ(ブランコ)に味が似てると思った。最初は飲みやすいのだが、調子に乗って飲んでると直ぐに酔っぱらってしまう。リマの酒屋で聞いたのだが、Don Santiagoというブランドが一番評判が良いらしい。我が家も2本ゲットしてメキシコに持って帰ってきた。
最後に、ペルーで出会ったインカを紹介しよう。
写真の通り、とにかくインカブランドが街中の至る所にある。Inca, Inkaはどっちでも良いみたい。。。インカが国民的ヒーローブランドだと良く分かった。商売成功させたきゃインカという名前を付けろ、って感じかなぁ。。。
ちゅーう感じで10日間の旅行を満喫。一度は触れてみたい国だったから行けて良かった。これで南米の主な旅行先は全て行けた。残す行先は「ガラパゴス諸島・イースター島・ギアナ高地」などだが、メキシコに居る間に行けるかどうかは微妙な所だろうなぁ。。。
ペルー料理にと一口に言っても、大きく2つのタイプに分かれる。一つはクスコを中心としたアンデス料理、もう一つは海沿いの海鮮系料理(→ 何と言うんだろう・・・?)。前者から紹介しよう。
●アンデス料理
Aji de Gallina。Ajiとはどの料理にでも使うサルサ(=ソース)のこと。物によってはメチャクチャ辛かったりもするらしい。ご飯と一緒に出てきたので、カレーみたいなもの。辛くはなかった。。。
Alpaca a la Plancha。アンデス山中に生息する動物の肉。肉類が限られているアンデス山中では貴重な肉だろう。味は牛より少し癖がある感じ。マトンみたいだが、私個人的にはそれほど癖があるとは感じられなかった。
Chupe de Camarones。 Camaronesとはスペイン語でエビのこと。正確には川エビを使ったトマトソースのことで、マイルドな味わいだった。
Coroque。 正確にはアンデス料理というよりポルトガル料理だと思うが、芋はアンデス山中で沢山取れるから、アンデス料理の中に入れておこう。味的にはスーパー薄味、塩を振り掛けながら食べた。
Cuy Chactado。 Cuyとはアンデスのモルモットのこと。インカ時代は宮廷料理として振舞われていたらしい。本来は姿焼きで出てきて結構グロテスクらしいが、私が頼んだものは写真の通り跡形もない状態だった・・・ 味は、ソーセージみたいな感じで少々塩辛い、酒のツマミに合うと思った。
Trucha a la Plancha。 Truchaとはチチカカ湖に生息するマスのこと。塩で味付けしてあってサッパリ系。食感的にはサーモンとマスの間という感じ。
チチカカ湖畔の町・プーノで行ったレストラン、Ukuku。地球・・・にも載っていて、色んな国の観光客が沢山集まってきていた。
●海岸沿いの料理
こっちの方がペルー料理としては一般的には有名だろう。。。
Anticuho。 ペルーのどこででも食べられる大衆料理。牛の心臓の肉を串焼きにしたもの。焼き鳥みたいな感じだ。これ、元は黒人奴隷が作った料理らしい。様は金持ちが食べない部位を食べていたのが黒人奴隷だったということだ。
Cebiche。 ペルー料理で最も有名だろう。魚介類をタマネギ・香辛料・レモン汁であえたもの。美味い!!
Conchita a la Parmesana。 ホタテにパルメザンチーズをかけて焼いたもの。2夜連続で食べたくらい美味かった!!
Lomo Saltado。 これまたペルーではどこででも食べたれる大衆料理。牛肉の野菜炒めという感じ。
名前をメモるを忘れてしまった料理たち・・・ ペルー滞在中にマズイと思った料理は一つも無かったので、こいつらも美味かったはずだ。。。多分、右二つはSopa de Mariscos(=魚介のスープ)だと思う。
●アルコール
右がCerveza Cusquena、左がCerveza Pilsen。Cusquenaはクスコ市内に工場があり、Pilsen同様にペルー全土で飲める全国区のビール。
ブドウで造った蒸留酒・Pisco。アルコール度数40度とかなり高い。メキシコのテキーラ(ブランコ)に味が似てると思った。最初は飲みやすいのだが、調子に乗って飲んでると直ぐに酔っぱらってしまう。リマの酒屋で聞いたのだが、Don Santiagoというブランドが一番評判が良いらしい。我が家も2本ゲットしてメキシコに持って帰ってきた。
最後に、ペルーで出会ったインカを紹介しよう。
写真の通り、とにかくインカブランドが街中の至る所にある。Inca, Inkaはどっちでも良いみたい。。。インカが国民的ヒーローブランドだと良く分かった。商売成功させたきゃインカという名前を付けろ、って感じかなぁ。。。
ちゅーう感じで10日間の旅行を満喫。一度は触れてみたい国だったから行けて良かった。これで南米の主な旅行先は全て行けた。残す行先は「ガラパゴス諸島・イースター島・ギアナ高地」などだが、メキシコに居る間に行けるかどうかは微妙な所だろうなぁ。。。
2010年01月16日
ペルー旅行 #3
低地のリマに戻ってきた!! もうスローライフをする必要もない!! 後半戦の低地ツアーを綴って行こう。
Day-6
昨晩にリマに戻ってきて、日本食屋へ直行。アンデスツアーではアンデス郷土料理ばかり食べてたので胃が疲れてたのもあるし、リマの日本食はメキシコより美味いと聞いていたのと、何より美味い刺身が食べたかった。
ま、食べ物の話は後でまとめて書くとして・・・ この日はリマの市内観光へ。リマ自体はメキシコシティーと雰囲気が良く似ている。そりゃそうだ。両方ともスペイン人が征服して建築した街だから。ま、でも折角リマまで来たのでポイントだけは見ておこうと思い市内観光へ。
サンクリストバルの丘からリマ市内を一望。ガスっているが、これはリマ市内では普通らしい。日光不足で子供の成長にも影響を与えているとか・・・
カテドラル。ラテンの国の街ならどこにでもある風景ですね。。。
ラ・インキシシオンという宗教裁判所博物館。地球・・・と見てのチョイスだったが、意外と面白かった。スペイン人の入植でキリスト教が半ば強制的に強要された。そして、キリスト教徒でないと疑われた者は拷問を受け改宗を迫られた。館内はスペイン語のみだが、ガイドが案内してくれ蝋人形での展示があった中々分かりやすくて面白かった。拷問の風景は背筋がぞっとする感じだったが・・・
国立博物館。写真は展示の一部で、ミイラ化した頭蓋骨。その昔インカ以前の戦争の時、日本の戦国時代と同様、勝者は敗者の首を切り落として戦果を証明した。面白かったのは、その内容。口は針で閉じられ、目はくり抜かれ、耳には何かが詰められている。何故そんなことをするの・・・? と思ったが、理由は「地獄(→ そんな概念があるのか?と思ったが・・・)に行っても見ざる言わざる聞かざる状態にするため」とのこと。変わっている・・・ ちなみに、ミイラ化したのは乾燥した気候で自然になったとのこと。
リマ市内の高級住宅エリアでもあるミラフローレス地区。海岸沿いの断崖絶壁からみる景色は非常に美しく、街もキレイに整備されていた。何となくSan Diegoを思い出させる雰囲気ですごく印象的な風景だった。やっぱ、海に近いっていいなぁ。。。
リマに滞在したのは正味1.5日くらい。夜・昼・夜と3回リマで食事をする機会に恵まれたが、この後もペルー料理が続くであろうと想定して、全て日本食屋へ行った。そのうちのひとつはTOSHIROというレストラン。今は世界的に有名なレストラン、NOBUのオーナーの松下さんと一緒に修行をしたという小西さんという方がオーナーで、ペルーでは最も有名な日本人らしい。ラテンでもその名前は響き渡っている。頭ツルツルの声の高いオヤジって感じだったが、一緒にいったOファミリーとも知り合いで、昼メシだったけど色々と料理業界の裏話などを聞くことが出来て面白かった。
TOSHIROで食べた一品、クエのあぶり(日本名は確か鯛だったと思う・・・)。ポン酢で食べたが、さっぱり味にポン酢のすっぱさが非常にマッチしていて感動するお味でした。昼間から贅沢にこんなモン食べて、ご馳走さま~って感じでひた。
Day-7~10
朝早くにリマを出発、目指すはリマから300km南に下ったビーチリゾート、パラカス。
(おぉ~、やっとパノラマ写真がまともに掲載できた。。。)
車で3.5時間、遂に到着~!!
海自体はアカプルコみたいな感じで決してキレイではなくクラゲがいるというので泳げなかったが、街中から離れていたので、プールでのんびり過ごすには良いリゾートホテルだった。何より一昨日までアンデスの山の中で高地生活をしていたから非常に気持ち良く思えた。
ここで、Oファミリーと3泊4日、子供たちもはしゃぎまくって楽しく過ごした。。。
そして、Feliz Ano 2010!!
その日の夜は皆で飲みまくって、新年はノンベェ状態で迎えた。写真でも分かるが、目があっちにいっちゃってるなぁ。。。
夜中0時になると花火が至る所であがり、ろうそくの火で作った紙製の気球がドンドン空へ舞い上がって行った。ペルー人は・・・ 当然フィエスタ。夜中まで盛り上がっていた。その辺はメキシコ人と似ていて、ラテン人共通ということかぁ。。。
そして、、、楽しみにしていたナスカの地上絵フライトへ行ってきた。妻やOファミリーはセスナが怖いからという理由で来なかったが、私からみれば「折角ペルーまで来て有名なナスカの地上絵を見ないで帰るのは機会損失だよ」って感じだ。
12人乗りのセスナに乗ってvamonos!! 私もこのサイズのセスナは初めて乗ったが、セスナって横揺れすると言うより、お尻が振れるって感じだった。
上空1000mくらいまで上昇した時の空の青さが印象的で写真を一枚パシャリ、地形の自然な造詣が美しくってまたまた写真を一枚パシャリ。
ってな感じで1時間くらいフライトしたら見えてきました、地上絵が!!
手 と 木 (2つ)
ハチドリ
ペリカン (多分・・・)
クモ
パリワナ(多分・・・)
宇宙人 or 宇宙飛行士
小さいサイズの写真じゃちょっと見えにくいかもしれない。。。この写真を見やすくする為にセスナは右に左に約45度くらい傾いている。これでセスナ酔いをする人が多いんだけど。。。
でも本当に不思議な絵だった。誰がいつ頃何の為に書いたのか、未だに謎らしい。道路が横断したり風化して傷ついたりで状態が悪化していると聞いている。いつ見れなくなってしまうかもしれないから、見れる内に見ておいた方が良いと思った。
という感じで、パラカス・ナスカの4日間を楽しく過ごしてリマへ帰ってきた。次回にペルーで出会った面白い物と食事について書いてみようと思う。
(続く)
Day-6
昨晩にリマに戻ってきて、日本食屋へ直行。アンデスツアーではアンデス郷土料理ばかり食べてたので胃が疲れてたのもあるし、リマの日本食はメキシコより美味いと聞いていたのと、何より美味い刺身が食べたかった。
ま、食べ物の話は後でまとめて書くとして・・・ この日はリマの市内観光へ。リマ自体はメキシコシティーと雰囲気が良く似ている。そりゃそうだ。両方ともスペイン人が征服して建築した街だから。ま、でも折角リマまで来たのでポイントだけは見ておこうと思い市内観光へ。
サンクリストバルの丘からリマ市内を一望。ガスっているが、これはリマ市内では普通らしい。日光不足で子供の成長にも影響を与えているとか・・・
カテドラル。ラテンの国の街ならどこにでもある風景ですね。。。
ラ・インキシシオンという宗教裁判所博物館。地球・・・と見てのチョイスだったが、意外と面白かった。スペイン人の入植でキリスト教が半ば強制的に強要された。そして、キリスト教徒でないと疑われた者は拷問を受け改宗を迫られた。館内はスペイン語のみだが、ガイドが案内してくれ蝋人形での展示があった中々分かりやすくて面白かった。拷問の風景は背筋がぞっとする感じだったが・・・
国立博物館。写真は展示の一部で、ミイラ化した頭蓋骨。その昔インカ以前の戦争の時、日本の戦国時代と同様、勝者は敗者の首を切り落として戦果を証明した。面白かったのは、その内容。口は針で閉じられ、目はくり抜かれ、耳には何かが詰められている。何故そんなことをするの・・・? と思ったが、理由は「地獄(→ そんな概念があるのか?と思ったが・・・)に行っても見ざる言わざる聞かざる状態にするため」とのこと。変わっている・・・ ちなみに、ミイラ化したのは乾燥した気候で自然になったとのこと。
リマ市内の高級住宅エリアでもあるミラフローレス地区。海岸沿いの断崖絶壁からみる景色は非常に美しく、街もキレイに整備されていた。何となくSan Diegoを思い出させる雰囲気ですごく印象的な風景だった。やっぱ、海に近いっていいなぁ。。。
リマに滞在したのは正味1.5日くらい。夜・昼・夜と3回リマで食事をする機会に恵まれたが、この後もペルー料理が続くであろうと想定して、全て日本食屋へ行った。そのうちのひとつはTOSHIROというレストラン。今は世界的に有名なレストラン、NOBUのオーナーの松下さんと一緒に修行をしたという小西さんという方がオーナーで、ペルーでは最も有名な日本人らしい。ラテンでもその名前は響き渡っている。頭ツルツルの声の高いオヤジって感じだったが、一緒にいったOファミリーとも知り合いで、昼メシだったけど色々と料理業界の裏話などを聞くことが出来て面白かった。
TOSHIROで食べた一品、クエのあぶり(日本名は確か鯛だったと思う・・・)。ポン酢で食べたが、さっぱり味にポン酢のすっぱさが非常にマッチしていて感動するお味でした。昼間から贅沢にこんなモン食べて、ご馳走さま~って感じでひた。
Day-7~10
朝早くにリマを出発、目指すはリマから300km南に下ったビーチリゾート、パラカス。
(おぉ~、やっとパノラマ写真がまともに掲載できた。。。)
車で3.5時間、遂に到着~!!
海自体はアカプルコみたいな感じで決してキレイではなくクラゲがいるというので泳げなかったが、街中から離れていたので、プールでのんびり過ごすには良いリゾートホテルだった。何より一昨日までアンデスの山の中で高地生活をしていたから非常に気持ち良く思えた。
ここで、Oファミリーと3泊4日、子供たちもはしゃぎまくって楽しく過ごした。。。
そして、Feliz Ano 2010!!
その日の夜は皆で飲みまくって、新年はノンベェ状態で迎えた。写真でも分かるが、目があっちにいっちゃってるなぁ。。。
夜中0時になると花火が至る所であがり、ろうそくの火で作った紙製の気球がドンドン空へ舞い上がって行った。ペルー人は・・・ 当然フィエスタ。夜中まで盛り上がっていた。その辺はメキシコ人と似ていて、ラテン人共通ということかぁ。。。
そして、、、楽しみにしていたナスカの地上絵フライトへ行ってきた。妻やOファミリーはセスナが怖いからという理由で来なかったが、私からみれば「折角ペルーまで来て有名なナスカの地上絵を見ないで帰るのは機会損失だよ」って感じだ。
12人乗りのセスナに乗ってvamonos!! 私もこのサイズのセスナは初めて乗ったが、セスナって横揺れすると言うより、お尻が振れるって感じだった。
上空1000mくらいまで上昇した時の空の青さが印象的で写真を一枚パシャリ、地形の自然な造詣が美しくってまたまた写真を一枚パシャリ。
ってな感じで1時間くらいフライトしたら見えてきました、地上絵が!!
手 と 木 (2つ)
ハチドリ
ペリカン (多分・・・)
クモ
パリワナ(多分・・・)
宇宙人 or 宇宙飛行士
小さいサイズの写真じゃちょっと見えにくいかもしれない。。。この写真を見やすくする為にセスナは右に左に約45度くらい傾いている。これでセスナ酔いをする人が多いんだけど。。。
でも本当に不思議な絵だった。誰がいつ頃何の為に書いたのか、未だに謎らしい。道路が横断したり風化して傷ついたりで状態が悪化していると聞いている。いつ見れなくなってしまうかもしれないから、見れる内に見ておいた方が良いと思った。
という感じで、パラカス・ナスカの4日間を楽しく過ごしてリマへ帰ってきた。次回にペルーで出会った面白い物と食事について書いてみようと思う。
(続く)
2010年01月13日
ペルー旅行 #2
さて、ペルー旅行記の第二段。今回はクスコ → チチカカ湖を綴ってみよう。
Day-3
前日夜にクスコに戻ってきて、翌3日目はクスコ市内を観光。昨日のマチュピチュと同じガイドさんが日本語で案内をしてくれた。
クスコの標高は3300m。明らかに息が切れる。アルコールも回りやすいのと高山病に掛かりやすいから誰も飲まない。。。ここは、元はインカ帝国の首都があった都市だ。今では50万人くらいが住む、ペルーでも7-8番目に大きな都市らしい。
最初にクスコ郊外にあるいくつかの遺跡巡りに行った。クスコ市内を見下ろしいる場所に立っているから、標高3600mとかに位置しているんだろう。。。
真ん中の写真は、左の写真の遺跡の一部なのだが、穴が開いているのが分かると思う。元々はここに黄金が埋まっていたのだが、スペイン人が全部剥がして持って行ってしまったらしい。金という金を全部略奪した訳だから、スペイン人の蛮行というしかないだろう。
右の写真は遺跡の近くにいたリャマとアルパカ。3600mって多分森林限界を超えた高さだと思う。確かに周りを見渡しても木はあまり見られなかった。そんな過酷な環境に適応できる動物はリャマとアルパカしかいないだろう。。。
パチャカマ神殿という遺跡。ここで昔インカ皇帝のミイラ作りが行われていたらしい。ちょっと見づらいけど、写真の”台”がミイラ作りの台だ。
そして、この日の最高到達地点の3765mへ。ほぼ富士山と同じ高さだ。人生の最高到達点を毎日更新した日々だった。。。
クスコ市内を一望。ラテン諸国では良く見るコロニアル都市という概観だった。
クスコ市内へ戻ってきて街中を見学。市内のど真ん中には似つかわしくないデカイ教会が2つ立地。下の写真は教会の前の広場をパノラマ写真で撮影したもの。しっかし、何でこのサイトでは写真のサイズが自分で調整できんのかねぇ・・・
上段右の写真は黄金でできたプレート・・・って金メッキです。スペイン人が根こそぎ持って行ってしまったので全然残っていないそう。。。
非常に有名なインカの石組み。 多分この日で最も有名な観光ポイントであったろうと思う。多角形の複雑な形の岩を組み合わせてできた石組みは非常に強固で、大震災の際も、石組みの上にスペイン人が建てた教会は皮肉にも全壊したが、インカの石組みは無傷で残ったらしい。
下段の写真は有名な12角の石。右端が切れちゃってて分かりにくいが12角形をした石だと分かるだろうか・・・?
この日は子供たちにも「走るなぁー!!」と言うくらい注意深く慎重に行動した。まるでスローライフの様だったが・・・
ガイドさんに言われ、この日から高山病予防の為の薬を飲み始めた。別に高山病になる前に予防で飲んでも問題ないらしい。。。
Day-4
この日はクスコ → プーノというチチカカ湖畔の街への移動。約500kmのバスで10時間の長旅だ。
途中で遺跡・食事などで5ヶ所に立ち寄りながらの長旅だった。本日の最高到達地点は4335m!! 人生でここより高い所に行ったことはありません、っちゅーくらい高い地点だ。真ん中の写真は、その最高到達地点でのもの。荒涼とした大地は森林限界を超えてるので木は全く生えていない。。。
途中の食事をした場所では、インカの伝統楽器を用いて「コンドルは飛んでゆく」の演奏で雰囲気を演出。こういう場所で聞くと雰囲気が満点で、危うくCDを買いそうになった。。。
しっかし、何故だか分からないけど写真が白黒になってしまうんだよなぁ・・・
ってな感じで夕方にはプーノに到着。いやぁ~、長かった。。。
Day-5
この日はチチカカ湖 + ウロス島の観光だ。
チチカカ湖の標高は3850m。昨日のクスコより更に450mも標高が高い。雲が更に近くに見えた。まるで天空に住んでいるような感覚だろう。。。何でこんな過酷な条件の土地に住んでいるのだろう・・・? と疑問に思ってしまう。
この日は天候にも恵まれて美しいチチカカ湖の写真を撮ることが出来た。何故だか、ここでも写真が白黒に・・・
ウロス島は浮き島で有名だろう。村長の説明によると、約200人くらいがコミュニティーを作っていくつかの島に分かれて生活しているらしい。ちゃんと学校もあるんだから驚いた。
葦を約3mほど積み上げて出来た浮島は思ったよりも床が柔らかかった。のれん分けじゃないけど、色んな事情で一緒の島に住めなくなった時は、島の領土を分割して分かれていくらしい。葦で出来ているから簡単に分けることができるのだと。。。
我々が訪れた島の村長と奥さん、そこに住む女性たち。確か全部で8家族くらいが住んで居たと思う。説明を聞き → 家の中に案内され → 出てきたら一人一人お土産を買え、とのこと。。。説明は面白かったけど、一人一人お土産を買えとはちっとtoo muchだよなぁ。。。
最後に、この女性たちが2-3の日本語の歌を披露してくれた。どこで習ったの??? と聞きたくなったが、多分相当数の日本人観光客が訪れているのだろうと思った。
島と島を移動する際に用いる船。大小様々な大きさがある。これも葦で出来ている。動力はもちろん「手漕ぎ」。我々もこれに乗って別の島へ移動。ちゃっかり大人一人10ソル(=315円)取られた。しっかりしてんなぁー。。。
普段の生活は、観光客の受け入れ・お土産物作りなどで生計を立てているらしい。年中通して観光客は来るらしいので、結構安定した生活を送れてんじゃないか?と思った。各家庭に自家発電バッテリー・無線TV/ラジオがあったのにはちょっと驚いた。
このチチカカ湖、ペルーとボリビアにまたがって位置している。時に浮島が流されてボリビア側に流れて行ってしまうこともあるらしい。その時に問題になるのがパスポートの不所持。パスポートなんて持ってないから、正式には不法侵入・滞在ということになるんだろう。。。
ってな感じで、5日間の命懸けの高地ツアーを終え、夕方のフライトでリマへ戻った。この5日間、皆ひたすら体調管理・維持に注意を払い、楽しんだというより緊張していたという方が正しいだろう。酒も5日間で350mlのビール瓶を1本と、かなり節制した生活だった。
でも、マチュピチュ・クスコ・チチカカ湖と見ることが出来たのは非常に満足度の高いツアーだった。
次回は低地編と食事について書こうと思う。
(続く)
Day-3
前日夜にクスコに戻ってきて、翌3日目はクスコ市内を観光。昨日のマチュピチュと同じガイドさんが日本語で案内をしてくれた。
クスコの標高は3300m。明らかに息が切れる。アルコールも回りやすいのと高山病に掛かりやすいから誰も飲まない。。。ここは、元はインカ帝国の首都があった都市だ。今では50万人くらいが住む、ペルーでも7-8番目に大きな都市らしい。
最初にクスコ郊外にあるいくつかの遺跡巡りに行った。クスコ市内を見下ろしいる場所に立っているから、標高3600mとかに位置しているんだろう。。。
真ん中の写真は、左の写真の遺跡の一部なのだが、穴が開いているのが分かると思う。元々はここに黄金が埋まっていたのだが、スペイン人が全部剥がして持って行ってしまったらしい。金という金を全部略奪した訳だから、スペイン人の蛮行というしかないだろう。
右の写真は遺跡の近くにいたリャマとアルパカ。3600mって多分森林限界を超えた高さだと思う。確かに周りを見渡しても木はあまり見られなかった。そんな過酷な環境に適応できる動物はリャマとアルパカしかいないだろう。。。
パチャカマ神殿という遺跡。ここで昔インカ皇帝のミイラ作りが行われていたらしい。ちょっと見づらいけど、写真の”台”がミイラ作りの台だ。
そして、この日の最高到達地点の3765mへ。ほぼ富士山と同じ高さだ。人生の最高到達点を毎日更新した日々だった。。。
クスコ市内を一望。ラテン諸国では良く見るコロニアル都市という概観だった。
クスコ市内へ戻ってきて街中を見学。市内のど真ん中には似つかわしくないデカイ教会が2つ立地。下の写真は教会の前の広場をパノラマ写真で撮影したもの。しっかし、何でこのサイトでは写真のサイズが自分で調整できんのかねぇ・・・
上段右の写真は黄金でできたプレート・・・って金メッキです。スペイン人が根こそぎ持って行ってしまったので全然残っていないそう。。。
非常に有名なインカの石組み。 多分この日で最も有名な観光ポイントであったろうと思う。多角形の複雑な形の岩を組み合わせてできた石組みは非常に強固で、大震災の際も、石組みの上にスペイン人が建てた教会は皮肉にも全壊したが、インカの石組みは無傷で残ったらしい。
下段の写真は有名な12角の石。右端が切れちゃってて分かりにくいが12角形をした石だと分かるだろうか・・・?
この日は子供たちにも「走るなぁー!!」と言うくらい注意深く慎重に行動した。まるでスローライフの様だったが・・・
ガイドさんに言われ、この日から高山病予防の為の薬を飲み始めた。別に高山病になる前に予防で飲んでも問題ないらしい。。。
Day-4
この日はクスコ → プーノというチチカカ湖畔の街への移動。約500kmのバスで10時間の長旅だ。
途中で遺跡・食事などで5ヶ所に立ち寄りながらの長旅だった。本日の最高到達地点は4335m!! 人生でここより高い所に行ったことはありません、っちゅーくらい高い地点だ。真ん中の写真は、その最高到達地点でのもの。荒涼とした大地は森林限界を超えてるので木は全く生えていない。。。
途中の食事をした場所では、インカの伝統楽器を用いて「コンドルは飛んでゆく」の演奏で雰囲気を演出。こういう場所で聞くと雰囲気が満点で、危うくCDを買いそうになった。。。
しっかし、何故だか分からないけど写真が白黒になってしまうんだよなぁ・・・
ってな感じで夕方にはプーノに到着。いやぁ~、長かった。。。
Day-5
この日はチチカカ湖 + ウロス島の観光だ。
チチカカ湖の標高は3850m。昨日のクスコより更に450mも標高が高い。雲が更に近くに見えた。まるで天空に住んでいるような感覚だろう。。。何でこんな過酷な条件の土地に住んでいるのだろう・・・? と疑問に思ってしまう。
この日は天候にも恵まれて美しいチチカカ湖の写真を撮ることが出来た。何故だか、ここでも写真が白黒に・・・
ウロス島は浮き島で有名だろう。村長の説明によると、約200人くらいがコミュニティーを作っていくつかの島に分かれて生活しているらしい。ちゃんと学校もあるんだから驚いた。
葦を約3mほど積み上げて出来た浮島は思ったよりも床が柔らかかった。のれん分けじゃないけど、色んな事情で一緒の島に住めなくなった時は、島の領土を分割して分かれていくらしい。葦で出来ているから簡単に分けることができるのだと。。。
我々が訪れた島の村長と奥さん、そこに住む女性たち。確か全部で8家族くらいが住んで居たと思う。説明を聞き → 家の中に案内され → 出てきたら一人一人お土産を買え、とのこと。。。説明は面白かったけど、一人一人お土産を買えとはちっとtoo muchだよなぁ。。。
最後に、この女性たちが2-3の日本語の歌を披露してくれた。どこで習ったの??? と聞きたくなったが、多分相当数の日本人観光客が訪れているのだろうと思った。
島と島を移動する際に用いる船。大小様々な大きさがある。これも葦で出来ている。動力はもちろん「手漕ぎ」。我々もこれに乗って別の島へ移動。ちゃっかり大人一人10ソル(=315円)取られた。しっかりしてんなぁー。。。
普段の生活は、観光客の受け入れ・お土産物作りなどで生計を立てているらしい。年中通して観光客は来るらしいので、結構安定した生活を送れてんじゃないか?と思った。各家庭に自家発電バッテリー・無線TV/ラジオがあったのにはちょっと驚いた。
このチチカカ湖、ペルーとボリビアにまたがって位置している。時に浮島が流されてボリビア側に流れて行ってしまうこともあるらしい。その時に問題になるのがパスポートの不所持。パスポートなんて持ってないから、正式には不法侵入・滞在ということになるんだろう。。。
ってな感じで、5日間の命懸けの高地ツアーを終え、夕方のフライトでリマへ戻った。この5日間、皆ひたすら体調管理・維持に注意を払い、楽しんだというより緊張していたという方が正しいだろう。酒も5日間で350mlのビール瓶を1本と、かなり節制した生活だった。
でも、マチュピチュ・クスコ・チチカカ湖と見ることが出来たのは非常に満足度の高いツアーだった。
次回は低地編と食事について書こうと思う。
(続く)
2010年01月13日
Feliz ano 2010 + ペルー旅行
Feliz ano 2010
新年明けましておめでとうございます。
新年明けて10日以上が経っているのに、仕事に忙殺されてブログが全然書けなかった。。。
我が家の昨年の年末年始のバケーションは、毎年恒例となった南米ツアー。メキシコ1年目はアルゼンチン、2年目はブラジル、と来れば残りの南米destinationは一つ。そう、今年の行き先はペルーだった。生涯で一回はマチュピチュ・ナスカの地上絵を見ておきたかったので、今年のdestination選びには何の迷いもなかった。
今回のペルー旅行、前半戦はアンデスの山々にある遺跡巡りが中心だったので高地ツアー、後半戦はリマ観光も含めビーチリゾートでのんびり低地でバケーション、という感じ。
でも前半戦の高地ツアー、正直ここまで命懸けのツアーだとは思ってもみなかった。。。まずはマチュピチュ遺跡の旅を中心に書いてみようと思う。
Day-1
前日夜中にメキシコシティーを経ち翌早朝に首都リマへ到着。メキシコ駐在時代に家族共々仲良くして貰ったOファミリーとリマで合流し、早速クスコへフライト。
クスコの標高は3300m!! メキシコシティーより更に500-800mも高い。我々は普段高地には慣れているが、Oファミリーにはキツイだろうということで、クスコから車で1時間ほど低地にある田舎町、Pisacにて宿泊。それでも標高2800mというから、かなりの高さである。実際、クスコに到着した時に「雲が近いなぁ・・・」と思ったほどだ。この日は体調を整える為にも無理はせずホテルでゆっくり休むことにした。
Day-2
この旅行の最大の見所の一つ、マチュピチュ遺跡の観光へ。マチュピチュ遺跡へは、Pisacから車で1時間・ビスタドームという列車で1.5時間・バスで30分、と合計3時間もかかる長旅であった。
じゃーん、遂に到着!!
標高は2400m、インカ帝国9代皇帝・パチュアクティーが首都クスコの避寒地として町を作ったというガイドの説明。
当日は、雨期の為に残念ながら雨模様(→ 誰だよ、雨女・男は!!)で、この写真も最後まで粘りに粘って撮ったもの。
マチュピチュ遺跡の周囲は、一番右の写真にあるみたいに断崖絶壁に囲まれている。当然下からは全然見えない。故に「空中都市・失われた都市」と形容されているんだろう。。。征服者・スペイン軍も上記の理由から発見出来なかった。だから今日こうやって見ることが出来る訳か。。。
左から2番目の写真は、アンデネスという段々畑。確か標高差が200m・温度差が5℃、と上と下で結構条件が違う。これを巧みに利用して、上では寒冷系食物・下では温暖系食物を栽培して自給自足をしていたという。インカ人の生活の知恵に驚いた。
有名なインカ道。インカ帝国には無数の道が築かれ、首都クスコ、そしてマチュピチュに繋がっていたという。左の写真の道、いまでも90km離れたクスコに繋がっているらしい。
インカ道で面白い仕掛けがあるというので見に行ったのが右の写真。真ん中に木で橋をかけているのが分かるだろうか・・・? これ、敵が攻めて来て防ぎきれなくなった時は木を落として道を遮断する為の仕掛けらしい。元々インカ道は非常に細く大勢の人が一揆に押し寄せてくることは不可能なのだが、こういう仕掛けも合わせて作っているとは・・・ 治安が悪かった or 用心には用心をってことなのだろうかぁ。。。ちなみに、マチュピチュには合計6本の道が外部へ繋がっているとのことだった。
麓のお土産物屋で見つけたインカチェス。兵隊~貴族~皇帝まで階層別にチェスが作られている。ま、これはきっとお土産用に作ったんだろうが・・・
ガイドの説明によると・・・ インカ帝国が滅びた理由は主に2つあるとのこと。一つはスペイン軍の銃・大砲をベースにした圧倒的な軍事力 vs インカ軍の石をベースにした原始的な乏しい兵器。まるで子供と大人の喧嘩だったろう。2つ目はインカ帝国の内乱。13代皇帝の時に内乱が起き、インカ帝国が真っ二つに割れた。その内乱をスペイン軍に上手く利用されたということだった。200人にも満たないスペイン軍が、いくら大砲・銃を使っても1万人以上いるインカ軍を簡単に制圧出来たのが不思議だったが、これで納得だ。
今回は、事前にNHKスペシャルで「マチュピチュの謎」を見て、また普段はケチって頼まない日本語ガイドも(Oファミリーの手配で)現地で付いてくれたので、理解力が大幅アップ。やっぱ事前学習と日本語ガイドはいいねぇ~、と妻と満足。
最後は、バス・電車・車で3時間をかけてクスコに本日の宿泊地・クスコに到着。辺境の地にあるからアクセスするのが大変だけど、訪れて良かった。
次回はクスコ観光~チチカカ湖の高地ツアー後半戦を綴ってみよう。
(続く)
新年明けましておめでとうございます。
新年明けて10日以上が経っているのに、仕事に忙殺されてブログが全然書けなかった。。。
我が家の昨年の年末年始のバケーションは、毎年恒例となった南米ツアー。メキシコ1年目はアルゼンチン、2年目はブラジル、と来れば残りの南米destinationは一つ。そう、今年の行き先はペルーだった。生涯で一回はマチュピチュ・ナスカの地上絵を見ておきたかったので、今年のdestination選びには何の迷いもなかった。
今回のペルー旅行、前半戦はアンデスの山々にある遺跡巡りが中心だったので高地ツアー、後半戦はリマ観光も含めビーチリゾートでのんびり低地でバケーション、という感じ。
でも前半戦の高地ツアー、正直ここまで命懸けのツアーだとは思ってもみなかった。。。まずはマチュピチュ遺跡の旅を中心に書いてみようと思う。
Day-1
前日夜中にメキシコシティーを経ち翌早朝に首都リマへ到着。メキシコ駐在時代に家族共々仲良くして貰ったOファミリーとリマで合流し、早速クスコへフライト。
クスコの標高は3300m!! メキシコシティーより更に500-800mも高い。我々は普段高地には慣れているが、Oファミリーにはキツイだろうということで、クスコから車で1時間ほど低地にある田舎町、Pisacにて宿泊。それでも標高2800mというから、かなりの高さである。実際、クスコに到着した時に「雲が近いなぁ・・・」と思ったほどだ。この日は体調を整える為にも無理はせずホテルでゆっくり休むことにした。
Day-2
この旅行の最大の見所の一つ、マチュピチュ遺跡の観光へ。マチュピチュ遺跡へは、Pisacから車で1時間・ビスタドームという列車で1.5時間・バスで30分、と合計3時間もかかる長旅であった。
じゃーん、遂に到着!!
標高は2400m、インカ帝国9代皇帝・パチュアクティーが首都クスコの避寒地として町を作ったというガイドの説明。
当日は、雨期の為に残念ながら雨模様(→ 誰だよ、雨女・男は!!)で、この写真も最後まで粘りに粘って撮ったもの。
マチュピチュ遺跡の周囲は、一番右の写真にあるみたいに断崖絶壁に囲まれている。当然下からは全然見えない。故に「空中都市・失われた都市」と形容されているんだろう。。。征服者・スペイン軍も上記の理由から発見出来なかった。だから今日こうやって見ることが出来る訳か。。。
左から2番目の写真は、アンデネスという段々畑。確か標高差が200m・温度差が5℃、と上と下で結構条件が違う。これを巧みに利用して、上では寒冷系食物・下では温暖系食物を栽培して自給自足をしていたという。インカ人の生活の知恵に驚いた。
有名なインカ道。インカ帝国には無数の道が築かれ、首都クスコ、そしてマチュピチュに繋がっていたという。左の写真の道、いまでも90km離れたクスコに繋がっているらしい。
インカ道で面白い仕掛けがあるというので見に行ったのが右の写真。真ん中に木で橋をかけているのが分かるだろうか・・・? これ、敵が攻めて来て防ぎきれなくなった時は木を落として道を遮断する為の仕掛けらしい。元々インカ道は非常に細く大勢の人が一揆に押し寄せてくることは不可能なのだが、こういう仕掛けも合わせて作っているとは・・・ 治安が悪かった or 用心には用心をってことなのだろうかぁ。。。ちなみに、マチュピチュには合計6本の道が外部へ繋がっているとのことだった。
麓のお土産物屋で見つけたインカチェス。兵隊~貴族~皇帝まで階層別にチェスが作られている。ま、これはきっとお土産用に作ったんだろうが・・・
ガイドの説明によると・・・ インカ帝国が滅びた理由は主に2つあるとのこと。一つはスペイン軍の銃・大砲をベースにした圧倒的な軍事力 vs インカ軍の石をベースにした原始的な乏しい兵器。まるで子供と大人の喧嘩だったろう。2つ目はインカ帝国の内乱。13代皇帝の時に内乱が起き、インカ帝国が真っ二つに割れた。その内乱をスペイン軍に上手く利用されたということだった。200人にも満たないスペイン軍が、いくら大砲・銃を使っても1万人以上いるインカ軍を簡単に制圧出来たのが不思議だったが、これで納得だ。
今回は、事前にNHKスペシャルで「マチュピチュの謎」を見て、また普段はケチって頼まない日本語ガイドも(Oファミリーの手配で)現地で付いてくれたので、理解力が大幅アップ。やっぱ事前学習と日本語ガイドはいいねぇ~、と妻と満足。
最後は、バス・電車・車で3時間をかけてクスコに本日の宿泊地・クスコに到着。辺境の地にあるからアクセスするのが大変だけど、訪れて良かった。
次回はクスコ観光~チチカカ湖の高地ツアー後半戦を綴ってみよう。
(続く)