2010年01月13日
ペルー旅行 #2
さて、ペルー旅行記の第二段。今回はクスコ → チチカカ湖を綴ってみよう。
Day-3
前日夜にクスコに戻ってきて、翌3日目はクスコ市内を観光。昨日のマチュピチュと同じガイドさんが日本語で案内をしてくれた。
クスコの標高は3300m。明らかに息が切れる。アルコールも回りやすいのと高山病に掛かりやすいから誰も飲まない。。。ここは、元はインカ帝国の首都があった都市だ。今では50万人くらいが住む、ペルーでも7-8番目に大きな都市らしい。
最初にクスコ郊外にあるいくつかの遺跡巡りに行った。クスコ市内を見下ろしいる場所に立っているから、標高3600mとかに位置しているんだろう。。。
真ん中の写真は、左の写真の遺跡の一部なのだが、穴が開いているのが分かると思う。元々はここに黄金が埋まっていたのだが、スペイン人が全部剥がして持って行ってしまったらしい。金という金を全部略奪した訳だから、スペイン人の蛮行というしかないだろう。
右の写真は遺跡の近くにいたリャマとアルパカ。3600mって多分森林限界を超えた高さだと思う。確かに周りを見渡しても木はあまり見られなかった。そんな過酷な環境に適応できる動物はリャマとアルパカしかいないだろう。。。
パチャカマ神殿という遺跡。ここで昔インカ皇帝のミイラ作りが行われていたらしい。ちょっと見づらいけど、写真の”台”がミイラ作りの台だ。
そして、この日の最高到達地点の3765mへ。ほぼ富士山と同じ高さだ。人生の最高到達点を毎日更新した日々だった。。。
クスコ市内を一望。ラテン諸国では良く見るコロニアル都市という概観だった。
クスコ市内へ戻ってきて街中を見学。市内のど真ん中には似つかわしくないデカイ教会が2つ立地。下の写真は教会の前の広場をパノラマ写真で撮影したもの。しっかし、何でこのサイトでは写真のサイズが自分で調整できんのかねぇ・・・
上段右の写真は黄金でできたプレート・・・って金メッキです。スペイン人が根こそぎ持って行ってしまったので全然残っていないそう。。。
非常に有名なインカの石組み。 多分この日で最も有名な観光ポイントであったろうと思う。多角形の複雑な形の岩を組み合わせてできた石組みは非常に強固で、大震災の際も、石組みの上にスペイン人が建てた教会は皮肉にも全壊したが、インカの石組みは無傷で残ったらしい。
下段の写真は有名な12角の石。右端が切れちゃってて分かりにくいが12角形をした石だと分かるだろうか・・・?
この日は子供たちにも「走るなぁー!!」と言うくらい注意深く慎重に行動した。まるでスローライフの様だったが・・・
ガイドさんに言われ、この日から高山病予防の為の薬を飲み始めた。別に高山病になる前に予防で飲んでも問題ないらしい。。。
Day-4
この日はクスコ → プーノというチチカカ湖畔の街への移動。約500kmのバスで10時間の長旅だ。
途中で遺跡・食事などで5ヶ所に立ち寄りながらの長旅だった。本日の最高到達地点は4335m!! 人生でここより高い所に行ったことはありません、っちゅーくらい高い地点だ。真ん中の写真は、その最高到達地点でのもの。荒涼とした大地は森林限界を超えてるので木は全く生えていない。。。
途中の食事をした場所では、インカの伝統楽器を用いて「コンドルは飛んでゆく」の演奏で雰囲気を演出。こういう場所で聞くと雰囲気が満点で、危うくCDを買いそうになった。。。
しっかし、何故だか分からないけど写真が白黒になってしまうんだよなぁ・・・
ってな感じで夕方にはプーノに到着。いやぁ~、長かった。。。
Day-5
この日はチチカカ湖 + ウロス島の観光だ。
チチカカ湖の標高は3850m。昨日のクスコより更に450mも標高が高い。雲が更に近くに見えた。まるで天空に住んでいるような感覚だろう。。。何でこんな過酷な条件の土地に住んでいるのだろう・・・? と疑問に思ってしまう。
この日は天候にも恵まれて美しいチチカカ湖の写真を撮ることが出来た。何故だか、ここでも写真が白黒に・・・
ウロス島は浮き島で有名だろう。村長の説明によると、約200人くらいがコミュニティーを作っていくつかの島に分かれて生活しているらしい。ちゃんと学校もあるんだから驚いた。
葦を約3mほど積み上げて出来た浮島は思ったよりも床が柔らかかった。のれん分けじゃないけど、色んな事情で一緒の島に住めなくなった時は、島の領土を分割して分かれていくらしい。葦で出来ているから簡単に分けることができるのだと。。。
我々が訪れた島の村長と奥さん、そこに住む女性たち。確か全部で8家族くらいが住んで居たと思う。説明を聞き → 家の中に案内され → 出てきたら一人一人お土産を買え、とのこと。。。説明は面白かったけど、一人一人お土産を買えとはちっとtoo muchだよなぁ。。。
最後に、この女性たちが2-3の日本語の歌を披露してくれた。どこで習ったの??? と聞きたくなったが、多分相当数の日本人観光客が訪れているのだろうと思った。
島と島を移動する際に用いる船。大小様々な大きさがある。これも葦で出来ている。動力はもちろん「手漕ぎ」。我々もこれに乗って別の島へ移動。ちゃっかり大人一人10ソル(=315円)取られた。しっかりしてんなぁー。。。
普段の生活は、観光客の受け入れ・お土産物作りなどで生計を立てているらしい。年中通して観光客は来るらしいので、結構安定した生活を送れてんじゃないか?と思った。各家庭に自家発電バッテリー・無線TV/ラジオがあったのにはちょっと驚いた。
このチチカカ湖、ペルーとボリビアにまたがって位置している。時に浮島が流されてボリビア側に流れて行ってしまうこともあるらしい。その時に問題になるのがパスポートの不所持。パスポートなんて持ってないから、正式には不法侵入・滞在ということになるんだろう。。。
ってな感じで、5日間の命懸けの高地ツアーを終え、夕方のフライトでリマへ戻った。この5日間、皆ひたすら体調管理・維持に注意を払い、楽しんだというより緊張していたという方が正しいだろう。酒も5日間で350mlのビール瓶を1本と、かなり節制した生活だった。
でも、マチュピチュ・クスコ・チチカカ湖と見ることが出来たのは非常に満足度の高いツアーだった。
次回は低地編と食事について書こうと思う。
(続く)
Day-3
前日夜にクスコに戻ってきて、翌3日目はクスコ市内を観光。昨日のマチュピチュと同じガイドさんが日本語で案内をしてくれた。
クスコの標高は3300m。明らかに息が切れる。アルコールも回りやすいのと高山病に掛かりやすいから誰も飲まない。。。ここは、元はインカ帝国の首都があった都市だ。今では50万人くらいが住む、ペルーでも7-8番目に大きな都市らしい。
最初にクスコ郊外にあるいくつかの遺跡巡りに行った。クスコ市内を見下ろしいる場所に立っているから、標高3600mとかに位置しているんだろう。。。
真ん中の写真は、左の写真の遺跡の一部なのだが、穴が開いているのが分かると思う。元々はここに黄金が埋まっていたのだが、スペイン人が全部剥がして持って行ってしまったらしい。金という金を全部略奪した訳だから、スペイン人の蛮行というしかないだろう。
右の写真は遺跡の近くにいたリャマとアルパカ。3600mって多分森林限界を超えた高さだと思う。確かに周りを見渡しても木はあまり見られなかった。そんな過酷な環境に適応できる動物はリャマとアルパカしかいないだろう。。。
パチャカマ神殿という遺跡。ここで昔インカ皇帝のミイラ作りが行われていたらしい。ちょっと見づらいけど、写真の”台”がミイラ作りの台だ。
そして、この日の最高到達地点の3765mへ。ほぼ富士山と同じ高さだ。人生の最高到達点を毎日更新した日々だった。。。
クスコ市内を一望。ラテン諸国では良く見るコロニアル都市という概観だった。
クスコ市内へ戻ってきて街中を見学。市内のど真ん中には似つかわしくないデカイ教会が2つ立地。下の写真は教会の前の広場をパノラマ写真で撮影したもの。しっかし、何でこのサイトでは写真のサイズが自分で調整できんのかねぇ・・・
上段右の写真は黄金でできたプレート・・・って金メッキです。スペイン人が根こそぎ持って行ってしまったので全然残っていないそう。。。
非常に有名なインカの石組み。 多分この日で最も有名な観光ポイントであったろうと思う。多角形の複雑な形の岩を組み合わせてできた石組みは非常に強固で、大震災の際も、石組みの上にスペイン人が建てた教会は皮肉にも全壊したが、インカの石組みは無傷で残ったらしい。
下段の写真は有名な12角の石。右端が切れちゃってて分かりにくいが12角形をした石だと分かるだろうか・・・?
この日は子供たちにも「走るなぁー!!」と言うくらい注意深く慎重に行動した。まるでスローライフの様だったが・・・
ガイドさんに言われ、この日から高山病予防の為の薬を飲み始めた。別に高山病になる前に予防で飲んでも問題ないらしい。。。
Day-4
この日はクスコ → プーノというチチカカ湖畔の街への移動。約500kmのバスで10時間の長旅だ。
途中で遺跡・食事などで5ヶ所に立ち寄りながらの長旅だった。本日の最高到達地点は4335m!! 人生でここより高い所に行ったことはありません、っちゅーくらい高い地点だ。真ん中の写真は、その最高到達地点でのもの。荒涼とした大地は森林限界を超えてるので木は全く生えていない。。。
途中の食事をした場所では、インカの伝統楽器を用いて「コンドルは飛んでゆく」の演奏で雰囲気を演出。こういう場所で聞くと雰囲気が満点で、危うくCDを買いそうになった。。。
しっかし、何故だか分からないけど写真が白黒になってしまうんだよなぁ・・・
ってな感じで夕方にはプーノに到着。いやぁ~、長かった。。。
Day-5
この日はチチカカ湖 + ウロス島の観光だ。
チチカカ湖の標高は3850m。昨日のクスコより更に450mも標高が高い。雲が更に近くに見えた。まるで天空に住んでいるような感覚だろう。。。何でこんな過酷な条件の土地に住んでいるのだろう・・・? と疑問に思ってしまう。
この日は天候にも恵まれて美しいチチカカ湖の写真を撮ることが出来た。何故だか、ここでも写真が白黒に・・・
ウロス島は浮き島で有名だろう。村長の説明によると、約200人くらいがコミュニティーを作っていくつかの島に分かれて生活しているらしい。ちゃんと学校もあるんだから驚いた。
葦を約3mほど積み上げて出来た浮島は思ったよりも床が柔らかかった。のれん分けじゃないけど、色んな事情で一緒の島に住めなくなった時は、島の領土を分割して分かれていくらしい。葦で出来ているから簡単に分けることができるのだと。。。
我々が訪れた島の村長と奥さん、そこに住む女性たち。確か全部で8家族くらいが住んで居たと思う。説明を聞き → 家の中に案内され → 出てきたら一人一人お土産を買え、とのこと。。。説明は面白かったけど、一人一人お土産を買えとはちっとtoo muchだよなぁ。。。
最後に、この女性たちが2-3の日本語の歌を披露してくれた。どこで習ったの??? と聞きたくなったが、多分相当数の日本人観光客が訪れているのだろうと思った。
島と島を移動する際に用いる船。大小様々な大きさがある。これも葦で出来ている。動力はもちろん「手漕ぎ」。我々もこれに乗って別の島へ移動。ちゃっかり大人一人10ソル(=315円)取られた。しっかりしてんなぁー。。。
普段の生活は、観光客の受け入れ・お土産物作りなどで生計を立てているらしい。年中通して観光客は来るらしいので、結構安定した生活を送れてんじゃないか?と思った。各家庭に自家発電バッテリー・無線TV/ラジオがあったのにはちょっと驚いた。
このチチカカ湖、ペルーとボリビアにまたがって位置している。時に浮島が流されてボリビア側に流れて行ってしまうこともあるらしい。その時に問題になるのがパスポートの不所持。パスポートなんて持ってないから、正式には不法侵入・滞在ということになるんだろう。。。
ってな感じで、5日間の命懸けの高地ツアーを終え、夕方のフライトでリマへ戻った。この5日間、皆ひたすら体調管理・維持に注意を払い、楽しんだというより緊張していたという方が正しいだろう。酒も5日間で350mlのビール瓶を1本と、かなり節制した生活だった。
でも、マチュピチュ・クスコ・チチカカ湖と見ることが出来たのは非常に満足度の高いツアーだった。
次回は低地編と食事について書こうと思う。
(続く)
2010年01月13日
Feliz ano 2010 + ペルー旅行
Feliz ano 2010
新年明けましておめでとうございます。
新年明けて10日以上が経っているのに、仕事に忙殺されてブログが全然書けなかった。。。
我が家の昨年の年末年始のバケーションは、毎年恒例となった南米ツアー。メキシコ1年目はアルゼンチン、2年目はブラジル、と来れば残りの南米destinationは一つ。そう、今年の行き先はペルーだった。生涯で一回はマチュピチュ・ナスカの地上絵を見ておきたかったので、今年のdestination選びには何の迷いもなかった。
今回のペルー旅行、前半戦はアンデスの山々にある遺跡巡りが中心だったので高地ツアー、後半戦はリマ観光も含めビーチリゾートでのんびり低地でバケーション、という感じ。
でも前半戦の高地ツアー、正直ここまで命懸けのツアーだとは思ってもみなかった。。。まずはマチュピチュ遺跡の旅を中心に書いてみようと思う。
Day-1
前日夜中にメキシコシティーを経ち翌早朝に首都リマへ到着。メキシコ駐在時代に家族共々仲良くして貰ったOファミリーとリマで合流し、早速クスコへフライト。
クスコの標高は3300m!! メキシコシティーより更に500-800mも高い。我々は普段高地には慣れているが、Oファミリーにはキツイだろうということで、クスコから車で1時間ほど低地にある田舎町、Pisacにて宿泊。それでも標高2800mというから、かなりの高さである。実際、クスコに到着した時に「雲が近いなぁ・・・」と思ったほどだ。この日は体調を整える為にも無理はせずホテルでゆっくり休むことにした。
Day-2
この旅行の最大の見所の一つ、マチュピチュ遺跡の観光へ。マチュピチュ遺跡へは、Pisacから車で1時間・ビスタドームという列車で1.5時間・バスで30分、と合計3時間もかかる長旅であった。
じゃーん、遂に到着!!
標高は2400m、インカ帝国9代皇帝・パチュアクティーが首都クスコの避寒地として町を作ったというガイドの説明。
当日は、雨期の為に残念ながら雨模様(→ 誰だよ、雨女・男は!!)で、この写真も最後まで粘りに粘って撮ったもの。
マチュピチュ遺跡の周囲は、一番右の写真にあるみたいに断崖絶壁に囲まれている。当然下からは全然見えない。故に「空中都市・失われた都市」と形容されているんだろう。。。征服者・スペイン軍も上記の理由から発見出来なかった。だから今日こうやって見ることが出来る訳か。。。
左から2番目の写真は、アンデネスという段々畑。確か標高差が200m・温度差が5℃、と上と下で結構条件が違う。これを巧みに利用して、上では寒冷系食物・下では温暖系食物を栽培して自給自足をしていたという。インカ人の生活の知恵に驚いた。
有名なインカ道。インカ帝国には無数の道が築かれ、首都クスコ、そしてマチュピチュに繋がっていたという。左の写真の道、いまでも90km離れたクスコに繋がっているらしい。
インカ道で面白い仕掛けがあるというので見に行ったのが右の写真。真ん中に木で橋をかけているのが分かるだろうか・・・? これ、敵が攻めて来て防ぎきれなくなった時は木を落として道を遮断する為の仕掛けらしい。元々インカ道は非常に細く大勢の人が一揆に押し寄せてくることは不可能なのだが、こういう仕掛けも合わせて作っているとは・・・ 治安が悪かった or 用心には用心をってことなのだろうかぁ。。。ちなみに、マチュピチュには合計6本の道が外部へ繋がっているとのことだった。
麓のお土産物屋で見つけたインカチェス。兵隊~貴族~皇帝まで階層別にチェスが作られている。ま、これはきっとお土産用に作ったんだろうが・・・
ガイドの説明によると・・・ インカ帝国が滅びた理由は主に2つあるとのこと。一つはスペイン軍の銃・大砲をベースにした圧倒的な軍事力 vs インカ軍の石をベースにした原始的な乏しい兵器。まるで子供と大人の喧嘩だったろう。2つ目はインカ帝国の内乱。13代皇帝の時に内乱が起き、インカ帝国が真っ二つに割れた。その内乱をスペイン軍に上手く利用されたということだった。200人にも満たないスペイン軍が、いくら大砲・銃を使っても1万人以上いるインカ軍を簡単に制圧出来たのが不思議だったが、これで納得だ。
今回は、事前にNHKスペシャルで「マチュピチュの謎」を見て、また普段はケチって頼まない日本語ガイドも(Oファミリーの手配で)現地で付いてくれたので、理解力が大幅アップ。やっぱ事前学習と日本語ガイドはいいねぇ~、と妻と満足。
最後は、バス・電車・車で3時間をかけてクスコに本日の宿泊地・クスコに到着。辺境の地にあるからアクセスするのが大変だけど、訪れて良かった。
次回はクスコ観光~チチカカ湖の高地ツアー後半戦を綴ってみよう。
(続く)
新年明けましておめでとうございます。
新年明けて10日以上が経っているのに、仕事に忙殺されてブログが全然書けなかった。。。
我が家の昨年の年末年始のバケーションは、毎年恒例となった南米ツアー。メキシコ1年目はアルゼンチン、2年目はブラジル、と来れば残りの南米destinationは一つ。そう、今年の行き先はペルーだった。生涯で一回はマチュピチュ・ナスカの地上絵を見ておきたかったので、今年のdestination選びには何の迷いもなかった。
今回のペルー旅行、前半戦はアンデスの山々にある遺跡巡りが中心だったので高地ツアー、後半戦はリマ観光も含めビーチリゾートでのんびり低地でバケーション、という感じ。
でも前半戦の高地ツアー、正直ここまで命懸けのツアーだとは思ってもみなかった。。。まずはマチュピチュ遺跡の旅を中心に書いてみようと思う。
Day-1
前日夜中にメキシコシティーを経ち翌早朝に首都リマへ到着。メキシコ駐在時代に家族共々仲良くして貰ったOファミリーとリマで合流し、早速クスコへフライト。
クスコの標高は3300m!! メキシコシティーより更に500-800mも高い。我々は普段高地には慣れているが、Oファミリーにはキツイだろうということで、クスコから車で1時間ほど低地にある田舎町、Pisacにて宿泊。それでも標高2800mというから、かなりの高さである。実際、クスコに到着した時に「雲が近いなぁ・・・」と思ったほどだ。この日は体調を整える為にも無理はせずホテルでゆっくり休むことにした。
Day-2
この旅行の最大の見所の一つ、マチュピチュ遺跡の観光へ。マチュピチュ遺跡へは、Pisacから車で1時間・ビスタドームという列車で1.5時間・バスで30分、と合計3時間もかかる長旅であった。
じゃーん、遂に到着!!
標高は2400m、インカ帝国9代皇帝・パチュアクティーが首都クスコの避寒地として町を作ったというガイドの説明。
当日は、雨期の為に残念ながら雨模様(→ 誰だよ、雨女・男は!!)で、この写真も最後まで粘りに粘って撮ったもの。
マチュピチュ遺跡の周囲は、一番右の写真にあるみたいに断崖絶壁に囲まれている。当然下からは全然見えない。故に「空中都市・失われた都市」と形容されているんだろう。。。征服者・スペイン軍も上記の理由から発見出来なかった。だから今日こうやって見ることが出来る訳か。。。
左から2番目の写真は、アンデネスという段々畑。確か標高差が200m・温度差が5℃、と上と下で結構条件が違う。これを巧みに利用して、上では寒冷系食物・下では温暖系食物を栽培して自給自足をしていたという。インカ人の生活の知恵に驚いた。
有名なインカ道。インカ帝国には無数の道が築かれ、首都クスコ、そしてマチュピチュに繋がっていたという。左の写真の道、いまでも90km離れたクスコに繋がっているらしい。
インカ道で面白い仕掛けがあるというので見に行ったのが右の写真。真ん中に木で橋をかけているのが分かるだろうか・・・? これ、敵が攻めて来て防ぎきれなくなった時は木を落として道を遮断する為の仕掛けらしい。元々インカ道は非常に細く大勢の人が一揆に押し寄せてくることは不可能なのだが、こういう仕掛けも合わせて作っているとは・・・ 治安が悪かった or 用心には用心をってことなのだろうかぁ。。。ちなみに、マチュピチュには合計6本の道が外部へ繋がっているとのことだった。
麓のお土産物屋で見つけたインカチェス。兵隊~貴族~皇帝まで階層別にチェスが作られている。ま、これはきっとお土産用に作ったんだろうが・・・
ガイドの説明によると・・・ インカ帝国が滅びた理由は主に2つあるとのこと。一つはスペイン軍の銃・大砲をベースにした圧倒的な軍事力 vs インカ軍の石をベースにした原始的な乏しい兵器。まるで子供と大人の喧嘩だったろう。2つ目はインカ帝国の内乱。13代皇帝の時に内乱が起き、インカ帝国が真っ二つに割れた。その内乱をスペイン軍に上手く利用されたということだった。200人にも満たないスペイン軍が、いくら大砲・銃を使っても1万人以上いるインカ軍を簡単に制圧出来たのが不思議だったが、これで納得だ。
今回は、事前にNHKスペシャルで「マチュピチュの謎」を見て、また普段はケチって頼まない日本語ガイドも(Oファミリーの手配で)現地で付いてくれたので、理解力が大幅アップ。やっぱ事前学習と日本語ガイドはいいねぇ~、と妻と満足。
最後は、バス・電車・車で3時間をかけてクスコに本日の宿泊地・クスコに到着。辺境の地にあるからアクセスするのが大変だけど、訪れて良かった。
次回はクスコ観光~チチカカ湖の高地ツアー後半戦を綴ってみよう。
(続く)