2011年12月30日
恒例の年末旅行 - 九州温泉ツアー②
後半戦。後半戦は黒川温泉と熊本のことを書こう。
黒川温泉は、山間の中にこじんまりとひっそりとある、周囲2km程度の小さな温泉街だ。ホテルに置いてあった説明書を読むと、1970年代までは地図にも載ってなかった秘境の温泉だったらしい。今では24軒のホテルがあり、(有効期限のある)共通入浴パスがあって全部のホテルの風呂をハシゴ出来る仕掛けになっている。九州の人なら何度かに分けて来られるだろう。秘境の温泉の雰囲気を出すために、ここでもB&Wで撮影。中々味出てます。
我が家が泊ったホテル。完璧な“和”のテイストに作り上げられた老舗旅館という感じ。窓を開けると竹林があり、それが更に温泉の雰囲気を醸し出してくれる。素晴らしいホテルだった。
ホテル情報:湯峡の響き 優彩(詳細はwebで…)
本日の夕食(⇒これで全部じゃあないよ)。ここでのメインは熊本名産・馬刺しと赤牛のしゃぶしゃぶ。馬刺しは、、、旨いの一言。ユッケが食べられなくなった今となっては、ホント久しぶりに生肉を食べたという感じ。お土産にも買って帰りましたぁ。。。赤牛は、これはこれで美味しいんだけど、昨日の湯布院での豊後牛には勝てず。。。
あと美味しかったのはお造りかなぁ。優彩造りとなっていたが、山芋とサーモンのお造りが氷の器に入って出てきた(写真 上段真ん中)。これを、トロリとした“熊本醤油”と一緒に食べると中々の絶品。後で聞いたんだけど、熊本醤油は結構味が独特で美味しくて有名らしい。
今宵のお酒は、地ビールと地酒。湯上り美人、ヴァイツェン… 中々面白い名前だね。味は、、、色々なタイプがあるけど、基本は私の好きなエール系の濃い味。逆に地酒の“あきげしき”は、カミさんの好みでチョイスしたから、かなりさっぱり系だった。
ここ黒川は、秘境の温泉という言葉がぴったりの場所だった。回りには本当に何もない。ゆっくり温泉巡りをしたければ是非来てもらいたい場所だ。
3日目の朝には黒川温泉を出発し、阿蘇山経由で熊本城へ向かった。阿蘇山は、時間が余ってしまうから“ついでに…”って感じ。
雄大な阿蘇山の麓に広がる高原風景は、ペルーのクスコ・マチュピチュを訪れた際にみた風景を思い出した。一方で後ろを振り返ると、まだまだ活きて活動している阿蘇山が山頂からモクモクと水蒸気を噴いている。活動そのものは活発ではないらしいが、火山性の有毒ガスを日によっては多く噴出するので、呼吸器系疾患のある人は登山NGとのこと。標高高いからスゲェ~寒かった。
そして最後の観光地・熊本城へ。熊本市内に到着して、まずは腹ごしらえで
御当地・熊本ラーメンは必ず食べておかないとね。トンコツ系ながら比較的あっさりしてるスープとキクラゲが特徴だ。我が家が選んだラーメン屋は、熊本市内にある元祖熊本ラーメン ごだいこという店。ガイドブックに一番美味しそうに書いてあったから選らんだんだけど、店が移転してたので最初の見つけるのにエライ苦労した。やっと見つけて入ってみると、壁一面に有名人のサインがビッシリ。やっぱ熊本でも有名な店なんだねぇ。お味の方は、、、もちろん噂通り(?)美味かったです、はい。ちなみにこの店、スープの味が落ちるのが嫌なので替え玉はありませんとのこと。こだわりがあるねぇ~。
ラーメンに満足して熊本城へ向かった。熊本城で無料ガイドツアーに参加して色んなうんちく話を聞いたので、覚えている限りのことと印象に残ったことを写真と共に書き記しておこう。
●大阪城・姫路城(⇒確か…)と並ぶ日本3大名城の一つ。
●江戸時代は54万石の領地として栄え、熊本城を築城したのは加藤清正公。その後、2代目の時に(3代将軍・家光により)加藤家が取り潰され、代わりに細川忠利が治めることになった。忠利のお母さんは、明智光秀の娘・ガラシャ。ん… なんだか色んな所で繋がってるねぇ…
●広さは、なんと今の皇居と同じくらいの広大な土地。当時は江戸城でつまりは将軍のお城だった訳で、そこと同じ大きさというのが面白い。清正の徳川家に対する対抗心…?
●明治維新の最後の内線・西南戦争の際に政府軍がここを拠点として西郷薩軍と戦った。70日間の籠城だったが、結局城は落ちず、姿だけでなく城の堅牢さを照明した。
天守閣。これは復元で、元の天守閣は西南戦争の時に、(西郷薩軍の攻撃でなく)台所からの謎の不審火で焼け落ちてしまったらしい。その時の焼けた瓦の写真が下段左。
天守閣って、お殿様が住んでいる or 政治を行う場所だと思っていたけど、間違いらしい。天守閣の役目は倉庫だって。建築物としてはシンボル的存在なんだけどね。
この石垣、武者返しと言われている。途中までは簡単に登れるんだけど、最後は垂直になっていて登れなくなるからその名前が付いたんだと。へぇ~。
城は7年もかけて作った作ったので、前期と後期で工法が異なってくるらしい。後期の方になると石垣を短いモノと長いモノを組み合わせて積み上げ、急な勾配を付けられるようになったらしい。
こちらが殿様が住んで政治を行った本丸御殿。殿様の上座から一番下っ端の位置まで4部屋ぶち抜き・約30mはあるだろうかぁ… 確か570畳だったとか。とにかくメチャクチャ広い。その上座には、写真の如く、金箔で天井・壁を塗られた豪華な部屋が。天井は、当時の設計図があったので完璧に復元、壁は想像図とのことだ。
地上だけでなく地下通路もあって、有事の際はここから逃げれるようになっていた…?
この建物、宇土櫓と言って、西南戦争の戦火も掻い潜って持ちこたえた奇跡の建物。つまり最初の築城の400年前同時の建物そのままの状態だ。これは貴重だろう…
この建物の役目は、城の天守閣を守る最後の砦。色んな仕掛けが施されてあって、廊下が斜めに作られていたり、刀を上から振り下ろせなくする為に鴨居を低く作ってたり、隠し部屋があったり、などなど。戦国時代を生き抜く知恵が凝縮された建物と言える。さすがに400年も経ったからか… 至る部分でガタが来ていて傾いている部分も多かった。でも400年前の建物とは凄い!!
最後に、、、熊本名産のお菓子・いきなり団子。サツマイモとアンコを団子で包んだあっさりした甘物。これ、私は結構気に入った一品だ。
これで全部。今回の旅は、冬の温泉湯けむりツアーで和を堪能してきた満足度の高い旅行だった。来年まだ日本に居るなら、次はどこ行こう…? 四国巡りなんてのも良いし、山陰・北陸地方なんてのも乙だ。今から楽しみに考えておこうっと。
黒川温泉は、山間の中にこじんまりとひっそりとある、周囲2km程度の小さな温泉街だ。ホテルに置いてあった説明書を読むと、1970年代までは地図にも載ってなかった秘境の温泉だったらしい。今では24軒のホテルがあり、(有効期限のある)共通入浴パスがあって全部のホテルの風呂をハシゴ出来る仕掛けになっている。九州の人なら何度かに分けて来られるだろう。秘境の温泉の雰囲気を出すために、ここでもB&Wで撮影。中々味出てます。
我が家が泊ったホテル。完璧な“和”のテイストに作り上げられた老舗旅館という感じ。窓を開けると竹林があり、それが更に温泉の雰囲気を醸し出してくれる。素晴らしいホテルだった。
ホテル情報:湯峡の響き 優彩(詳細はwebで…)
本日の夕食(⇒これで全部じゃあないよ)。ここでのメインは熊本名産・馬刺しと赤牛のしゃぶしゃぶ。馬刺しは、、、旨いの一言。ユッケが食べられなくなった今となっては、ホント久しぶりに生肉を食べたという感じ。お土産にも買って帰りましたぁ。。。赤牛は、これはこれで美味しいんだけど、昨日の湯布院での豊後牛には勝てず。。。
あと美味しかったのはお造りかなぁ。優彩造りとなっていたが、山芋とサーモンのお造りが氷の器に入って出てきた(写真 上段真ん中)。これを、トロリとした“熊本醤油”と一緒に食べると中々の絶品。後で聞いたんだけど、熊本醤油は結構味が独特で美味しくて有名らしい。
今宵のお酒は、地ビールと地酒。湯上り美人、ヴァイツェン… 中々面白い名前だね。味は、、、色々なタイプがあるけど、基本は私の好きなエール系の濃い味。逆に地酒の“あきげしき”は、カミさんの好みでチョイスしたから、かなりさっぱり系だった。
ここ黒川は、秘境の温泉という言葉がぴったりの場所だった。回りには本当に何もない。ゆっくり温泉巡りをしたければ是非来てもらいたい場所だ。
3日目の朝には黒川温泉を出発し、阿蘇山経由で熊本城へ向かった。阿蘇山は、時間が余ってしまうから“ついでに…”って感じ。
雄大な阿蘇山の麓に広がる高原風景は、ペルーのクスコ・マチュピチュを訪れた際にみた風景を思い出した。一方で後ろを振り返ると、まだまだ活きて活動している阿蘇山が山頂からモクモクと水蒸気を噴いている。活動そのものは活発ではないらしいが、火山性の有毒ガスを日によっては多く噴出するので、呼吸器系疾患のある人は登山NGとのこと。標高高いからスゲェ~寒かった。
そして最後の観光地・熊本城へ。熊本市内に到着して、まずは腹ごしらえで
御当地・熊本ラーメンは必ず食べておかないとね。トンコツ系ながら比較的あっさりしてるスープとキクラゲが特徴だ。我が家が選んだラーメン屋は、熊本市内にある元祖熊本ラーメン ごだいこという店。ガイドブックに一番美味しそうに書いてあったから選らんだんだけど、店が移転してたので最初の見つけるのにエライ苦労した。やっと見つけて入ってみると、壁一面に有名人のサインがビッシリ。やっぱ熊本でも有名な店なんだねぇ。お味の方は、、、もちろん噂通り(?)美味かったです、はい。ちなみにこの店、スープの味が落ちるのが嫌なので替え玉はありませんとのこと。こだわりがあるねぇ~。
ラーメンに満足して熊本城へ向かった。熊本城で無料ガイドツアーに参加して色んなうんちく話を聞いたので、覚えている限りのことと印象に残ったことを写真と共に書き記しておこう。
●大阪城・姫路城(⇒確か…)と並ぶ日本3大名城の一つ。
●江戸時代は54万石の領地として栄え、熊本城を築城したのは加藤清正公。その後、2代目の時に(3代将軍・家光により)加藤家が取り潰され、代わりに細川忠利が治めることになった。忠利のお母さんは、明智光秀の娘・ガラシャ。ん… なんだか色んな所で繋がってるねぇ…
●広さは、なんと今の皇居と同じくらいの広大な土地。当時は江戸城でつまりは将軍のお城だった訳で、そこと同じ大きさというのが面白い。清正の徳川家に対する対抗心…?
●明治維新の最後の内線・西南戦争の際に政府軍がここを拠点として西郷薩軍と戦った。70日間の籠城だったが、結局城は落ちず、姿だけでなく城の堅牢さを照明した。
天守閣。これは復元で、元の天守閣は西南戦争の時に、(西郷薩軍の攻撃でなく)台所からの謎の不審火で焼け落ちてしまったらしい。その時の焼けた瓦の写真が下段左。
天守閣って、お殿様が住んでいる or 政治を行う場所だと思っていたけど、間違いらしい。天守閣の役目は倉庫だって。建築物としてはシンボル的存在なんだけどね。
この石垣、武者返しと言われている。途中までは簡単に登れるんだけど、最後は垂直になっていて登れなくなるからその名前が付いたんだと。へぇ~。
城は7年もかけて作った作ったので、前期と後期で工法が異なってくるらしい。後期の方になると石垣を短いモノと長いモノを組み合わせて積み上げ、急な勾配を付けられるようになったらしい。
こちらが殿様が住んで政治を行った本丸御殿。殿様の上座から一番下っ端の位置まで4部屋ぶち抜き・約30mはあるだろうかぁ… 確か570畳だったとか。とにかくメチャクチャ広い。その上座には、写真の如く、金箔で天井・壁を塗られた豪華な部屋が。天井は、当時の設計図があったので完璧に復元、壁は想像図とのことだ。
地上だけでなく地下通路もあって、有事の際はここから逃げれるようになっていた…?
この建物、宇土櫓と言って、西南戦争の戦火も掻い潜って持ちこたえた奇跡の建物。つまり最初の築城の400年前同時の建物そのままの状態だ。これは貴重だろう…
この建物の役目は、城の天守閣を守る最後の砦。色んな仕掛けが施されてあって、廊下が斜めに作られていたり、刀を上から振り下ろせなくする為に鴨居を低く作ってたり、隠し部屋があったり、などなど。戦国時代を生き抜く知恵が凝縮された建物と言える。さすがに400年も経ったからか… 至る部分でガタが来ていて傾いている部分も多かった。でも400年前の建物とは凄い!!
最後に、、、熊本名産のお菓子・いきなり団子。サツマイモとアンコを団子で包んだあっさりした甘物。これ、私は結構気に入った一品だ。
これで全部。今回の旅は、冬の温泉湯けむりツアーで和を堪能してきた満足度の高い旅行だった。来年まだ日本に居るなら、次はどこ行こう…? 四国巡りなんてのも良いし、山陰・北陸地方なんてのも乙だ。今から楽しみに考えておこうっと。
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