2009年01月09日
ブラジル旅行記 #2 - Rio de Janeiro
ブラジル2ヶ所目の滞在先はリオ・デ・ジャネイロだ。「リオのカーニバル」で有名な都市だ。
旅行記の前にちょっとだけリオの街について触れておこう。現在700万人超の人口を持ち、名前の由来はポルトガル語で「Rio=川、de=~の、Janeiro=1月、つまり1月の川」。その理由だが、昔ポルトガル人が1502年1月ここに辿り着いた際、リオの湾を川だと勘違いしたことが名前の由来だ。日系人は、昔は多く居たらしいのだが、現在では企業駐在員も含め、サンパウロの方へ移動し、現在では約1万人くらいの日本人が住んでいる。ま、一言で言うと大都会の街である。
4日間の滞在のうち、リオ市内観光・コパカパーナビーチでのんびり滞在・地方都市=ペトロポリナス観光などを楽しんだ。
リオの市内観光・・・
ボン・ジ・アスーカル。リオ市内が一望できる高台にあり、ケーブルカーで上っていく。ちょっと雲が多かったのが残念だった。。。
マラカナンスタジアム。10万人収容の世界最大のサッカースタジアム。年末の時期はシーズン中断の時期でピッチレベルまで降りて見学が出来る。真ん中はブラジル代表のユニーフォームを着たパフォーマンスをするおじさん。ブラジル代表の過去の栄光を示す写真が廊下一面に張られている。
リオのカーニバルが行われるストリート。全長600mくらいの短いストリートを1.5時間かけて踊りまくりながら移動する。リオのカーニバルでは1チーム1.5時間の持ち時間と制限があるとのこと。
コルコバードの丘のキリスト像。新世界七不思議の一つに選ばれた。曇っていて、シャッターチャンスが少なかった。。。
夜に見に行ったサンバショー。市内でやっている唯一のサンバショーステージらしいのだが、観光客はみんなこれを見に来るらしい。正確に言うと、ブラジル各地の民族舞踊を見せてくれて最後の半分が完全にサンバの世界となる。下段右写真の踊りだが、昔黒人奴隷たちが息抜きに遊びでやっていた足だけを使う格闘技を踊り化したもの。かなり躍動感にあふれたダンスだった。
翌日は一日コパカパーナビーチでのんびりと過ごしたのだが、写真が一枚もない。理由は盗難の危険が高いからカメラは持っていかない方が良いとのアドバイスからだ。ブラジルでは貧富の差が激しい。それはメキシコでも同じなのだが、違うのは「コソドロ(ブラジル)、誘拐(メキシコ)」ということだ。ナイフ・拳銃を突きつけて金品を強奪するので非常に危険。なので最初から持って行かない方が良いということだ。昼間は安全そうなのだが、早朝・夕方~夜は非常に危険らしい。でもコパカパーナビーチは本当に美しかった。2日ほど早朝に全長4kmのビーチをジョギングしたのだが、清々しい気持ちにさせてくれた。メキシコでは無味乾燥のroom runnerで走っているから、本当に清々しい気分だった。
日帰りでペトロポリナスという地方都市へ観光に行ってきた。この街は元々王族の避暑地として栄えた街なのだ。18世紀、ナポレオン仏軍に攻められたポルトガル皇室は一時ブラジルに避難した。その後、皇太子だけブラジルに残り独立を宣言、ドン・ペドロ1世としてブラジル初代皇帝に即位した。その後70年ほど帝政が続いたが、1889年に陸軍のクーデターにより共和制へとなった。
上段写真は、王族が使用していた宮殿で、今は博物館となっている。めちゃくちゃ広かった・・・ 王族が使用していた馬車と家族写真。
ペトロポリナスは、元が避暑地ということもあってノンビリした雰囲気が漂う街だ。町中に水路が張り巡らされていて、家も可愛らしいデザインのものが多い。この街も、メキシコ同様に、教会が建てられそこを中心に街が発展していったという歴史を持つ。
ブラジルはコーヒーの一大原産国なのは有名な話だが、チョコレートも盛んに作られていて、国中どこででもチョコを売っている。ここ、ペトロポリナスでもお土産物屋でも一番人気が高かったのがチョコだった(写真下段)
最後となったが、リオで食したブラジル料理をご紹介。
●左がMuqueca(ムケカ)と言って、魚介類のスープ。これを独特の調味料を混ぜて白飯にかけて食べるのだが、まるでカレーみたいだ。非常に美味しかった。
●右はカイピリーニャというお酒で、カシャーサという38度くらいある原酒にライムをいっぱい搾り、グラニュー糖をたっぷりと入れて出来上がり。非常に甘いテイストで、ジン&ライムをもっと甘くした感じのお酒だ。女性向けのお酒という感じだ。
●写真を撮るのを忘れてしまったのだが・・・ シュラスコ(=ブラジリアンステーキ)も勿論食べた。特に美味しかったのは「鳥の心臓、牛のコブ」。チャンスがあれば是非ご賞味あれ。
ふぅ~、また書きすぎてしまった 旅も大詰め。次回は最後のポイント、イグアスの旅行記を書こうと思う
旅行記の前にちょっとだけリオの街について触れておこう。現在700万人超の人口を持ち、名前の由来はポルトガル語で「Rio=川、de=~の、Janeiro=1月、つまり1月の川」。その理由だが、昔ポルトガル人が1502年1月ここに辿り着いた際、リオの湾を川だと勘違いしたことが名前の由来だ。日系人は、昔は多く居たらしいのだが、現在では企業駐在員も含め、サンパウロの方へ移動し、現在では約1万人くらいの日本人が住んでいる。ま、一言で言うと大都会の街である。
4日間の滞在のうち、リオ市内観光・コパカパーナビーチでのんびり滞在・地方都市=ペトロポリナス観光などを楽しんだ。
リオの市内観光・・・
ボン・ジ・アスーカル。リオ市内が一望できる高台にあり、ケーブルカーで上っていく。ちょっと雲が多かったのが残念だった。。。
マラカナンスタジアム。10万人収容の世界最大のサッカースタジアム。年末の時期はシーズン中断の時期でピッチレベルまで降りて見学が出来る。真ん中はブラジル代表のユニーフォームを着たパフォーマンスをするおじさん。ブラジル代表の過去の栄光を示す写真が廊下一面に張られている。
リオのカーニバルが行われるストリート。全長600mくらいの短いストリートを1.5時間かけて踊りまくりながら移動する。リオのカーニバルでは1チーム1.5時間の持ち時間と制限があるとのこと。
コルコバードの丘のキリスト像。新世界七不思議の一つに選ばれた。曇っていて、シャッターチャンスが少なかった。。。
夜に見に行ったサンバショー。市内でやっている唯一のサンバショーステージらしいのだが、観光客はみんなこれを見に来るらしい。正確に言うと、ブラジル各地の民族舞踊を見せてくれて最後の半分が完全にサンバの世界となる。下段右写真の踊りだが、昔黒人奴隷たちが息抜きに遊びでやっていた足だけを使う格闘技を踊り化したもの。かなり躍動感にあふれたダンスだった。
翌日は一日コパカパーナビーチでのんびりと過ごしたのだが、写真が一枚もない。理由は盗難の危険が高いからカメラは持っていかない方が良いとのアドバイスからだ。ブラジルでは貧富の差が激しい。それはメキシコでも同じなのだが、違うのは「コソドロ(ブラジル)、誘拐(メキシコ)」ということだ。ナイフ・拳銃を突きつけて金品を強奪するので非常に危険。なので最初から持って行かない方が良いということだ。昼間は安全そうなのだが、早朝・夕方~夜は非常に危険らしい。でもコパカパーナビーチは本当に美しかった。2日ほど早朝に全長4kmのビーチをジョギングしたのだが、清々しい気持ちにさせてくれた。メキシコでは無味乾燥のroom runnerで走っているから、本当に清々しい気分だった。
日帰りでペトロポリナスという地方都市へ観光に行ってきた。この街は元々王族の避暑地として栄えた街なのだ。18世紀、ナポレオン仏軍に攻められたポルトガル皇室は一時ブラジルに避難した。その後、皇太子だけブラジルに残り独立を宣言、ドン・ペドロ1世としてブラジル初代皇帝に即位した。その後70年ほど帝政が続いたが、1889年に陸軍のクーデターにより共和制へとなった。
上段写真は、王族が使用していた宮殿で、今は博物館となっている。めちゃくちゃ広かった・・・ 王族が使用していた馬車と家族写真。
ペトロポリナスは、元が避暑地ということもあってノンビリした雰囲気が漂う街だ。町中に水路が張り巡らされていて、家も可愛らしいデザインのものが多い。この街も、メキシコ同様に、教会が建てられそこを中心に街が発展していったという歴史を持つ。
ブラジルはコーヒーの一大原産国なのは有名な話だが、チョコレートも盛んに作られていて、国中どこででもチョコを売っている。ここ、ペトロポリナスでもお土産物屋でも一番人気が高かったのがチョコだった(写真下段)
最後となったが、リオで食したブラジル料理をご紹介。
●左がMuqueca(ムケカ)と言って、魚介類のスープ。これを独特の調味料を混ぜて白飯にかけて食べるのだが、まるでカレーみたいだ。非常に美味しかった。
●右はカイピリーニャというお酒で、カシャーサという38度くらいある原酒にライムをいっぱい搾り、グラニュー糖をたっぷりと入れて出来上がり。非常に甘いテイストで、ジン&ライムをもっと甘くした感じのお酒だ。女性向けのお酒という感じだ。
●写真を撮るのを忘れてしまったのだが・・・ シュラスコ(=ブラジリアンステーキ)も勿論食べた。特に美味しかったのは「鳥の心臓、牛のコブ」。チャンスがあれば是非ご賞味あれ。
ふぅ~、また書きすぎてしまった 旅も大詰め。次回は最後のポイント、イグアスの旅行記を書こうと思う
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