2008年07月29日
怒涛のメキシコ国内 1泊2日旅行 #2
さて、Guanajatoにサヨナラをして、サンミゲル・デ・アジェンデという街に向かった。
このサンミゲル・デ・アジェンデという街だが、1542年にスペイン人修道士によって造られ、18世紀頃には手工業で栄えた。その後手工業自体はは衰退したが、古い町並みの美しさを守ろうということで、1926年に国定コロニアル指定都市に指定された。全部、地球の歩き方に載っている内容だけど。。。
ちょっと道に迷ったりして、街に到着したのが3時くらい。かなり腹が減っていたのでレストランに直行した。お目当てのレストランが2件あったのだが、両方とも満席で入れず。空腹に我慢が出来なかった私は、結局その近くのレストランへふらりと入った。
そこでオーダーしたのがこれ。ソースはチリ・ベルデ(緑の辛いソース)とホワイトソースの合わせ技。まろやかな味だった。チキンなのだが、中にゴート(羊)のチーズが挟まれている。チーズ自体に少々クセがあるのだが、ソースが上手いことそのクセを消してくれる。
その後、カメラを持って街中を散策した。Guanajato同様に写真付きで紹介しよう。
まずは必ずあるカテドラル(教会)。サンミゲル教会という名前。スペイン人宣教師が残した一枚の絵葉書だけで先住民の職人が設計して作り上げた教会らしい。中も他の教会と同様の造り・装飾になっており、本当に絵葉書一枚だけで・・・と感嘆してしまった。
ダウンタウンの町並み。中世を思わせる石畳の道が情緒深い。メキシコの地方小都市はたいていこんな風景だ。
とある家の中庭の風景。スペイン風建物の特徴の一つに”中庭”が挙げられる。日本庭園と同じように、昔の建物には必ず中庭がセットになっている。それがスペイン風建物の特徴だ。
銀細工の土産物。サンミゲルでは色んな種類の銀細工があり、土産物として有名らしい。メキシコって結構銀製の土産物が多い印象だ。たいがい、どこの町でも見かけるのは気のせいだろうか・・・
そしてサンミゲルを離れ、一路最終目的地のQueretaro(ケレタロ)へ。
この街、昔は銀山で栄え、またメキシコ国内を結ぶ要所として栄え、18世紀にはメキシコで3番目の街になったらしい。今では中規模工業都市だ。この街の歴史地区は1997年に世界遺産に登録されている。
そんなこの街へ来た目的はたった一つ。世界遺産で有名な水道橋を見るためだ。
この水道橋、1726-1738年にかけて建造され全長は1280mにも及ぶ。郊外から水を街中に運ぶためにメキシコシティの建築家が建てたとのことだ。街のど真ん中に建っているのだが、街中の風景とマッチしている。
名前は分からないが、この人がプロジェクトを先導したらしい。当時のここの金持ちだと聞いた記憶がある。。。
結局、メキシコシティーに帰ってきたのは夜10時。一日中観光と移動って感じだった。2日で計900kmくらい走ったことになる。運転をしてくれたボディーカードのRafaelに感謝・感謝。。。
そのボディーガードのRafael。彼がウチの主ボディーガードで、もう一人別の人も付いてくれている。今回はRafael一人が私に同行してくれた。
そして、我が家の車。これ、ただの車ではない。防弾ガラス・鉄板の入った完全装甲車だ。ドアなんてめちゃくちゃ重い。総重量3.5トンと確か言っていた。運転したこともあるが、車体が重いので早目にブレーキをかけないと全然止まれない。扱いが難しい車だ。
今回はめちゃめちゃ駆け足でのメキシコ地方都市散策となった。メキシコの歴史は大別すると2つに分けられる。一つはスペイン人が侵略後に造ったもの。今回の3都市は正にそれだ。もう一つがそれ以前に造られたもの。例えばマヤ遺跡とかなどがそれに当たる。メキシコと言えば多くのピラミッドがあるのは有名だ。次回はスペイン人以前の歴史を散策してみようと思う。。。
このサンミゲル・デ・アジェンデという街だが、1542年にスペイン人修道士によって造られ、18世紀頃には手工業で栄えた。その後手工業自体はは衰退したが、古い町並みの美しさを守ろうということで、1926年に国定コロニアル指定都市に指定された。全部、地球の歩き方に載っている内容だけど。。。
ちょっと道に迷ったりして、街に到着したのが3時くらい。かなり腹が減っていたのでレストランに直行した。お目当てのレストランが2件あったのだが、両方とも満席で入れず。空腹に我慢が出来なかった私は、結局その近くのレストランへふらりと入った。
そこでオーダーしたのがこれ。ソースはチリ・ベルデ(緑の辛いソース)とホワイトソースの合わせ技。まろやかな味だった。チキンなのだが、中にゴート(羊)のチーズが挟まれている。チーズ自体に少々クセがあるのだが、ソースが上手いことそのクセを消してくれる。
その後、カメラを持って街中を散策した。Guanajato同様に写真付きで紹介しよう。
まずは必ずあるカテドラル(教会)。サンミゲル教会という名前。スペイン人宣教師が残した一枚の絵葉書だけで先住民の職人が設計して作り上げた教会らしい。中も他の教会と同様の造り・装飾になっており、本当に絵葉書一枚だけで・・・と感嘆してしまった。
ダウンタウンの町並み。中世を思わせる石畳の道が情緒深い。メキシコの地方小都市はたいていこんな風景だ。
とある家の中庭の風景。スペイン風建物の特徴の一つに”中庭”が挙げられる。日本庭園と同じように、昔の建物には必ず中庭がセットになっている。それがスペイン風建物の特徴だ。
銀細工の土産物。サンミゲルでは色んな種類の銀細工があり、土産物として有名らしい。メキシコって結構銀製の土産物が多い印象だ。たいがい、どこの町でも見かけるのは気のせいだろうか・・・
そしてサンミゲルを離れ、一路最終目的地のQueretaro(ケレタロ)へ。
この街、昔は銀山で栄え、またメキシコ国内を結ぶ要所として栄え、18世紀にはメキシコで3番目の街になったらしい。今では中規模工業都市だ。この街の歴史地区は1997年に世界遺産に登録されている。
そんなこの街へ来た目的はたった一つ。世界遺産で有名な水道橋を見るためだ。
この水道橋、1726-1738年にかけて建造され全長は1280mにも及ぶ。郊外から水を街中に運ぶためにメキシコシティの建築家が建てたとのことだ。街のど真ん中に建っているのだが、街中の風景とマッチしている。
名前は分からないが、この人がプロジェクトを先導したらしい。当時のここの金持ちだと聞いた記憶がある。。。
結局、メキシコシティーに帰ってきたのは夜10時。一日中観光と移動って感じだった。2日で計900kmくらい走ったことになる。運転をしてくれたボディーカードのRafaelに感謝・感謝。。。
そのボディーガードのRafael。彼がウチの主ボディーガードで、もう一人別の人も付いてくれている。今回はRafael一人が私に同行してくれた。
そして、我が家の車。これ、ただの車ではない。防弾ガラス・鉄板の入った完全装甲車だ。ドアなんてめちゃくちゃ重い。総重量3.5トンと確か言っていた。運転したこともあるが、車体が重いので早目にブレーキをかけないと全然止まれない。扱いが難しい車だ。
今回はめちゃめちゃ駆け足でのメキシコ地方都市散策となった。メキシコの歴史は大別すると2つに分けられる。一つはスペイン人が侵略後に造ったもの。今回の3都市は正にそれだ。もう一つがそれ以前に造られたもの。例えばマヤ遺跡とかなどがそれに当たる。メキシコと言えば多くのピラミッドがあるのは有名だ。次回はスペイン人以前の歴史を散策してみようと思う。。。
2008年07月29日
怒涛のメキシコ国内 1泊2日旅行 #1
先週の金曜~土曜にかけて、メキシコ国内 怒涛の1泊2日旅行を敢行してきた。行先は3箇所、グアナファト、サンミゲル・デ・アジェンデ、ケレタロ。メキシコシティーから約250~400kmほど北西に位置する高原の中の中世都市だ。
最初に訪れた街はGuanajato(グアナファト)という街。観光ガイドブックによると、メキシコに数あるコロニアル都市の中で一番美しい街らしい。元々銀の採掘が18世紀頃まで盛んに行われていたらしく、当時世界の1/3の銀を産出していたとのこと。また、1810年に始まったメキシコ独立戦争(対 スペイン本国)では、歴史に残る激戦の舞台となったらしい。
メキシコシティーを夕方4時頃出発し、グアナファトの町並みの夜景が見える山頂観光ポイントへ立ち寄ってからグアナファトへ夜10時過ぎに到着した。時間も遅かったので、早速夜メシを探しにダウンタウンへ繰り出した。ダウンタウンって言っても、歩いて全部を回れる非常に小さい街だ。
街で早速聖歌隊らしき合唱団に歓迎を受けた。何でも火水金土の4日だけ、夜の10時頃から歌う名物らしい。小さい子は(多分)小学生~大きい子は大学生と全員学生の合唱団らしい。暗かったので写真がブレているのが自分としては納得できてないのだが・・・
何軒か回ったが、夜11時に近かったので殆どの店でディナーを断られて最後に辿り着いた店でオーダーした料理。正直、全然期待していなかったが、アルゼンチンステーキみたいで中々柔らかいステーキのコンボ料理を出してくれた。特にアラチェラという牛フィレを薄切りにしたステーキは柔らかく、とても美味かった。期待していなかっただけに驚きだった。
翌朝は9時くらいから街中を散策し始めた。百聞は一見にしかず 写真と共に街中を紹介しよう。
まずはBasilica教会。メキシコではどの街にも必ず教会がある。スペイン人が侵略して来て街を建設する際、必ず教会を街の中心に建てたからだ。教会を中心として街が発展して行った。
次に訪れたのがJuarez Teatroというシアター。1903年に完成し、今でもクラシック・オペラなどが上演されているらしい。この裏から小さいケーブルカーが出ており、それに乗ってちょっとした高台に行った。
その高台からみたGuanajatoの町並み。メキシコ独特の道が複雑に入り組んだ町並みである。私が見たメキシコの町並みとしては、色使いが鮮やかでキレイな街だと思う。
この街の特徴の一つにこのトンネルが挙げられる。前出の通り、元々この街は銀採掘が盛んだった。相当の銀が採掘された後に残ったのは鉱山道。それを道路に改良して出来たのがこの道だ。こんな道がグアナファトの街の下を縦横無尽に走っている。非常に面白い・珍しい光景だ。
最後に・・・ この街のもう一つの名物がミイラだ。ここの土地が鉱物質の土壌という性質を持ち、非常に感想した気候の為、自然とこのミイラが出来たのだと言う。なので、ある者は服を着ており、ある者は靴下だけ履いてあったりする。エジプトのミイラと違って、死後に何も手を加えていない。写真にある通り、乳幼児のミイラも館内にいくつか展示してあった。まるで今にも動き出しそうな勢いで、か~な~り迫力があった。ホント、映画に出てくる”マミ~”って感じだ。
(続く・・・)
最初に訪れた街はGuanajato(グアナファト)という街。観光ガイドブックによると、メキシコに数あるコロニアル都市の中で一番美しい街らしい。元々銀の採掘が18世紀頃まで盛んに行われていたらしく、当時世界の1/3の銀を産出していたとのこと。また、1810年に始まったメキシコ独立戦争(対 スペイン本国)では、歴史に残る激戦の舞台となったらしい。
メキシコシティーを夕方4時頃出発し、グアナファトの町並みの夜景が見える山頂観光ポイントへ立ち寄ってからグアナファトへ夜10時過ぎに到着した。時間も遅かったので、早速夜メシを探しにダウンタウンへ繰り出した。ダウンタウンって言っても、歩いて全部を回れる非常に小さい街だ。
街で早速聖歌隊らしき合唱団に歓迎を受けた。何でも火水金土の4日だけ、夜の10時頃から歌う名物らしい。小さい子は(多分)小学生~大きい子は大学生と全員学生の合唱団らしい。暗かったので写真がブレているのが自分としては納得できてないのだが・・・
何軒か回ったが、夜11時に近かったので殆どの店でディナーを断られて最後に辿り着いた店でオーダーした料理。正直、全然期待していなかったが、アルゼンチンステーキみたいで中々柔らかいステーキのコンボ料理を出してくれた。特にアラチェラという牛フィレを薄切りにしたステーキは柔らかく、とても美味かった。期待していなかっただけに驚きだった。
翌朝は9時くらいから街中を散策し始めた。百聞は一見にしかず 写真と共に街中を紹介しよう。
まずはBasilica教会。メキシコではどの街にも必ず教会がある。スペイン人が侵略して来て街を建設する際、必ず教会を街の中心に建てたからだ。教会を中心として街が発展して行った。
次に訪れたのがJuarez Teatroというシアター。1903年に完成し、今でもクラシック・オペラなどが上演されているらしい。この裏から小さいケーブルカーが出ており、それに乗ってちょっとした高台に行った。
その高台からみたGuanajatoの町並み。メキシコ独特の道が複雑に入り組んだ町並みである。私が見たメキシコの町並みとしては、色使いが鮮やかでキレイな街だと思う。
この街の特徴の一つにこのトンネルが挙げられる。前出の通り、元々この街は銀採掘が盛んだった。相当の銀が採掘された後に残ったのは鉱山道。それを道路に改良して出来たのがこの道だ。こんな道がグアナファトの街の下を縦横無尽に走っている。非常に面白い・珍しい光景だ。
最後に・・・ この街のもう一つの名物がミイラだ。ここの土地が鉱物質の土壌という性質を持ち、非常に感想した気候の為、自然とこのミイラが出来たのだと言う。なので、ある者は服を着ており、ある者は靴下だけ履いてあったりする。エジプトのミイラと違って、死後に何も手を加えていない。写真にある通り、乳幼児のミイラも館内にいくつか展示してあった。まるで今にも動き出しそうな勢いで、か~な~り迫力があった。ホント、映画に出てくる”マミ~”って感じだ。
(続く・・・)
2008年07月29日
週末テニス 7/27
先週末、日曜に商社マンO氏に、彼が入会しているMundetというダウンタウンにあるテニスクラブへ招待して貰ってのテニスとなった。
写真で分かる通り、ここのコートはなんとフレンチと同じレッドクレーなのだ 私もレッドクレーでやるのはここMundetが初めて。アメリカ時代はハードコートばかりだったので、最初はクレー独特の弾みの高さとイレギュラーに戸惑いがあったが、慣れると足への負担も(ハードに比べて)少なく良いコートだと思う。欠点を強いて挙げるなら、シューズとソックスがレッドクレー色に染まることかぁ・・・ ま、でもムチャチャ(女中)が洗ってくれるので、本人気にせず
肝心のテニスだが、O氏は先週NYへ出張に行って来てシコタマ飲み食いをしてきたらしく体が重そうだった。タダでさえ低地に一度降りれば(再び高地に戻ってくると)調子を崩す訳で、そこに飲み食いで体重増加など伴えば尚更だ。。。私も6月にSan Diegoに出張に行ってきた際は同じだったけど・・・
それでもシングルスがしたいとのO氏だったので、30分くらいのウォームアップの後、久しぶりにシングルスをした。前回の対戦は確か3-4ヶ月前だったろうかぁ その時は私が2セットとも勝利した。その前はO氏が2セット勝っているので対戦成績は今の所イーブンだ。
出足、お互いにサービスブレークという波乱の幕開けとなったが、中盤から明らかにO氏のミスが増えていく。中盤以降は私が一方的に押し切り6-2で第一セットを取った。
第二セットも序盤はサービスブレークで幕を開けたが、結局第一セットと同じ展開で、O氏のミスが増え、終わってみれば6-1で私の勝利となった。
O氏は、明らかに体が重い→フットワークが悪い→ミスが増える→全体的に調子を崩すという典型的な悪い時のパターンだった。ま、しょうがない。サラリーマン週末テニス、出張とかで調子を崩すことだってあるさ。。。
一方で私の調子は非常に良かった。この日はサービスも冴えていて、かなりのポイント奪取率となった。体の力も良く抜けていたしね。。。先週もここMundetでやったが、調子が最悪だった。この1週間、特に何かの対策をした訳ではないが、調子が180度違う。これもサラリーマン週末テニスだろう。。。さて、来週の調子はどうだろうかぁ・・・
終了後、共に独身の身(家族が日本へ帰省中)なので、先週に全然和食を食べてなかったのもあって、焼き鳥屋へ行くことにした。前々から良く利用しているSamuraiという日本食レストランだ。
このレストラン、実は昔三田 佳子が息子を修行させたレストランとしてメキシコでは知られている。彼女の息子が麻薬で世間を騒がした時、ほとぼりを冷ます為にここメキシコへ行かせて修行をさせたらしい。写真は三田 佳子のサインだ。
左が焼き鳥(調理前)、右が焼き鳥(調理後)。ここの焼き鳥は炭で焼いてくれるので外はカリカリ・中はフワフワと味が絶品だ。また秘伝のタレが染みこみ具合が良く、焼き鳥と良く合う。
ウナギの蒲焼。これがこの店で一番の絶品かも。外はカリカリ・中はフワフワ、秘伝のタレで頂くとご飯を食べずにはいられない 無類のウナギ好きの私としては絶対に外せない一品である。
先週末は久しぶりに和食を食べれて満足だった。。。
写真で分かる通り、ここのコートはなんとフレンチと同じレッドクレーなのだ 私もレッドクレーでやるのはここMundetが初めて。アメリカ時代はハードコートばかりだったので、最初はクレー独特の弾みの高さとイレギュラーに戸惑いがあったが、慣れると足への負担も(ハードに比べて)少なく良いコートだと思う。欠点を強いて挙げるなら、シューズとソックスがレッドクレー色に染まることかぁ・・・ ま、でもムチャチャ(女中)が洗ってくれるので、本人気にせず
肝心のテニスだが、O氏は先週NYへ出張に行って来てシコタマ飲み食いをしてきたらしく体が重そうだった。タダでさえ低地に一度降りれば(再び高地に戻ってくると)調子を崩す訳で、そこに飲み食いで体重増加など伴えば尚更だ。。。私も6月にSan Diegoに出張に行ってきた際は同じだったけど・・・
それでもシングルスがしたいとのO氏だったので、30分くらいのウォームアップの後、久しぶりにシングルスをした。前回の対戦は確か3-4ヶ月前だったろうかぁ その時は私が2セットとも勝利した。その前はO氏が2セット勝っているので対戦成績は今の所イーブンだ。
出足、お互いにサービスブレークという波乱の幕開けとなったが、中盤から明らかにO氏のミスが増えていく。中盤以降は私が一方的に押し切り6-2で第一セットを取った。
第二セットも序盤はサービスブレークで幕を開けたが、結局第一セットと同じ展開で、O氏のミスが増え、終わってみれば6-1で私の勝利となった。
O氏は、明らかに体が重い→フットワークが悪い→ミスが増える→全体的に調子を崩すという典型的な悪い時のパターンだった。ま、しょうがない。サラリーマン週末テニス、出張とかで調子を崩すことだってあるさ。。。
一方で私の調子は非常に良かった。この日はサービスも冴えていて、かなりのポイント奪取率となった。体の力も良く抜けていたしね。。。先週もここMundetでやったが、調子が最悪だった。この1週間、特に何かの対策をした訳ではないが、調子が180度違う。これもサラリーマン週末テニスだろう。。。さて、来週の調子はどうだろうかぁ・・・
終了後、共に独身の身(家族が日本へ帰省中)なので、先週に全然和食を食べてなかったのもあって、焼き鳥屋へ行くことにした。前々から良く利用しているSamuraiという日本食レストランだ。
このレストラン、実は昔三田 佳子が息子を修行させたレストランとしてメキシコでは知られている。彼女の息子が麻薬で世間を騒がした時、ほとぼりを冷ます為にここメキシコへ行かせて修行をさせたらしい。写真は三田 佳子のサインだ。
左が焼き鳥(調理前)、右が焼き鳥(調理後)。ここの焼き鳥は炭で焼いてくれるので外はカリカリ・中はフワフワと味が絶品だ。また秘伝のタレが染みこみ具合が良く、焼き鳥と良く合う。
ウナギの蒲焼。これがこの店で一番の絶品かも。外はカリカリ・中はフワフワ、秘伝のタレで頂くとご飯を食べずにはいられない 無類のウナギ好きの私としては絶対に外せない一品である。
先週末は久しぶりに和食を食べれて満足だった。。。