2009年10月01日
スパック
今週月曜、我が家にとってとてもとても悲しい出来事があった。1年前から飼っていたハムスターのスパックが息を引き取ったのだ。。。
普段は息子の部屋にいて、すごくセンシティブな動物だから、あまりちょっかいも出さずに静かに飼っていた。先週金曜に、妻がたまたまスパックの様子がおかしいことに気が付いた。帰宅後、私がスパックを触ってみたら、どうも目の病気にかかったみたいで、良く見てみると目ヤニが出て眼が塞がっていて見えていない。
基本的には週末は動物病院も休みのため、週明けまで待つ必要があった。心配だったのは、全然エサを食べてないことだった。また一生懸命に水を飲もうとしてるのだが、目が見えていないせいか上手く飲めなかった。体が小さくなっていくのが目に見て分かり、私達も心配になって、週末にやっている動物病院をもう一回探してみた所、1つ見つかったので日曜夕方に私がスパックを連れて行った。
行く道中はまだ動いていて元気があったので「手遅れ」という感覚は私にはなかった。よもや、この後に様態が急変するとは想像もできずに… 病院に到着後、先生が早速問診をしてくれた。診断の結果は「よくハムスターにある目の病気」ということだった。指定された目薬を1日3回点眼し、週に2回病院で薬を注射をすれば治るでしょうということだった。先生が暴れるスパックを抑えながら注射をして、帰りに薬局で指定された目薬を購入して安心して家に帰ってきた。少しぐったりとしてたが、注射のせいで眠っているのだろうとその時は思っていた。
ところが、、、その日の夜にスパックの様子を見に行くと、呼吸はしているものの息が絶え絶えで意識が朦朧としていた。その場で全然動かないし、目にも生気がなく体が冷たい。これは様子がおかしいと思って、抱き上げてみても普段する反応が全くない。様態が急変しているとことに気付き、「ガンバレ・ガンバレ」と手の平の上で温めながら声を掛けるが反応は鈍い。1時間くらい付き添い、明日もまだ生きていてと願いながら毛布をかけてあげて床に就いた。でも正直、覚悟はしていた。
翌朝もまだ生きていた。状態は昨日と変らず、朝10時に病院がopenするので妻が連れて行ってやる準備をしていた。ところが、、、病院に行こうと部屋を出ようとした時に、息を引き取ってしまった。会社に居た私に、妻から「スパックが病院に行く前に死んじゃった・・・」とメールが入ってきた。会議中だったが、悲しみの余りに涙が込み上げてきた。「何で間に合ってくれなかったんだ? 何でもっと早くに異変に気付いてやれなかったんだ? 何でもっと早くに病院に連れて行ってやらなかったんだ?」と自問した。それでも、スパックが帰ってくるはずもない。。。私が夜に帰ってきた時にはすっかり体が冷たくなって硬くなっていた。その姿を見て、色んな思い出が頭をよぎった。
思い返せば、約1年前に息子が小学校に入る時に学校を転向させる”エサ”としてスパックを買い始めた。ちょっと不純な(?)動機だったが、これも何かの縁だったのだろう。ペット屋に居た時は、まだ親指大くらいの大きさでとっても小さかった。すくすくと大きくなり、体調10cm以上はあるくらいまですぐに育った。敏感な動物なのでストレスを与えないように普段は触ったりしないのだが、妻と息子が日本に一時帰国している時は寂しいかったからスパックにエサをやったりして遊んだりしていた。メキシコで何かの縁が合って我が家に来たのだが、たった一年でその生涯を閉じてしまったことがスパックにとって幸せなことだったのか・・・? 死んでしまった今となって「ごめんなぁ、申し訳なかったなぁ・・・」という気持ちでいっぱいになった。
妻の話によると、息子Rもスパックの死に相当のショックを受けているようだった。学校から帰ってきて真っ先にスパックの様子を見に行ったが、息を引き取ったということを妻から聞くと、スパックをその場においてしばらく自分の部屋へこもった。そして帰ってきてスパックを抱き上げ静かに泣いた、と。。。夜、Rに私の子供の時の体験(=同じくハムスターの死と向き合ったこと)・動物を飼うことの難しさ・いつかは死と向き合わなければならい辛さ・命の大切さ、など話をした。辛い経験だったが、息子にとっては貴重な経験になったと思う。
家の前にある公園とスパックのお墓。昨日、スパックに最後の別れをして、丁重に埋葬してあげた。目の前の公園ならいつでも見守ることが出来るから。。。スパックは物理的には死んでしまったけど、我が家の心の大切な思い出としてずーっと残っていくだろう。
さようなら、スパック。天国でも元気でな。。。
普段は息子の部屋にいて、すごくセンシティブな動物だから、あまりちょっかいも出さずに静かに飼っていた。先週金曜に、妻がたまたまスパックの様子がおかしいことに気が付いた。帰宅後、私がスパックを触ってみたら、どうも目の病気にかかったみたいで、良く見てみると目ヤニが出て眼が塞がっていて見えていない。
基本的には週末は動物病院も休みのため、週明けまで待つ必要があった。心配だったのは、全然エサを食べてないことだった。また一生懸命に水を飲もうとしてるのだが、目が見えていないせいか上手く飲めなかった。体が小さくなっていくのが目に見て分かり、私達も心配になって、週末にやっている動物病院をもう一回探してみた所、1つ見つかったので日曜夕方に私がスパックを連れて行った。
行く道中はまだ動いていて元気があったので「手遅れ」という感覚は私にはなかった。よもや、この後に様態が急変するとは想像もできずに… 病院に到着後、先生が早速問診をしてくれた。診断の結果は「よくハムスターにある目の病気」ということだった。指定された目薬を1日3回点眼し、週に2回病院で薬を注射をすれば治るでしょうということだった。先生が暴れるスパックを抑えながら注射をして、帰りに薬局で指定された目薬を購入して安心して家に帰ってきた。少しぐったりとしてたが、注射のせいで眠っているのだろうとその時は思っていた。
ところが、、、その日の夜にスパックの様子を見に行くと、呼吸はしているものの息が絶え絶えで意識が朦朧としていた。その場で全然動かないし、目にも生気がなく体が冷たい。これは様子がおかしいと思って、抱き上げてみても普段する反応が全くない。様態が急変しているとことに気付き、「ガンバレ・ガンバレ」と手の平の上で温めながら声を掛けるが反応は鈍い。1時間くらい付き添い、明日もまだ生きていてと願いながら毛布をかけてあげて床に就いた。でも正直、覚悟はしていた。
翌朝もまだ生きていた。状態は昨日と変らず、朝10時に病院がopenするので妻が連れて行ってやる準備をしていた。ところが、、、病院に行こうと部屋を出ようとした時に、息を引き取ってしまった。会社に居た私に、妻から「スパックが病院に行く前に死んじゃった・・・」とメールが入ってきた。会議中だったが、悲しみの余りに涙が込み上げてきた。「何で間に合ってくれなかったんだ? 何でもっと早くに異変に気付いてやれなかったんだ? 何でもっと早くに病院に連れて行ってやらなかったんだ?」と自問した。それでも、スパックが帰ってくるはずもない。。。私が夜に帰ってきた時にはすっかり体が冷たくなって硬くなっていた。その姿を見て、色んな思い出が頭をよぎった。
思い返せば、約1年前に息子が小学校に入る時に学校を転向させる”エサ”としてスパックを買い始めた。ちょっと不純な(?)動機だったが、これも何かの縁だったのだろう。ペット屋に居た時は、まだ親指大くらいの大きさでとっても小さかった。すくすくと大きくなり、体調10cm以上はあるくらいまですぐに育った。敏感な動物なのでストレスを与えないように普段は触ったりしないのだが、妻と息子が日本に一時帰国している時は寂しいかったからスパックにエサをやったりして遊んだりしていた。メキシコで何かの縁が合って我が家に来たのだが、たった一年でその生涯を閉じてしまったことがスパックにとって幸せなことだったのか・・・? 死んでしまった今となって「ごめんなぁ、申し訳なかったなぁ・・・」という気持ちでいっぱいになった。
妻の話によると、息子Rもスパックの死に相当のショックを受けているようだった。学校から帰ってきて真っ先にスパックの様子を見に行ったが、息を引き取ったということを妻から聞くと、スパックをその場においてしばらく自分の部屋へこもった。そして帰ってきてスパックを抱き上げ静かに泣いた、と。。。夜、Rに私の子供の時の体験(=同じくハムスターの死と向き合ったこと)・動物を飼うことの難しさ・いつかは死と向き合わなければならい辛さ・命の大切さ、など話をした。辛い経験だったが、息子にとっては貴重な経験になったと思う。
家の前にある公園とスパックのお墓。昨日、スパックに最後の別れをして、丁重に埋葬してあげた。目の前の公園ならいつでも見守ることが出来るから。。。スパックは物理的には死んでしまったけど、我が家の心の大切な思い出としてずーっと残っていくだろう。
さようなら、スパック。天国でも元気でな。。。