2011年05月30日
雨だから… 江戸東京博物館 in 両国
前述の通り、先週末は2日とも完全に雨で潰された。家族揃って(→でも活動はいつもバラバラ;)の我が家にとっては最悪の週末だったが、こういう機会でもないとイベント系に家族揃って出かけないだろうってことで、久しぶりに行ってきた。
行ってきた先は、両国にある江戸東京博物館。ご存じだろうか…?昔、結婚したての頃に亀戸に住んでいて総武線を使っていたので、電車の中から良く建物を見ていたが、訪問するのは初めてだった。
頭デッカチなバランスの悪い建物だ。震災の時の影響だろうかぁ… 外の床の一部が盛り上がっていたりした。
展示コンセプトは、「江戸~東京オリンピックまでの東京の街並み変遷」とのこと。館内は、(希望の人だけ)なんと無料でボランティアの方が解説をしてくれるというサービス付き。色んなウンチク話を聞けたお陰で、江戸時代の町人の様子や状況を知ることが出来たのは勉強になった。面白かったのは、街の名前の由来。例えば、、、
日比谷:昔、この一帯で海苔を作っており、海苔を乾燥させる為に使う竿のことを日比と言ったそうだ。それが名前の由来。
両国:昔 墨田川の両側は別の国だったらしく、そこ両方の国を繋ぐ橋が両国橋。
銀座:昔、この場所は銀貨を作る場所だったとのこと。座とは場所を表わす言葉。
へぇ~、と雑学レベルがどんどん上がって行った。この説明は聞く価値あり!!
左の写真、、、昔の消防隊のモノ。これ自体は時代劇などで見たことある人も多いだろう。江戸では本当に火事が多かったらしい。理由は①人口密集型(→最盛期には100万人!!) ②家が木と紙で出来ている、などらしい。昔は消火用の水が潤沢に無かったので、今の森林火災を止める方法と同じ手法で、火の手が次の家に燃え移らないように家を壊して食い止めるという手法だった。風向きと火の強さを計算して、この旗を持った消火隊が家を壊しに行くという具合だ。また、街の至る所に空き地を作り、いちいち家を壊さなくても良いような工夫も江戸の町には凝らされていたらしい。事情が今とはまるで違うから、面白い。ちなみにこの旗、15kgあって結構重かった。
このボランティアツアーで江戸・東京のことを勉強して、実際に下町散策に行くと理解力が深まって面白いと思った。英語でもやっているらしいので、特に外人来た時はgood ideaだろう。今年は震災の影響で来れなかったけど、来年Sergio/Erika夫婦が来る時は、このrouteは使えるね。。。
行ってきた先は、両国にある江戸東京博物館。ご存じだろうか…?昔、結婚したての頃に亀戸に住んでいて総武線を使っていたので、電車の中から良く建物を見ていたが、訪問するのは初めてだった。
頭デッカチなバランスの悪い建物だ。震災の時の影響だろうかぁ… 外の床の一部が盛り上がっていたりした。
展示コンセプトは、「江戸~東京オリンピックまでの東京の街並み変遷」とのこと。館内は、(希望の人だけ)なんと無料でボランティアの方が解説をしてくれるというサービス付き。色んなウンチク話を聞けたお陰で、江戸時代の町人の様子や状況を知ることが出来たのは勉強になった。面白かったのは、街の名前の由来。例えば、、、
日比谷:昔、この一帯で海苔を作っており、海苔を乾燥させる為に使う竿のことを日比と言ったそうだ。それが名前の由来。
両国:昔 墨田川の両側は別の国だったらしく、そこ両方の国を繋ぐ橋が両国橋。
銀座:昔、この場所は銀貨を作る場所だったとのこと。座とは場所を表わす言葉。
へぇ~、と雑学レベルがどんどん上がって行った。この説明は聞く価値あり!!
左の写真、、、昔の消防隊のモノ。これ自体は時代劇などで見たことある人も多いだろう。江戸では本当に火事が多かったらしい。理由は①人口密集型(→最盛期には100万人!!) ②家が木と紙で出来ている、などらしい。昔は消火用の水が潤沢に無かったので、今の森林火災を止める方法と同じ手法で、火の手が次の家に燃え移らないように家を壊して食い止めるという手法だった。風向きと火の強さを計算して、この旗を持った消火隊が家を壊しに行くという具合だ。また、街の至る所に空き地を作り、いちいち家を壊さなくても良いような工夫も江戸の町には凝らされていたらしい。事情が今とはまるで違うから、面白い。ちなみにこの旗、15kgあって結構重かった。
このボランティアツアーで江戸・東京のことを勉強して、実際に下町散策に行くと理解力が深まって面白いと思った。英語でもやっているらしいので、特に外人来た時はgood ideaだろう。今年は震災の影響で来れなかったけど、来年Sergio/Erika夫婦が来る時は、このrouteは使えるね。。。
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